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「関係があるものと本当に関係があり、関係がないものとは本当に関係がない」 ~「世界一流エンジニアは自分と考えが真逆だった話」を読んで思い出した弁別的妥当性と収束的妥当性~

私も愛読させてもらっている「世界一流エンジニアの思考法」を書かれた牛尾さんの「世界一流エンジニアは自分と考えが真逆だった話」というnoteを読みました。

その中で

「可能性が高い思い込み」ではなく、「実際に可能性を狭める」ことにフォーカスする

という言葉が書かれていて、むかし心理学をやっていた頃に学んだ弁別的妥当性収束的妥当性を思い出したので筆を執ります。


弁別的妥当性と収束的妥当性って?

漢字ばかりで難しく見えますが、要は関係あるものとはちゃんと関係があり(収束的妥当性)、関係がないものとはちゃんと関係がない(弁別的妥当性)という話です。

例えば「Puuuiiさんは天才である」という主張があるとしましょう。
ここでPuuuiiさんの天才度を測るテストを行って本当に天才だという結果が得られるときに「収束的妥当性がある」といえます。
一方、Puuuiiさんの凡才度を測るテストを行ってやはり凡才ではないという結果が得られると、「弁別的妥当性がある」といえるのです。

どんなときに使えるの?

両妥当性は日々仕事をする中で使える概念です。

例のひとつがまさに牛尾さんの話です。
バグを探すのにそれっぽい箇所をさぐるのが収束的妥当性で、バグじゃないと思う部分を本当にバグじゃないと確認するのが弁別的妥当性です。

だんだんつかめてきたでしょうか?
もう一例挙げてみましょう。

泣きじゃくる赤ん坊が一体何を要求しているのか当てたいとします。
ミルクをあげると泣き止みます。
ここから「お腹が空いていたんだ」と考えるのが収束的妥当性の考え方です。
正解が「お腹が空いていた」であれば抱っこをしても泣き止まないはずなので、試しに抱っこしてみることにします。
これが弁別的妥当性の考え方ですね。
それで泣き止んだとしましょう。
実のところ正解は「ただかまって欲しい」だったのです。

収束的妥当性と弁別的妥当性の両方がなりたつことが、物事の正解を見抜く方法のひとつだなのです。

おわりに

日々よのなかの謎と格闘しておられる読者のみなさんことですから、正解を見抜く術はひとつでも多い方がいいですよね。

関係があるものと本当に関係があり、関係がないものとは本当に関係がない

何か試行錯誤を迫られたときに思い出せますように。

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