40 幸せな日にモラハラ発動②
息子の誕生会
毎年、息子の誕生日には食事とプレゼントとケーキを用意し、義母も呼んでお祝いをすることになっていました。もちろん段取りはすべて私がします。料理とケーキとプレゼント、そして義家族とのスケジュール調整など、です。夫に頼んでも良いのでしょうが、過去の経験から、直前になるまで何も動かないので私がしびれをきらすか、夫が不機嫌になるかのどちらかなので、最初から私が引き受けた方がうまく回ります。
そうして迎えた当日は、本当に幸せで、嬉しいね、と言いながら、子どもたちと遊んだりケーキを食べたりしました。にぎやかなこの日は家族みんなが楽しみな日です。プレゼントをひとつひとつ開けながら、大喜びする様子を動画に収めて、和やかに過ごしていました。
昨年は誕生会が終わった頃に夫が急に怒り出したので、今年も何か言われる、と心のどこかで覚悟はしていました。それは義母も同じだったと思います。だから
私「今年は何を言いだすんでしょうね」
と義母とこそこそ話したりもしていました。去年のことは義母も覚えていました。
元義母「大丈夫大丈夫。何か言われても気にせんかったらいい。それよりそんな心配させてごめんなぁ」
と言ってくれました。
おひらきになり、息子を寝かしつけるために和室に布団を引き、添い寝をし始めたときに夫が言いました。
モラ夫「なんでまだ授乳してるん」
ああ今年はこのことで責めるのか。前日まで授乳をしている姿を普通に見ていたし、何も言わなかったのに。心拍があがりました。でも言い返さなくては。夫婦なのだから、話し合って理解し合っていかないと、一生このままは嫌です。
私「私だって断乳をひと月頑張ったけど、なかなか寝ないし、体力と気力と時間のバランスをみてしてるんよ。仕事もあるし朝早いから、大変な時もあるよ。わかってほしい。」
モラ夫「でも約束やん。約束守ってないのはママやん。それはわがままやろ」
いつも彼は わがまま という言葉を使います。
私「寝かしつけは時間かかるから、少しでもパパをゆっくり寝かせてあげようっていう思いやりやんか。だから私が一人でがんばってるんよ」
モラ夫「ふーん、じゃあいいわ、今日から俺が寝かしつけするから。車に乗せてドライブしながら寝かせるわ」
実際のやり取りは1時間ほどありますが、大まかな内容はこんな感じです。だいたいいつも1時間はもめます。
そしてそのあとすぐに夫は息子を車に乗せてドライブに行きました。あの荒い運転で。チャイルドシートをしているか不安でしたが、何も言うことはできませんでした。残された義母と気まずい空気が流れました。娘はそんなやり取りをずっと見ているので、おとなしくしていました。ただでさえ敏感な子なのに、大人の機嫌や空気を読みまくるように育ててしまったのでは、と今更ながら後悔しています。
寝かしつけをドライブで、と言ったにもかかわらず、1週間後にはしなくなり、結局私が沿い乳で寝かしつけをするようになりました。あれだけ大騒ぎして、矛盾だらけです。そしてもうドライブの話はなかったことになったようでした。そもそも寝かしつけの時間には、夫は遊びに行っていて家にいません。
私の考えや思いや理由に、夫が耳を傾けてくれることは今まで一度もありませんでした。私は、もちろん間違った考えをすることもありますが、家族に対して思いやりをもってその行動を選択しているつもりです。その気持ちや思いやりを夫に理解してもらえることはありませんでした。
ベランダご飯
モラ夫「こんなとこで食べさして風邪ひかせたらどうするん!」
私はそれまで1時間もぐずぐず泣いて不機嫌な子どもたちを相手に一人奮闘していました。仕方ない、一気に雰囲気を変えて、機嫌よく夕飯を食べさせるにはこれしかない!と思いついた手段がベランダご飯でした。椅子とテーブルを出して、ライトをつけて・・・こどもたちは「なになになにするん?」「楽しそう」「やったー!!」と夕飯に乗り気になってくれました。
そして楽しくベランダでご飯を食べているところに、夫が帰宅してきたのです。
私「みてみてー!楽しく食べてるよ」と声をかけると、夫は冒頭のように怒鳴りました。楽しい食事の雰囲気が一気に凍り付きました。
モラ夫「ちょっと考えたらわかるやん。家の中で食べーよ。おかしいわ」
私「・・・わかった」
モラ夫「当たり前やろ」
そして夫は満足そうに無言で部屋に戻っていきました。怒鳴った割に、一緒に夕飯を食べるわけでもなく、自分の意見だけ言いに来たのです。手は貸さない、口だけ出す。これはモラルハラスメントの典型です。
きっと、私と子どもたちだけで楽しそうにしているのが許せなかったのでしょう。不在なのだから仕方ありません。口を出す権利はないはずです。でも私は、夫の言葉に「やりすぎちゃった」と暗い気持ちになってしまったのです。そんな私の様子を見て、子どもたちも父親の機嫌を気にするように生活していたと思います。私は自分のことで必死でした。3歳から娘がチックと呑気症を併発していることに気が付いていたにも関わらず、家庭の状況を話すのが恐怖で、病院にすら行きませんでした。
呑気症とは「うっ・・・うっ・・・」と息をのみこむようなしぐさで、時と場所を選ばず常に出ていました。
娘のチック症は、最初は瞬きを異常にたくさんする、次は手で手すりを触っては舐める、指をくにゃくにゃする、肩をびくっと持ち上げる、など、形を変え次々に現れました。夫はそれを「変な癖だからやめなさい!」と叱ったり「変やで」と馬鹿にしたりしていました。私が守るべきだったのに、何もしてあげなかったことが悔しいです。
どちらの症状も、ストレスが原因です。私たち夫婦のやり取りや、不機嫌な空気を、まだ言葉が話せない時から常に気にして生活していたせいだと思います。その証拠に、離婚した今、チックの症状はすっかりなくなりました。よかった。モラハラ夫との生活は、こどもにも様々な害があるということが言えます。あの時勇気を出して病院に行っていれば、モラハラの証拠になったかもしれないのに、と後悔しています。モラハラは証拠があいまいなのです。
結婚している時、夫は楽しそうに食事をすることはありませんでした。無言の食事。食材から調理法、賞味期限まで質問されながらの食事。
そして元夫は楽しそうな人たちが許せない割に、楽しそうな行事に誘っても絶対に参加しないのでした。
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