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つぐなうデザイン2 / Repairing Infrastructures / クリストファー・ヘンケほか

つぐなうデザイン1のつづきになりそうな本だ。社会学者であるヘンケが焦点を当てるのは通信、食料、交通、エネルギー、情報… この地球上を這うインフラストラクチャの修復について。橋に描かれた壁画を保護しながら補修することを巡る対立、大学キャンパスの建物システムの修復、気候変動による地球規模の食のネットワーク問題などが取り上げられる。

本書の冒頭には、「修復」という言葉について、下のように書かれる。つまり、Ecological Reparationで書いたような両義性がそもそも修復にはある、ということだ。

修復(repair)には、この用語から一般的に連想する種類の作業だけでなく、私たちが日常生活で住んでいる場所や施設に正常感や信頼性を回復することを目的とした一連の実践も含まれます。

さらに、STSにおける「修復」の研究の流れに触れる部分が重要だ。読み解く限り、3つの流派に分けられそうである。1つめはニューメディア研究者のジャクソンらがRethinking Repairで主張したような、テクノロジーの革新と安定に修復が必要であること。2つめはSTS研究者でThe Maintainersの創始者であるラッセルとヴィンセルらが主張したような、地道な作業を行うメンテナー(の労働)に注意と敬意を払おうとすること。3つめがヘンケらが主張するような、社会の仕組み(政治や制度)を理解するために修復が必要であること、である。(とはいえ、全てベン図のように少しずつ重なり合う)

そして、本書のおもしろいところは「修復が何かを維持するものであるならば、一体何が維持されているのか?」と問い直し、修復の意義を図るための「ツールキット」の提案と「Reflexive Repair(再帰的修復)」の概念に踏み込んでいるところだろう。

詳しくはのちに触れるとして、いずれにしても自分としては、この1歩進んで2歩進むような、反省を込めたデザインのヒントを探したい。ヘンケが下で書くように、彼の糸口は修復をめぐる「仕事」である。あくまで軸足はそこに置きつつ、読み進めていくとしよう。(少し角度は違うが、アポロ計画の裏で過小評価された女性たちの工芸的仕事に焦点を当てた、デザイン研究者ローズナーが書くCritical Fabulationsも近い話なので、載せておこう)

私たちの定義では、修理は私たち全員がほぼ毎日行っていることです。この仕事が社会の広い範囲にわたってどのように行われているかを追跡することで、インフラの安定性、回復力、持続可能性が、厄介さ、複雑さ、不測の事態、問題解決、権力闘争を含めて、実際にどのように実現されているかをより理解できるようになります。


「なんのために修復するのか?」の意義をみるための3つのツールキット

まず、第一章後半の「The Tool Kit」= ツールキットの提案に注目する。端的に言えば「なんのために修復するのか?」の意義をみる手引きである。

修理工が作業に必要な道具一式を必要とするように、私たちは、修理やメンテナンスの隠されがちな作業を掘り起こし、その意義を明らかにするための概念的なツールキットを必要としています。

とはいえ、ちょっとかっこよく言いすぎな感じはあるので、まあ、視点と言い換えてよいかもである。気をつけておきたいのは、あくまでヘンケが扱うのはインフラをめぐる仕事なので、靴下を直す、ような私的な対象物よりも、橋を直す、ような公的な対象物に重点が置かれる。

1. Materiality and Discourse (物質性と言説)

修復は、単独で行われるものではない。むしろ、どうすれば解決できるか、を話し合うことが出発点である、とヘンケは語る。オフィス空間の修理労働を会話から分析した社会学者の彼らしいアプローチだ。

ヘンケはそれをさらに、ソシオテクニカルリペアという概念に発展させる。I-35W橋の崩壊という歴史的事件の裏側にあったのは、人為的なミスや文書の不備でもあった。要は、会話も含む、手順、合意、変更管理、といったコミュニケーションのズレが、物質的な崩壊の一因を担う。

また、スリップの概念もユニークだ。率直に言えば、とある物質がシステムの変化や劣化によって望ましい機能を果たせなくなることである。要は、橋そのものが壊れたというより、社会環境の状況によって修復が必要になる、ということだ。確かに、これはなぜ修復するのかの視点を広げてくれる。

しかし、例えば、利用者の要求や技術基準の変化によって、橋が不十分と見なされるようになった場合など、システムを取り巻く環境の変化が修理の動機になることもあります。

2. Power and Invisibility(権力と不可視性)

これはわかりやすい。権力と結びつきやすく、それは一般的に見えにくい。また、インフラそのものも、安定しているときは意識しないし、壊れてからやっと認識される。例えば、停電だ。

ここで面白いのは、インフラの故障が「疎外された集団が権力を獲得する機会になりうる」と書かれている点である。安定的なインフラは、むしろ何かが隠蔽されているかもしれない。実際に、第三章で描かれるコロナド橋の再建とバリオ・ローガン地区の壁画再興は、その一例である。

つまり、その修復によって「誰が笑い、誰が泣くか」だ。本書では、人間社会や人工物に焦点が当たりやすいが、例えば動物、植生、気候、といった、マルチステークホルダーへの想像力、という視点にも拡張できそうである。

3. Scale(時間と空間)

これもわかりやすい。インフラの修復の意義をみるとき、ローカルからグローバルへ、過去から未来へと、スケールのパラメータを調節しながら見ることの重要性が描かれる。

例えば、ハリケーン・カトリーナがニューオリンズを壊滅させた後の、堤防や道路の再建を引き合いに出す。修理を行う労働者からプロのマネージャー、プランナー、エンジニア、彼らを雇用する組織、政府および専門家の意思決定機関に修復のレベルが移行していくようなシーンである。

ヘンケもこのスケールを移動させながら修復の意義を見ることについて、鼻息荒めに語っている。後述するローカルな修復作業の微視的な視野はもちろん重要だが、Google Earthで俯瞰するような巨視的な視野も必要だなと思わせてくれる。

実際、修復の最も重要な側面の一つは、空間と時間を超えて社会技術システムを継続的に接続し、再接続する方法であり、インフラシステムの特徴的な範囲と永続性を可能にしている部分であると考えられる。

寒いオフィス問題、ファミコンのカセット、トランスローカルなインフラストラクチャ

続いて、第二章だ。超ローカルな修復、ここではヘンケが名付けた「Cold Office Problem(寒いオフィス問題)」から話が始まる。

端的に言うと、オフィスの空調が制御されている労働環境下での「なんか寒くない?」という現象のことを指す。壊れているかは不明だが、そこから適温に最適化しようとする人々の活動である。自分がもし名づけるなら、ファミコンのカセットフーフー問題だ。社会性は薄いが。(いまだにスーファミのカセットを息子と一緒にフーフーしている)

ローカルリペアの中心には、人間の身体、彼らが住み、相互作用する物質世界、そして修復との出会いの境界を規定する人、道具、インフラの間の交渉がある。

ここでおもしろいのは、インフラのような巨大な物語と、ローカルな物語をブリッジさせようとするヘンケの姿勢である。STS研究者のドゥニとポンティーユが書いた地下鉄の保守作業員の民族誌を引き合いに出し、人間と人工物の間にある「Fragility(脆さ)」は、必ずしも修復が必要なわけではないが、安定と崩壊の境界線上にある微妙な存在であると語る。

私たちの最大のインフラや社会制度でさえも、最終的には地域レベルの人間関係や物質的関係に根ざしており、それらは人間の身体とそこに宿る技術、知識、感覚、感情を媒介としてつながっていることを改めて強調する。

この章の最後には、「修理する権利」のような勃興するリペアムーブメントにも触れる。インターネットやストリーミングの発達に伴って、トランスローカルなコミュニケーションが生まれ、その関係性から、新たなネットワークとアイデンティティが形成され、新しい信念や制度が生まれることに希望を持つ。これを前回の記事に書いた「モア・ザン・ソーシャル・ムーヴメント」と接続すると、パパドプロスが言う、Generous Infrastructure(寛大なインフラ)と共鳴しあう感覚があるのだ。

社会運動以上の運動は、寛大なインフラ、すなわち、制度化されたインフラが失敗したり意図的に壊れたりしても、コミュニティが自分たちの生活形態の存在論的条件を維持・防衛することを可能にするインフラを作り出す。

Experimental Practice: Technoscience, Alterontologies, and More-Than-Social Movements
Dimitris Papadopoulos, 2018

深呼吸をし、まわりを見渡し、内省しながら設計する修復

最後の、第五章がユニークだ。下敷きにするのは、人新世である。ヘンケが関心のある食のグローバルなシステムを引き合いに語られるのは、端的に言うと「インフラを修復し維持することが、地球に悪影響を与え、逆に人間の絶滅に繋がるというパラドックスに直面するのでは」という問いである。

ここで提案されるのが、「Reflexive Repair(再帰的修復)」だ。重要なのが、倫理をともなう「計画」である。ある意味、即興性や不確実性を持って語られやすい修復に、深呼吸してまわりを見渡し、内省しながら設計するというマインドセットを持ち込む。

つまり、修理の限界と潜在的な意図しない結果を考慮し、計画する修理へのアプローチである。

ヘンケは持続可能性(Sutainability)という言葉を引き合いに出す。だいぶ食傷気味な言葉だが、丁寧に見ると確かに、と思うのだ。1987年にブルントランド委員会が提唱した「将来の世代が自らのニーズを満たす能力を損なうことなく、現在のニーズを満たす」という定義を下敷きに、ヘンケの主張はこの現在と未来のニーズが均衡するように構築および修復を計画するべきだ、と力説するのだ。そして、最後にこうまとめる。

Reflexive Repair(再帰的修復)とは、修理そのものを見直すことであり、近代の社会技術構造に組み込まれた権力、規模、時間の複雑な相互作用を通じて、インフラのグローバリズムの結果を考慮する倫理を目指すものである。

チェックリスト、そしてグッドデザイン賞2023をみる

結論には、冒頭に書いた「修復が何かを維持するものであるならば、一体何が維持されているのか?」という問いとともに、ツールキットを質問形式にしたチェックリストが3つ明快に書かれている。

そのやりかたがよいのかどうか、を振り返るための項目とも言えるだろう。ある意味、日頃行うプロジェクトのデザインにも応用できそうだ。

  • 第一に、提案された修理は既存の権力構造を大きく再生産するのか、それとも既存のインフラに組み込まれた不平等や不公正を是正しようとするものなのか。

  • 第二に、修理案は、インフラストラクチャの物質的・言説的形状によって最も中心的な影響を受ける人々、コミュニティ、生態系を考慮しているのだろうか。誰が利害関係を持ち、彼らに発言権が与えられているのか。

  • 第三に、提案されたソリューションは、可能な未来、特に私たち自身や未来の世代のために望むことを想像できる未来を制限したり、閉ざしたりしていないだろうか。

その視点で、最後に、先週発表されたグッドデザイン賞2023を見てみよう。神山まるごと高専や、春日台センターセンターオーガニック直売所タネトといった、私的に好きな取り組みも当然あるが、あくまで視点は「修復」。

特に響いた3つの取り組みを並べて、この記事を締め括ろうと思う。2024は雲ノ平トレイルクラブや、Fikseのような取り組みも入ってくるのでは…という願いを込めて。

52間の縁側
庭の水やりや風呂の掃除、というメンテナンス行為も介しながら、みんなが「お互い様」で、自由に縁側を行き来しているような試みにグッとくる。

Yahoo!ショッピング「おトク指定便」
「早ければ早いほどよい」という価値観を見直し、ドライバー、ストアへの負荷など、様々な不均衡を調節する。そんなに急ぐ場面はないし、納得。

きみ辞書
最初に辞書を引く言葉が、自分の名前というのにやられた。原価、校正、流通、販売の既存のインフラを調節・修復しながら、未来をつくる試みである。「いくらになってもいいから売ってほしい」という声に胸を打たれる。

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