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奇跡の子 第3話

 同じ頃、とある寂れた商店街の食堂で、黒ずくめの男二人が食事をしていた。薄汚れた店内に客は少なく、店の奥の天井近くに設置された小型テレビの音が、狭い店内に鳴り響いていた。
 皿に盛られた野菜炒めを口に入れながら、ずんぐりと太った男の方が愚痴をこぼした。

「アニキ、あっしらはいつまでこんな生活を続けなくちゃならないんですかね?」
「うるせえな、黙って食えよ。」
コップに残っている酒をすすっていた男は、吐き捨てるように言った。
「あっしもビールを頼んでもいいですかい?」
 太った男は、物欲しそうな顔で、酒のコップを見つめた。
「ダメだ。おまえは運転があるだろ。それに、そもそもそんな金はない。」

 アニキと呼ばれた男は肘をテーブルにつき、顔の前で組んだ手の先の虚空を睨んでいた。おまえに言われなくたって分かってるよ、大飯喰らいのドンジの野郎。だいたい、今度の盗みが失敗したのは、おまえがヘマをやらかしたせいじゃねえか。それなのに、呑気にバカバカ食いやがって。ちくしょう、いつまでこんなケチ臭い盗みを続けなきゃなんねえんだ。何かデカい儲け話はどこかに転がってねえのか? このままオレは、一生うだつの上がらねえコソ泥で終わるのか――。

 男が黙っていると、
「ステーキが食いてえなあ。ワインも飲みてえ。こんな肉の切れっぱしじゃあ、腹一杯にならねえや。」
 ドンジは、箸で肉の切れはしをつまみ上げて、悲しそうな目で見つめた。
「チッ。」
 男は舌打ちすると、腕を組んで横を向いた。その時、テレビから恐竜事件のニュースが流れてきた。

「世の中、妙な話があるもんですねえ。」
 大きく開けた口に肉を放り込みながら、ドンジはつぶやいた。男もテレビを睨むように見上げた。しばらくして、男はドンジに小声で話しかけた。
「どうやら、本から恐竜が飛び出したらしいな。」
「まさか、アニキも真に受けてるんで?」
 ドンジはにやにや笑った。
「こんな子どもだましのニュースを信じるなんて、アニキらしくもねえや。」
 ドンジは皿に散らばった野菜を一か所にかき寄せ始めた。男はドンジの言葉に返事もせずに何やらじっと考え込むと、だしぬけに立ち上がった。

「おい、店を出るぞ。」
 男はそういって席を立った。
「ちょっと待ってくだせえよ。いま食い終わりますから。」
 ドンジは慌てて皿の残りをかきこむと、男の後をついて行った。
 二人は慌ただしく自分たちの黒い車に乗り込んだ。
「一体どうしたんで? アニキ。飯くらい、ゆっくり食わしてくださいよ。」
 ドンジは運転席に座りながら、愚痴をこぼした。男は、後部座席にゆったりともたれかかった。

「ひょっとするとひょっとしてだが、こいつはドデカいヤマの予感がするぜ。」
「なんですかい、それは?」
「さっきのニュースを見たろ?」
「恐竜が出たって事件ですかい?」
「ああ。恐竜が出たってのはどうやらマジらしい。テレビでもさんざん検証されているしな。そこで肝心なところだが、さっきのテレビの証言が本当ならば、絵本から恐竜を出せる子どもがいるぞ。」
「そんな馬鹿な話が本当にあるんですかい?」
「妙な話だが、可能性は高い。」
「アニキ、もしかして酔っぱらってますか?」
「いや、頭は醒めてるよ。」

「でも、恐竜なんかを出してもらってもなあ……。動物園とかサーカスでもはじめるんですかい?」
「馬鹿、ニュースをちゃんと聞いとけよ。恐竜の絵本だったから、恐竜が出たんだ。つまり、絵を現実のものとして出すことができるんだよ、そいつは。そいつをさらって、その力をオレ達が利用させてもらうって寸法だ。」
 男はタバコに火をつけた。
「こいつはすげえや。それが本当だったら、おいら達無敵ですぜ。いやあ、これもマリア様の御利益だなあ。」
 ドンジは満面の笑みで、助手席の紙袋の中から顔をのぞかせているマリア像の頭をなでた。

「ああ、奇跡が起こるかもしれねえぞ。」
 男も気分良く煙をフーッと吐き出した。
「だったら、おいら、王様が食べるご馳走を出してもらいてえなあ。」
「ハハッ、そんなことに使うのはおめえだけだよ。」
 いつもなら軽蔑して罵るところだが、男もこの時ばかりは上機嫌だった。
「それじゃあ、何を出してもらうんで? やっぱり金ですかい?」
「いや、恐竜が現れたのはせいぜい四、五十秒ってとこだ。そんなに長くは実体化できないらしい。となると、金を出させたところで無駄さ。」

「じゃあ、どうすりゃいいんですかい?」
 ドンジは不安げに男の顔を見た。
「フフ、もっとふさわしい使い方があるさ。」
 男は、薄い唇をさらに薄く引っ張ってニヤッと笑った。
「まあまあ、それはその時までに決めれば良いことだ。何はともあれ、次の仕事は決まったな。早速アジトで作戦を練ろうじゃないか。」
 二人を乗せた車は、街の中へ消えていった。


 十一月上旬のある日、広山市長は市役所の部屋の中を行ったり来たりしていた。足を止めて机の書類を拾い上げると、ざっと目を通して、また机に置いた。もう何回も見たその書類は、新生橋の点検の報告書だった。欄干以外に修理する必要はなく、財政の負担もたいしたことはないとのことだった。

 市長はこの報告書の内容には一安心したが、それでもまだ心中穏やかならざるものがあった。というのも、一か月以上も立つというのに騒ぎは収まらず、いまだにテレビや雑誌からの取材の話が入ってくるのだった。

 それに触発されてか、広山市長にある思いが沸き上がってきていた。それは、恐竜事件で一躍有名になった我が市を、もっとアピールできないものか、ということだった。市長は、この突然降ってわいた騒動の一役を、自分が演じていることを意識し始めていた。自分もこの騒動の中で何かアクションを起こすべきなのではないか、という当事者意識がむくむくと生まれてきたのだった。

 そんな思いで窓の外の街並みを眺めていると、お昼のチャイムが鳴った。昼食を取ろうと広山市長は階段を降りていくと、壁に飾られた絵画がなんとはなしに目に入った。それは、市で催した秋の絵画コンクールで受賞した、市民の作品群だった。

「フーム……。」
 階段を一段一段ゆっくり降りながら眺めていくと、ある一つの作品の前で、市長は足を止めた。それは特別賞を受賞していて、新生橋を下から見上げた構図のものだった。前景は穏やかな日中の秋の風情を描いてあるが、橋から大きなティラノサウルスが乗り出し、その後景は、稲妻の走る荒々しい暗雲となっていた。絵の下のプレートを見ると、作品と作者の名前とともに、コメントが載っていた。

『雷鳴の咆哮  白川はじめ 作
 最初は新生橋だけを描くつもりでした。しかし、一転してこんな絵に。何を隠そう、あの日、あの場所で、私は実際に恐竜を目撃したのです!』

「ほう。」
 市長はこの絵に強くひかれた。稲妻を背にしたティラノサウルスをまじまじと見つめていると、市長の頭にパッとあるイメージが浮かんだ。
「そうだ、イルミネーションだ!」
 市長はこの絵をもとに、ティラノサウルスのモチーフのイルミネーションを新生橋に設置しようと考えた。
 いまだに恐竜事件に懐疑的な人もいるが、実際に見たという人物が現にいるのだし、その人物の絵から作るのだから、文句もあるまい。
 善は急げ、イルミネーションの時期はもう始まりつつある。市長は新生山の商工会と公園の管理団体に相談するため、ドタドタと階段を駆け戻っていった。


 十二月も中頃になり、めっきり冷え込む日が続いた。ヒロコはすでに仕事もやめて外出を控えるようになっていた。特に新生橋には近づきがたくなってしまい、橋を渡った先にある駅前の商店街やショッピングモールには行けなくなった。買い物はもっぱら近くのスーパーマーケットやネットショッピングで済ませるようになった。ヒロコはマナトにつきっきりで家に閉じこもることが多くなった。静かだが、神経の休まることのない鬱々とした日々を送っていた。

 テレビでは連日、恐竜事件が取り上げられ、本当に恐竜が現れたと思う人がしだいに多くなってきた。それにつれて、絵本を見ていたとい女性の証言者の言葉も、だんだん真実味が増してきた。証言者の言及した子どもは一体誰なのかが、世間の次の関心ごととなってきていた。

 そんなある日の午後、別沢家の玄関の呼び鈴が鳴った。ヒロコが玄関に出てみると、そこには、制服姿の若い警察官と、その後ろに体格の良い背広姿の男が二人立っていた。
「こんにちは、新生山署の警察の者です。」
 警察官は、白い息を吐きながら、如才ない笑顔で挨拶をしてきた。
「何でしょうか?」
 ヒロコは強ばった表情で応対した。
「ただ今、街の住民の皆さんに聞き取り調査を実施しておりまして。先々月のいわゆる〝恐竜事件〟について、二、三お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ……。」
 ヒロコは足元にぽっかりと深い穴が開いたような感覚がした。

「まず、あなたはあの事件で、直接恐竜を見ましたか?」
「いいえ。」
「それでは、事件当日の昼頃、どちらにいらっしゃいましたか?」
 警察官は笑顔を崩さず聞いてきたが、後ろに控えている背広の二人は、険しい目つきで睨みをきかしていた。
「ピザの配達の仕事をしていたので、その配達先にいたと思います。」
「ふーむ、そうですか……。」
 警察官はうなずき、目を伏せた。

「ところで、お子さんはこだま保育園に通っていましたよね?」
 警察官の冷徹な視線がヒロコの目をサッと見据えた。
「はい……。」
 ヒロコは思わず目を伏せた。
「今は通われてないようですね。立ち入ったことを聞くようですが、保育園に通わなくなったのは、どうしてですか?」
「それは、子どもの具合が悪くなって、一時的に休ませているだけです。体が弱いものですから……。」
「そうですか、一時的にですか……。」
 警察官は、アパートの窓にちらりと目をやった。

「今、お子さんは家の中に?」
「いえ――。」
 ヒロコは反射的に嘘をついた。
「今は実家に預けています。」
「なるほど……。」
 警察官は曖昧に頷いた。背広の男たちはアパートをじろじろと眺め回していた。
「どうも、ご協力ありがとうございました。質問は以上です。また何かありましたら、伺わせて頂きます。それでは、今日はこの辺で失礼します。」
 警察官は制帽に手をやると、背広の男たちとともに去って行った。

 玄関に取り残されたヒロコは愕然とした。今や警察までもが調査していた。警察も、実際に恐竜が出現したとみているに違いない。住民皆に尋ねていると言っていたが、本当なのだろうか? マナトが事件を起こしたと特定済みで訪ねてきたのではないのか? もしそうなら、警察はマナトをどうするつもりなのだろう。マナトを連れさってしまうのだろうか? マナトを捕らえようとしている見えない手が、すぐそこまで忍び寄ってきているような恐怖を感じた。

 ヒロコは家の中に入ると、ドアの鍵をかけた。リビングにそっと入ると、マナトの姿を確認した。マナトはまだしゃべれないので、幸いマナトの声が外に漏れる心配はない。だが、マナトがここにいることが知られてしまうのも、時間の問題かもしれない。
 ヒロコは、窓辺に近づき、閉め切っていたカーテンの端を少しだけめくった。家の前の通りには、もう警察官の姿はなかった。どうやら、そのまま帰ったようだった。
ヒロコは一人でいるのが不安になってきた。タカフミに電話しようかどうか思い悩みながら通りを眺めていたヒロコは、ふと何かの視線を感じた。

 見上げると、向かいの家の二階の窓に、じっとこちらを見ているマージばあさんの顔があった。
「!」
 ヒロコは思わず後ずさりした。いつの間にかマージばあさんが別沢家の部屋の様子をうかがっていた。
一体いつから? もしかして、警察官との話も、ずっと見ていた? ……まさか、マージばあさんが通報したから、警察が家に来たのかも……そういえば、この間、マナトを見かけないとか言っていた。あれは、マナトの居場所を探っていた?

 それとも、こだま保育園の子の親が警察に連絡したのか? あるいは、近所の誰かが、テレビの証言者のいう子どもの特徴がマナトに当てはまると通報したのかもしれない……。疑心暗鬼になったヒロコの頭に、そんな疑念がとめどなく沸いてきた。
 
その日の夜、マナトを寝かしつけた後に、ヒロコはタカフミに今日の出来事を話した。タカフミは険しい顔を崩さずにじっと聞いていたが、ヒロコが話し終えると、一言つぶやいた。

「引っ越そう。」
 タカフミはテーブルを見つめたまま言った。
「引っ越すしかない。」
「でも、すぐに引っ越し先を突き止められてしまうわよ。」
 昼間の背広の男の鋭い目つきがヒロコの脳裏に浮かんだ。
「じゃあ、どうすればいいんだ。」
 タカフミは声を荒げた。
「会社でもこの話で持ち切りだ。会社にまで警察が来たらどうするんだ。」

 タカフミは明らかにストレスで苛立っており、いつものタカフミではなかった。引っ越しには否定的なヒロコも、それならどうすればよいのかは分からなかった。
「もしかしたら、本当に住民全員に聞いて回っているのかもしれないし、警察もそんな手荒なことはしないと思うけど……。」
「そんなこと、どうして分かる? 警察がどう出るか分かったもんじゃないよ。」
 タカフミは首を振り、強く息を吐いた。
 とげとげしくなった空気に、二人は黙りこんでしまった。


 クリスマスまであと二日となった。街も人も浮き足立ち、駅前の広場や商店街はすでにイルミネーションで飾られ、夜にもなると、きらびやかな光景に見物客も賑わった。

 新生橋の欄干も修復され、そこにティラノサウルスのイルミネーションが設置された。通行の邪魔になると文句を言う人も出たが、大人でも少しかがめばしっぽの下をくぐり抜けられるので、さして問題にはならなかった。見物に来た人々が橋から身を乗り出して写真を撮ったり騒いだりと、なかなか評判だった。これに気をよくした市長は、ティラノサウルスに赤いサンタの帽子を作ってかぶせようと言い出したが、かぶせ物をすると発火の可能性があるとして止められた。

 テレビの取材班や、話題の中心になりたがるユーチューバーがやってきては、あちこち撮影して回るようにまでなっていた。新生山の街は連日騒がしくなっていった。

 それとは反対に、別沢家は窓にカーテンが引かれ、ひっそりと静まり返っていた。
 ヒロコは日増しに口数が少なくなっていた。外の通りに物音が漏れ聞こえないよう、マナトに話しかける時も、いつのまにか小声になっていた。
 自分たちが家の中にいるのを悟られないように暮らしていくのは、とても息苦しかった。まるで、時間の流れが止まったような感覚になってしまった。

「ピリリリリリ!」
 ヒロコがダイニングで頬杖をついていると、スマホの音が鳴った。いやに大きな音に聞こえた。番号を確認すると、糸井カオリからだった。
「もしもし……?」
「もしもし、ヒロコ? 久しぶり。私、糸井カオリ。元気してる?」
「ええ……。」
 ヒロコは弱々しいかすれ声を出した。
「マナト君も元気?」
「ええ、まあ。」
 カオリには、保育園を辞めるとだけ話していた。もちろん、理由は言ってない。

「今度どっかへ遊びに行かない? おちびたちを連れてさ。時間があればだけど。」
 今のヒロコにとって、時間はあり余っているようで、全くないように感じられた。時間はヒロコの家の外で流れ、まるで時間の流れに取り残されているような気がした。
「ええ、そうね……。」
 ヒロコはあいまいな返事しかできなかった。外との連絡は久しぶりで、少し自分が鈍くなった気がした。
「それでさ、ハルカがマナト君にプレゼントしたいっていうのよ。えーっと……。」
「フルー、フルルルー。」

 カオリが言いよどんでいると、電話の向こうから笛の音が聞こえてきた。
「そうそう、パンフルートっていう笛のおもちゃなんだけど。何かストローを横に並べた感じのものでさ、今もハルカが後ろで吹いてるんだけど、小さい子でも音は出せるみたいよ。」
「フルルル、ポー。」
 ヒロコは、笛を吹いているハルカの姿が目に浮かんだ。笛ならマナトも一緒に吹けるだろう。きっとまだ話せないマナトと遊べるよう、笛を選んでくれたのだろう。
「ほら、ハルカ、マナト君のお母さんよ。マナト君に伝えて欲しいことある?」
 カオリの声が遠くなると、代わってハルカの声が聞こえてきた。

「まなとくん、あめ、たべてる?」
「え?」
 何のことを言っているのか、すぐには分からなかったが、ヒロコは思い出した。マナトが保育園から帰ってくると、たまにマナトのスモックから、飴の包みが出てくることがあった。保育園でもらうものかと思っていたが、ハルカがくれたものだったのだ。その飴は、きまってのど飴だった。
「あめ、まだあるけど、いる?」
 ハルカの幼い無邪気な思いやりに、ヒロコのこわばった心がほぐれ、何か温かいものがわき上がってきた。

「……ええ、ありがとう。」
 ヒロコはそう言うのが精一杯だった。
「ちょっとハルカ、もういいの?」
 電話口からはカオリの声が再び聞こえてきた。
「ハルカがまた変なこと言って。マナト君、飴好きだったっけ? あ、ちょっと。」
 どうやらハルカに言ったらしい。
「もしもし? ゴメンね、バタバタしちゃって。それでさ、さっきの続きだけど、駅前に新しいお店が出来て……。」
「ラーララー……。」

 カオリの声の後ろで、ハルカの歌声が聞こえた。歌声に耳を集中して聞いてると、メロディに聞き覚えがあった。それは、ヒロコも小さい頃に好きだった童謡だった。よく歌っていたのを今でも覚えている。ヒロコの心に、子供のころの自分の気持ちが蘇ってきた。
 そして、ハルカの存在が自分と重なった。マナトを気にかけているのも、一緒だった。家族以外でも、マナトのことを考えてくれている人がいるのだと、実感した。

「ねえ、聞いてる? 年内はどう?」
 カオリの声が再びヒロコの耳に入ってきた。
「え? ああ、そうね。えーと、二十六日のお昼はどうかしら?」
「オッケー。じゃ、二十六日の十一時に駅前で待ち合わせね?」
「わかったわ、ありがとう。」
「うん、じゃあ、またね。」
 電話は切れた。カオリは相変わらず元気だった。カオリの活発な生活の息吹が電話口から吹き込まれ、つられてヒロコの時間も動き始めたように感じた。ヒロコの中で、再び社会とつながろうという思いが沸いてくるのを感じた。

 その日の夜、タカフミはパソコンで事件を検索していた。すると、画面にはマナトの通っていた保育園や園児の画像がズラリと映し出された。さらに検索すると、いくつかの家の画像と並んで、別沢家が住むアパートの画像が何個か見つかった。
「クソッ!」
 タカフミは握りこぶしでテーブルを叩き、ノートパソコンをバタンと閉じた。ガタンと椅子を引くと、ソファーでテレビを見ているヒロコの隣に腰を下ろした。

「何かあったの?」
「ネットを見たら、こだま保育園やこのアパートの画像がもう載ってる。」
 タカフミは吐き捨てるように言った。
 ヒロコはため息をつきながら、テレビのリモコンを手に取った。
「今から事件の番組が始まるわよ。」
 ヒロコがチャンネルを切り替えると、パチパチパチという拍手とともに〝新生山のミステリー! 恐竜事件・検証スペシャル〟という文字が、でかでかと画面に映った。ヒロコはテレビの音量を上げた。

「あらあら、おやまあ! 東京のニュータウン、新生山で起きた摩訶不思議、恐竜が現れたというのは本当でしょうか? 今夜は新生山で起きた恐竜事件を、徹底検証します。」
 ごてごてと派手なセットを背に、紺のスーツに赤の蝶ネクタイの司会者の姿が映し出された。
「今回お呼びしたのは、こちらの方々です。」
 観客の拍手とともに、司会者の左右に並んで座っている出演者たちが映し出された。

「それでは早速ですが、新生山にある花山美術大学の藤川教授にお聞きしたいと思います。」
 司会者は、右隣に座っているグレーのスーツの白髪交じりの男性に話しかけた。
「一時は、そちらの大学の仕業じゃないかという噂もありましたが――つまり、ゼミの演習だとか、卒業制作だとかですが――それは違うのですか?」
 藤川教授は畏まって答えた。
「はい。大学の聞き取りでも、私どもの大学の教師や生徒が行ったという話は確認されておりません。」
「では、アートとして恐竜を出現させた、なんてことではない?」
「少なくともうちの大学ではありません。」
「わかりました。」
 司会者は心得顔で頷いた。

「さて、藤川教授は映像がご専門だそうですが、撮影された恐竜のようなものは、立体映像として再現することは可能ですか?」
 出演者たちの後ろにある大きなスクリーンに、撮影されたティラノサウルスの映像がスローモーションで映し出された。
「今の技術でも十分可能でしょう。まあ、木を倒すことはできないでしょうが。」
 司会者はスクリーンに注目するよう、手を挙げた。
「念のため説明しますが、今まで他のニュースでも検証していますが、この撮影された映像には合成や加工などの細工の痕跡はないとのことです。それに、ご覧の通り、ゴジラの着ぐるみのようなものでもないようです。」

 司会者は今度は左隣に座っている、やせた高齢の学者の方を向いた。
「次に、古生物学が専門の古川先生にお聞きします。この映像から推測するに、この恐竜は何という種類ですか?」
「恐竜だとしたら、ティラノサウルスかねえ。まあ、私も本物は見たことはないんで、断言できんけど。」 
 先生は、細いしわがれた声で答えた。
「本物のティラノサウルスなら、木を倒すこともたやすいですよね?」
「そりゃあ、そうだろうけど。」
 古川先生は首をかしげて言った。どうやら恐竜事件自体に懐疑的なようだった。
「足跡はどうでしょうか?」
 後ろのスクリーンに、へこみのある芝生が映し出された。

「足跡の大きさや、地面のへこみ具合はどうでしょうか?」
 古代先生は白いあごひげを指でいじりながらうなった。
「うーん。足の大きさは、まあそんなもんでしょう。しかし、なんせ、恐竜の体重自体はまだ確定してないから、地面のへこみはなんともいえないねえ。」
「なるほど、ありがとうございました。」 
 古川のなんとも煮え切らない答えに、司会者は早めに切り上げた。
「映像が本物であり、しかも実際に木が倒れたりしている以上、やはり本物の恐竜が現れたのは間違いないのではないでしょうか?」
 司会者は、改めて恐竜が本物であることを強調すると、今度は藤川教授の隣にいる、頭を丸めた男を紹介した。

「さて、軍事評論家の剣持さんにも伺います。ずばり、これは軍が関係していますか?」
 剣持と紹介された男は、遠くを見るような眼差しで、太い腕を組みながら答えた。
「その可能性は低いでしょう。しかし、テレビの証言者の話が真実であるならば、軍関係者も関心を寄せているはずです。」
「軍も動いているということですか?」
「情報は集めているでしょうね。」
「そうですか。なるほど……。」

 司会者は反対側の、古川先生の隣の老人に近寄った。
「それでは宗教家の待神さん、あなたはどう見ていますか?」
 白い髭を生やした待神老人は、感情を高ぶらせていた。
「我々は、恐竜をこの世にあらしめた子を、お守りすべきじゃ。奇跡だ! 奇跡といってよい! 絵から生命を創造できるなぞ、人知人力を越えている。神のような創造力を持った子を、我々は崇めるべきじゃ。誰もやらぬのなら、わしが先頭に立ってお守りするぞ!」
 司会者は、待神老人のあまりの激情にたじろいだ。
「そ、そうですか。わかりました。それでは最後に、超常現象研究家の宇野さん、どうですか?」

 UFOのような形の黒い帽子をかぶった若い宇野は、ぼそぼそとしゃべった。
「そうですね。これはやはり、タイムスリップでしょう。何らかの原因で、恐竜が生息していた時代の時空が歪んで、現代にタイムスリップしてきたのだと思います。」
「タイムスリップですか?」
「ええ。恐竜の絶滅は、巨大な隕石の衝突が原因という説が有力なのは、皆さんもご存じですよね? 隕石が衝突した時に時空の歪みが生じたというのは、ありえますよ。」
「とすると、現場にいた絵本の子どもは関係ない?」
「関係ない、とは言い切れませんが、まあ、偶然でしょう。」

「偶然じゃと?」
 待神老人が隣に座る宇野の言葉にかみついた。
「貴様は何を言っておる! 恐竜の絵を触ったら、偶然、恐竜がタイムスリップしてきただと? そんな偶然あるわけないではないか! だったら、お前がUFOの絵でも触って、UFOを出してみろ!」
「いや、そういうことではなくて……そもそも、宇宙人は我々より高度な技術を持っていて、もっと高次元の世界で……。」
 唾を飛ばしながらまくし立てる待神老人の剣幕に、宇野の声はいっそう小さくなった。
「ごちゃごちゃ屁理屈をぬかしおって。そんなことなら、奇跡の力を持った子が生まれる方が、よっぽど確率は高いわい。」
 待神老人がそう吐き捨てると、反対側から声が上がった。

「子どもを保護して、その後どうするんですか? 教祖にでもするつもりですか?」
 薄笑いをした剣持は、顎を指でさすりながら言った。
「お前こそ、その子を戦争にでも利用する気じゃろう。」
 待神老人は目を据えて剣持をじっと見たが、剣持は表情を変えなかった。
「軍事研究は、戦争ばかりが成果ではありませんよ。知らないんですか? 軍事研究から生まれた製品、サービスは少なくないのです。軍が研究すれば、より便利な社会を築く手助けになるかもしれませんよ?」
「私はもう一回ティラノサウルスを出してもらって、研究してみたいですね。もしそんな能力があるのなら。」
 古川先生がのんびりとした口調で口を挟んだ。

「待神さんは、神様でも出してもらいたいんじゃないですか?」
 剣持がせせら笑って言った。
「そんなことはない! 冒涜だ! お前は冒涜している!」
 待神老人は立ち上がって、剣持を指さした腕を激しく振った。
 司会者は慌てて間に入った。
「まあまあ、お二人とも落ち着いて下さい。とりあえずその子どもが誰なのかが分からないと、真相も明らかにならないでしょう。私としましては、ぜひ一度、この番組に出演してもらいたいですね。もしこの番組をご覧になっていたら、ご一報下さい。もちろん、出演料ははずませていただきますよ。」
 司会者のいやらしいにやけ顔が画面いっぱいに映し出された。

「プツン。」
 タカフミはテレビのスイッチを切った。
「どいつもこいつも、マナトの力を悪用することしか考えてない。」
 タカフミは苛立たしげにため息をついた。
 二人はしばらく黙っていたが、ヒロコが重い沈黙を破って口を開いた。

「ねえ、パパ。この際公表した方がいいんじゃないかしら。」
「え?」
 タカフミは耳を疑った。
「何を言ってるんだ?」
 ヒロコはタカフミを見つめて言った。
「このままだと、事態は悪くなる一方だわ。このまま追い詰められるよりかはいいと思うの。」
「だけど、マナトがどうなるか……。」
「だいたい、こんな能力があること自体、マナトの責任でもないし、私たちの責任でもないわ。」
「それはそうかもしれないけど、それでも、マナトを守らなくちゃならないことには変わりはない。」

 タカフミの胸の内には、父親として家族を守らなくてはという責任感が強くあった。
「でも、隠すことばかりが守ることじゃないんじゃない? このままマナトを家にかくまっていても、それがマナトのためになるとは思えないわ。マナトだって、社会の中で生きていくんだから。」
 ヒロコの言葉には、ヒロコ自身の気持ちもいくらか混じっていた。
「……。」

 タカフミは額に手を置いて考え込んだ。確かにこのまま隠れ続けても、問題の解決にはならないとは思う。かといって、世間に公表するのはやはり危険だ。テレビやネットでこんなに取り上げられてしまっているし、出版社に勤めているタカフミには、十分すぎるほど分かっていることだった。

「これはもう、社会全体で共有する問題よ。」
 ヒロコの声は、ノックの音のように部屋に響いた。
「社会で、か……。」

 タカフミは独り言のようにつぶやいた。確かに、もはや自分たちだけで対処できる問題ではなくなった。このまま籠城して徹底抗戦するのか、それとも共通の問題として分かち合うのか。どちらを選択するのかを、今まさに迫られていた。〝社会全体で共有する問題〟……それなら、社会の力を借りることも必要なのかもしれない。そう思うと、マナトを守ろうと気負いすぎていたタカフミの肩の荷が、少し軽くなる気がした。

「分かったよ。でも、後ろ盾なく公表するのは、やっぱり危険だと思うから、警察の力を借りよう。いったん公表すればもう後戻りはできないけど、いいんだね?」
 ヒロコは頷いた。
 タカフミはスマホで一一〇番をかけた。長い呼び出し音の後、電話口に若い警官が出た。

「新生山警察署です。」
「あの、恐竜事件のことで相談があるのですが。」
「えーと、そちらのお名前は?」
「別沢タカフミです。」
 タカフミがそういうと、若い警官は慌てた声を上げた。
「ちょっと待って下さい。上につなぎますから。」
 しばらくして、中年の男の声が聞こえてきた。
「もしもし、こちら署長の守川です。」
「恐竜事件のことですが。」
 そういうと、守川署長はすぐに反応した。
「別沢マナト君のことですか?」
「はい、そうです。」

 タカフミは、守川署長がすぐにマナトの名前を出したのに驚きつつも、これまでの経緯を話し出した。マナトが触れたらシンデレラのような女性が消えたこと。その後、確認のために絵本からレンガを出したこと。
「その時はどうやって出したんですか?」
 守川署長は事件の核心の部分を聞いた。
「絵本の絵に手で触って、手を空中で動かすと、目の前に出てくるんです。」
「ふーむ、絵を触ってですか。」

 続いてタカフミは、恐竜が新生橋に出現した時に、マナトが保育園の遠足で渡り池公園に行っていたことを話した。しかし、これはすでに警察も把握していた。すべて話し終えると、守川署長は落ち着いた声で言った。
「分かりました。実は警察の方でも、ある程度調査していたんですよ。事の真偽と、どう対応すべきかを。」
 やはり、とタカフミは思った。警察が家に来たのは、そういうことだったのだ。

「今後どうしたいか、希望はありますか?」
「私たちは、ただ普通に暮らしたいんです。騒ぎが収まるまで、警察に保護してもらえればと思ってます。」
「お子さんについては?」
「いずれマナトの能力をなくす方法を見つけたいです。こんな能力を持っていても、マナトにとって良いことはありませんから。」
「そうですか、そちらの希望は分かりました。こちらとしては、お子さんの能力が本当にあるのか検証する必要があります。能力をなくす方法云々は、それからの話になるでしょう。まずは検査のための施設にご家族で数日宿泊してもらうことになると思いますが、よろしいですか?」
「はい。」
 タカフミは頷いた。
「それと、マスコミにはこれ以上騒がないよう要請しますから、ご安心下さい。」
「よろしくお願いします。」
 タカフミはほっとした。
「それでは、明朝そちらに伺いますので。」
「分かりました。」

 電話を切ると、タカフミは深く息を吐いて、ヒロコに電話の内容を伝えた。
「明日の朝、警察が来てくれるってさ。」
 ヒロコは頷いたまま、黙っていた。タカフミも口を開かなかった。
二人ともくたびれていた。神経をすり減らす日々に、疲労困憊だった。これからどうなるのかまだ分からないが、とりあえず道筋は見えてきたことに、二人は安堵を覚えた。

 タカフミは会社の上司に休暇申請のメールを送ると、ヒロコとともには宿泊の支度を始めた。正直、この選択で良かったのか、迷っている部分もまだあった。しかし、じわじわと首をしめられるような状況を打破するには、これ以外ないようにも思えた。
 支度を終えて寝室に入ると、マナトの寝ている姿があった。降りかかってしまった災難から、このあどけない寝顔のマナトを守らなければと、改めて思わされた。マナトの頬をなでると、二人は早々に床についた。

 別沢家の灯りが消えてしばらくたった頃、一台の黒い車が暗い夜道を走っていた。街灯に照らされて、運転席に鋭い目付きの男の顔が浮かんだ。
「アニキ、本当にやるんですかい?」
 ドンジが後部座席で不満げな声を出した。
「なんだ、怖じ気づいたのか?」
 男は前を向いたまま言った。
「いや、そうじゃねえですが、本当なんですかねえ、その坊やの力ってのは。骨折り損にならなきゃいいけどなあ。」

 ドンジは窓の外をのぞくと、ガラスに顔をひっつけた。
「あれ? アニキ、雪が降ってきましたぜ。通りで冷えるわけだ。」
 運転席の男は、ミラー越しにドンジをにらんだ。
「おい、あまり目立つようなことをするなよ。じきに着くから、じっとしてろ。」
 ドンジは顔を引っ込めると、所在なさげに座席をさすって、その感触を確かめた。

「そういや、どうやって突き止めたんですかい? その坊やの居場所は。」
「今の時代、情報はすぐにネットに出回る。目立つものや不審なものは、どこぞの馬鹿がすぐに情報として挙げちまう。まったく、嫌な世の中になっちまったな。」
 男は苦々しげに口元をゆがませた。
「だが、その馬鹿のおかげで、オレ達が狙う獲物が見つけやすくもなるわけだ。坊やもオレ達も、今や世間から身を隠さなければならない身の上だ。お互い不便な生活を強いられている追われ者同士、仲良く協力しようじゃないか。」
 男はニヤリと笑った。

 車はやがて別沢家の前に着いた。もう夜も更けて、あたりは静まりかえっていた。
「よし、着いたぜ。いいか、決して乱暴な真似はするなよ。とにかく騒がれずにさらうことが第一だ。今度はヘマすんじゃねえぞ。」
「へへ、わかってますって。それじゃ、仕事に取りかかりましょうや、アニキ。」
 男たちは車から降りると、アパートの中へ忍び込んでいった。

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