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奇跡の子 第2話

 八月のとある休日、タカフミは寝室にこもって、絵本の制作をしていた。何か集中して作業したい時は、いつも一人になるのが常だった。それに、今回はマナトに絵本を見せないためでもあった。マナトはリビングで昼寝をしていて、ヒロコは友達に会いに出かけていた。

 タカフミは、早く絵本を完成させようと熱心に取り組んでいた。自分の手で(もちろんヒロコも半分描いているが)初めて本を作るということ自体に、夢中になっていた。こうして作業に没頭していたので、ヒロコが帰宅したのには気づかなかった。それどころか、見知らぬ他人が家に侵入しているとは、思いもよらなかった。

「ただいま。」
 ガチャリと鍵が開けてドアを開けたヒロコは、買い物袋を上がり框にドサッと置いた。帰りにスーパーに寄ってきたのだが、つい買いすぎてしまったのだ。玄関の鍵を閉めて、靴を脱ごうとした時、ヒロコは何か違和感を覚えた。家の中の雰囲気が何かおかしい。耳をすまして様子をうかがったが、特に物音はしなかった。妙なひっかかりを感じながらも、リビングのドアを開けると、そこには女が立っていた。

「え?」
 ヒロコは一瞬、目を疑った。 
 淡いブルーのドレスを着た、金髪の女の後ろ姿が、そこにはあった。女はドアの音に気づいて、レースのスカートをふわりとさせて振り向いた。

「あなた、誰?」
 ヒロコはつぶやくように言った。ドレスの女は、ヒロコを無視するように部屋を見回すと、
「あら、ここはどこかしら?」
 と、おおげさに両腕を広げて、長いまつげをパチパチ瞬かせた。そんな場違いな仕草と格好に、ヒロコは何だか苛立ち始めた。
「何言ってんのよ、あんた。なんで私の家にいるのよ? どこから入ってきたの?」
 ヒロコはその女をジロジロと、睨みながら問い詰めた。

 女はいかにもびっくりしたという表情を作り、
「わたくし、知らないわ。それより、わたくしはこんなところにいる場合じゃありませんの。お城にもどらなくては。」
 と、相変わらずヒロコをまともに相手にせず、辺りをキョロキョロ見た。ヒロコの目じりの下の筋肉がピクっと動いた。自分の家から、早くこの場違いな格好の女を追い出したい欲望にかられた。
「パパ! いるんでしょ? ちょっと来てよ!」
 このままでは埒があかないので、ヒロコは声を荒げてタカフミを呼んだ。

 タカフミは、リビングから声がするのにようやく気づき、顔を上げた。どうやら、いつの間にかヒロコが帰ってきており、自分を呼んでいるようだった。作業を中断してリビングに向かうと、いきなりすごい剣幕のヒロコが怒鳴ってきた。

「何なのよ、あの女は!」
「え?」
 訳が分からないまま腕を引っ張られた先でタカフミが目にしたのは、お姫様のような女性の姿だった。
「え、誰?」
 タカフミも初めて見る女性だった。
「誰じゃないでしょ! 説明しなさいよ。」
 ヒロコに睨まれても、タカフミには全く身に覚えがなかった。
「知らないよ、初めてみる。いつからいたんだい?」
 タカフミは眼鏡のフレームを持ち上げて、調べるように目を凝らして見つめた。

「わたしが帰ってきた時には、すでにいたわよ。」
 女性は、二人の言い合いには無関心な様子で、
「ちょっと、どいてくださらない? わたくし、王子様のもとへ行かなくてはならないの。」
 といって、ドアの前にいる二人の間に割り込もうとしてきた。女の厚かましさと傍若無人ぶりに、ヒロコの怒りは爆発した。
「ふざけないでよ!」
 ヒロコは女の肩をドンと押した。

「キャア!」
 女性はハイヒールをコツコツ鳴らして背泳ぎをするように腕を回しながら、よろめいた。そして右足を蹴り上げると、片方の靴を空中に飛ばしてひっくり返った。長いスカートがめくれ上がって倒れる瞬間、女は眩い光を発した。白く光ったと同時に女は消え去り、光の中からマナトの姿が現れた。

 タカフミとヒロコは固まってしまった。そしてゆっくりと顔を見合わせた。一体何が起きたのか、目の前の出来事が信じられなかった。タカフミは青いドレスの女性が残していった物を拾い上げた。それは、ガラスの靴だった。タカフミは指の甲でたたいたり、持ち上げて透かして見てみたが、どうやら現実に存在するものらしかった。

 タカフミはガラスの靴をヒロコに見せたが、気味が悪いのか、ヒロコは触ろうとはしなかった。
 ヒロコが落ち着いてきたのでもう大丈夫と思ったのか、マナトがヒロコに近寄った。ヒロコはしゃがんでマナトを受け止め、抱きしめた。マナトの顔をのぞいてみたが、マナトには異常はないようだった。ヒロコが顔を上げると、マナトが歩いてきたその向こうに、絵本が開いてあるのが目に入った。

 ヒロコの頭に、ある予感が沸き起こった。その不吉な予感は徐々に膨らんで、ヒロコは絵本から目をそらすことができなかった。

 タカフミはそんなヒロコの様子に気づき、ヒロコの視線の先の方へ歩いて行った。そして絵本を手に取ってみた。絵本の表紙には、「シンデレラ」と書かれてあった。
 タカフミは、しばらく絵本に目をとめると、ふとヒロコの考えていることに気づいた。
「シンデレラか。……まさか、ね。」

 タカフミは笑った。いくら何でも、そんな馬鹿な話はない。いくら出版社に勤めていても、そこまで本に力があるとは思うはずがない。タカフミはヒロコに絵本を手渡した。ヒロコは表紙を見てみたが、表紙に描かれたシンデレラは、先ほどの女とそっくりだった。

 ヒロコの腕から自由になったマナトは、ヒロコが持っている絵本を取ろうと手を伸ばした。だが、ヒロコはシンデレラの顔をちゃんと確認したかったので、立ち上がって絵本をマナトの手の届かない高さまで持ち上げてしまった。

すると、マナトは絵本をあきらめて、タカフミの方へ近づいた。そして、今度はタカフミの持っているガラスの靴に手を伸ばした。タカフミは慎重に手渡そうとしたが、マナトの指が靴に触れると、ガラスの靴がパッと光った。タカフミは思わず手を引っ込めた。すると、ガラスの靴は二人の手の間で消えてしまった。

「ママ!」
 タカフミは叫んだ。
「ママ、見たかい? 今、マナトが触れたら、ガラスの靴が消えたんだ。さっきの女性と同じように、光って消えた。」
 タカフミは興奮してヒロコに説明したが、ヒロコは額に手を当ててしばらく黙り込んだ。そして、首を振りながら言った。
「パパ、もしかしたら、今見たことはすべて幻だったんじゃ……。」

 ガラスの靴も女性も消えて、今や証拠となるものは存在しなくなったので、ヒロコはその可能性にすがりたいようだった。
「まさか……。ガラスの靴の感触は確かにあったし、マナトが触れて消えたのを、目の前で見たんだ。ママだって確かにドレスの女に触っただろう?」
「でも、それなら、どうしてこんなことが……?」
「それは……。」

 タカフミは言葉に詰まってしまった。マナトが関係していることは明らかだった。どうしてと訊ねた当のヒロコでも、それは分かっていた。しかし、できれば認めたくないことだった。二人は沈黙したまま、床を見つめた。
 重い空気の中、タカフミはおもちゃ箱から他の絵本を取り出してきた。
「ママ、マナトをこっちに座らせて。」
 そういって、リビングの真ん中で絵本を開いて置いた。ヒロコはマナトを絵本の前に座らせた。

 タカフミはマナトの斜め前にしゃがみこみ、ヒロコはマナトの後ろに回って、マナトの一挙手一投足を見守った。
 マナトは、大きな目でじっと絵本を見つめると、絵本に手を伸ばした。マナトが指先でレンガのブロックを触った。二人は息を凝らして注視した……が、何も起こらなかった。

 タカフミが不安と安堵の入り交じったため息をついて、立ち上がろうとした時、マナトが両手の指を空中で動かした。すると、マナトの目の前に、一瞬の光とともに赤茶色のレンガがごとりと出現した。

 タカフミとヒロコは顔を見合わせた。タカフミはレンガを手に取って揺すってみたが、ずっしりとした確かな重みがある。指にはザラザラとした固い土の感触もあった。
「本物だ。」
 タカフミに手渡されて、ヒロコも指先でレンガをこすってみたが、固くてひんやりとした感触が確かにあった。
 マナトは変わらず絵本を見続けていた。

「信じられないが……。」
 タカフミは大きく息を吐いた。
「こういうことらしい。」
 ヒロコはレンガを見つめたまま動かなかった。まだ現実を受け止められなかったのだ。
「どうしてこんなことに……。」

 タカフミの頭にはごちゃごちゃとした考えが浮かんできた。
 まさか、自分たちの子が、絵本で触ったものを現実に実体化させることができるなんて……。そういえば、粘土で遊んでいる時も空中で指を動かしていたが……しかし、だからといって……。そもそもいつからこんな能力が?

 テーブルの上に飾られた食品サンプルが、タカフミの目に入った。
 まさか、食品サンプルを作りに行ったことがきっかけに? そういえば、レタスがあっという間にできるのを、目を輝かして見ていたが……。

 タカフミはふと思いついて、本棚の雑誌を取りだしてきた。マナトは写真からも実体化できるのか、試そうと思ったのだ。マナトに触らせてみたが、結果は、写真からは無理だった。どうやら、マナトの能力は、触った絵本の絵からしか実体化できないらしい。

 タカフミはマナトの大きな目をのぞきこんだ。マナトの瞳は、吸い込まれそうなくらい黒く深い色をしていた。マナトの目には、この世界がどう見えているのだろうか。マナトにとっては、絵本の世界も現実の世界も区別がないのだろうか。少なくとも、自分とは異なる世界を見ているのだろう。それにしたって、こんな能力があるなんて……。

「どうするの、これから?」
 ヒロコはタカフミに聞いた。ヒロコはだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「どうするっていわれても……。」

 二人が無言で突っ立っていると、ヒロコが手に持っているレンガをマナトが触ろうとした。マナトの指が触れた途端にレンガは消えた。ヒロコは、自分もレンガと一緒に消えてしまうのではないかと思って、反射的にパッと指を広げた。しかし、ヒロコはもちろん消えることはなく、消えたのはマナトが実体化した物だけだった。

 マナトがさらに手を伸ばしてヒロコの手をつかもうとすると、ヒロコは思わず手を引っ込めてしまった。しかし、すぐに思い直して、マナトの手に自分の手を重ねた。すると、マナトはギュッとヒロコの手を握って、ヒロコを見つめて笑顔をみせた。ヒロコは、一瞬だけでもマナトを触れてはいけないもののように接してしまったことを後悔した。マナトのあどけない笑顔を見ていると、マナトは変わらずマナトである、という思いが強くなってきた。ヒロコはマナトの手を強く握り返した。
 

 タカフミとヒロコは、このあと今後のことを話し合った。
 一、マナトには絵本を見せないこと。家中の絵本を押し入れにしまい、保育園でも見せないようにお願いすること。
 二、他人には秘密にすること。
 三、マナトを今まで通り、普通の子として接すること。
 以上の点を確認し終えると、その日二人はようやく床に就いた。

 この「シンデレラ事件」から二か月間ほどは、別沢家の日常は平穏に過ぎていった。もっとも、「シンデレラ事件」のあった次の日に、さっそく向かいのマージばあさんにあれこれ〝事情聴取〟を受けた。二人の騒ぎ声が外まで漏れていたのだ。しかし、マナトの事はふせながら、何とか上手くごまかした。

 マナトは変わらず保育園に通っていた。保育園の先生には、マナトは絵本のインクの臭いが苦手だから絵本に近づかせないようにとお願いした。
 タカフミは、あれからマナトの能力に関して調べてみたが、解明には至らなかった。

 3Ⅾプリンターなんて物が世の中にはあるが、マナトの能力はそれ以上だ。物が出現するどころか、命のあるものを生み出してしまうのだ。飛び出す絵本どころの話じゃなく、絵を現実に飛び出させてしまう能力。こんな能力を、一体どうして身につけたのだろうか。粘土遊びをしていたら、絵本の絵を現実に作れるようになったのだろうか。

 調べていくと、〝共感覚〟という言葉を見つけた。一つの刺激に対して、複数の感覚が反応する現象とある。視覚と触覚が連動するケースを考えてみたが、どうも違うらしい。共感覚は入力の方向らしく、マナトのように実体化という出力の方向は当てはまらないようだった。

 さらに調べを進めていくと、〝脳の可塑性〟という言葉に当たった。簡単に言うと、脳の機能や構造は変化し得るということだ。もしかしたら、何かの拍子でマナトに変化が起こり、能力も消失するかもしれない。慌てて動くよりも、もう少し様子を見てみた方がいいのではないかと、タカフミは思った。

 作成している絵本については、当初の予定より遅くなったが、タカフミはなんとか完成させた。もともとタカフミは絵本の制作には張り切っていたが、「シンデレラ事件」の後、めっきりはかどらなくなってしまった。それというのも、たとえ絵本が出来上がったとしても、マナトには見せられないからだった。マナトを抱っこして絵本には触れさせないようにしながら見せることも考えたが、大事を取って、やはり見せないことに決めた。

 マナトの能力自体、まだはっきりとは分かっていなく、もしタカフミやヒロコの絵が実体化してしまったらと考えると、恐ろしかった。もう一人の自分やヒロコになんて、会いたくもない。こんなわけで、完成した絵本を厳重に保管すべく、引き出しの奥にしまって鍵をかけた。

 ヒロコは配達の仕事を続けていた。配達先が増えていくにつれて、ますます地元に詳しくなり、住民との交流が増えた。自分の世界が広がっていく実感があった。しかし、やはりマナトのことが気がかりだった。どうにかしようにも、医者には診せられない。解決できないままじりじりと過ぎていく、少しずつだが確実に重苦しくなる日々が、笑顔で配達をするヒロコの顔に影を差していた。

 タカフミとヒロコは、不安を抱えながらも落ち着いた日々を過ごしていたが、そんなひっそりとした生活すら送れなくなってしまうが起きてしまった。

 十月のある晴れた日、こだま保育園では秋の遠足が催された。年長の園児たちが渡り池公園に遊びに行くことになっていた。新生橋とは反対側にある公園の駐車場に停めた黄色のバスから、水色のスモックの上に黄やピンクの帽子をかぶった園児たちがわらわらと降りたった。先生たちに引率された園児たちは、森に囲まれた広い芝生に着くと、羽を伸ばして遊んだ。ミヤ先生にくっついておしゃべりしながら散歩したり、ひげを生やした〝クマさん〟と呼ばれる男の先生と追いかけっこをしたり。園児たちの騒ぎ声や笑い声が、澄み切った青空に響いた。

 やがて園児たちは移動することになった。森の小道を抜けて田んぼを通り過ぎると、新生橋を望む広場に出た。ここの芝生に座ってみんなで昼食を取ったら、すぐ近くの駐車場に移動してきているバスに乗って帰る予定だ。園児たちはめいめい、芝生に敷いたレジャーシートに座ってお弁当を広げた。

 広い芝生の所どころでシジミチョウが飛んでいたり、チワワとトイプードルが飼い主の女性たちの足元で、立ち話が終わるのを所在なさげに待っていたりしていた。

 園児たちの半分くらいが食べ終わった頃、荷物を片付けたり、トイレを済ませたりと、園児たちの動きが少し慌ただしくなり始めた。マナトは早めに食べ終わり、芝生をぶらぶら歩いていた。鏡池の方へ降りていくと、新生橋が正面に見える所でイーゼルを立てて絵を描いている白髪まじりのおじいさんを見つけた。マナトは立ち止まって、キャンバスをのぞき込んでみた。

「どうだい、上手くかけてるかい?」
 おじいさんはマナトに気づいて、絵筆を動かしながら笑いかけた。新生橋を斜め下から見上げる構図で、橋の向こうには白い式場が建っていた。もう完成間近で、ほとんど描き終えているようだった。
「今度の市のコンテストに応募するんだよ。」
 マナトは指を口に当ててしばらく見ると、またふらりと歩き出した。

 芝生をの斜面を登っていくと、若い女性と小さい子が、橋の近くの木陰に腰を下ろしているのが目に入ったので、気になってそちらに向かった。
 ひらひらとした白いポンチョを着た若い母親は、芝生に空色のレジャーシートを広げて、子どもを遊ばせていた。子どもは一歳くらいの男の子で、白いロンパースに身を包んで動き回っていた。母親は、レジャーシートの端で立ち止ったマナトに気づいた。

「ほら、ユウ君。おにいちゃんがきたよ。」
ユウ君と呼ばれた子は、母親が指さした方に顔を向けてマナトを見つけると、そのまま這い這いしながら向かっていった。マナトはうれしそうにその子をじっと見つめて待ち受けた。
「どこの保育園の子かな?」
 母親はマナトに聞いたが、マナトはちらりと目を向けただけで、何も答えなかった。ユウ君に視線を戻そうとした時、マナトはベビーカーのそばに絵本があるのが目に入った。マナトは絵本の近くに寄って、じっと見つめた。

「ああ、絵本ね。読みたいの?」
 母親はマナトの視線に気づいた。マナトがずっと絵本を見つめているので、母親はユウ君に言った。
「ユウ君、おにいちゃんが絵本を読みたいんだって。一緒に読もうか?」 
 母親は、ユウ君の隣に座って、絵本をユウ君とマナトの間に置いた。マナトはしゃがんで、絵本がめくられるのを心待ちにした。絵本を見るのは久しぶりなので、マナトは興奮気味だった。

「じゃあ、始めるよ。」
 母親は表紙をめくった。マナトは描かれている絵に目が釘付けになった。マナトも見たことがある生き物が描かれていた。
 マナトは思わず絵本に手を伸ばした。そして絵本の絵に触れ、空中で指を動かした。

「キャッ!」
 母親の後ろで、大きな眩い光が炸裂した。まるで、強いフラッシュがたかれたかのようだった。
 母親はびっくりして思わず振り向いたが、そのまま固まってしまった。

 そこには、大きな恐竜がいた。
 ティラノサウルスだった。

 母親は、何が起きているのかすぐには理解できず、口をぽかんと開けていた。

「ワンワン、ワン!」
 チワワが飼い主の持つリードを引っ張って、けたたましく吠え立てた。
 犬の声に母親は我に返り、男の子を抱き上げると叫びながら走り出した。

 絵描きのおじいさんは、何やら周りが騒がしいので、キャンバスから顔を上げた。若い女性が叫びながら走り去って行くのが見えたが、何が起きているのかまだ分かっていなかった。

 吠え続けるチワワに園児たちは振り向き、チワワの吠える方向に顔を向けた。
「あっ、なんかいる!」
「先生、あれなに?」
 園児たちをまとめてトイレに誘導しようとしていたミヤ先生は、そう聞かれて振り返った。子どもを抱えて走ってくる女性の向こうに、巨大なティラノサウルスの姿が目に入ったが、ミヤ先生もぽかんとした。はじめ、大きなぬいぐるみか、そういう新しい遊具ができたのかと思った。体やしっぽが動いているのが見えても、それが本物の恐竜だとは思えなかった。

 ティラノサウルスはぐるりと巨体を動かして車道の方へ体の向きを変えた。しっぽの付け根が引っかかって、桜の木がミシミシと音を立てて傾き、ベビーカーが斜面を転げ落ちていった。ティラノサウルスがのっしのっしと車道に出ると、そこに新生山の駅から大型トレーラーがやってきた。

「キキーッ!」
 トレーラーの運転手は慌ててハンドルを切りながら、急ブレーキをかけた。トラックはティラノサウルスの数メートル手前で斜めに止まり、道路を塞いでしまった。後続の車も慌てて止まってクラクションを鳴らした。
ティラノサウルスはそれに驚いたのか、ドシン、ドシンと足音を鳴り響かせて橋を渡ろうとした。橋を渡っていた通行人はその光景に驚いて、固まってしまった。

 橋の住宅街側では、トラックとバスが行き違いになっていた。トラックは、ティラノサウルスに気づいていないのか、赤信号で止まったままだった。バスの運転手は、正面に現れたティラノサウルスが迫ってきていたが、前に進めるわけもなく、動くに動けない状況だった。

 ティラノサウルスは橋の上で逃げ場を失ってしまった。ティラノサウルスは橋の真ん中でうろうろした後、欄干に足をかけると、大きな口を開けて、地響きのような太い声を轟かせた。
「グオオアアオ!」

 このひと吠えでスイッチが入ったように、周りはパニックになった。園児たちは火が付いたようにギャーギャー騒ぎ出した。ミヤ先生も、まるで金縛りが解けたように両手を広げ、険しい顔で声を張り上げた。
「みんな、向こうへ逃げて! バスに乗って! 早く!」

 ミヤ先生やクマ先生たちは、蜂の巣をつついたように駆け回る園児たちを駐車場の方へ追い立てた。勇敢にティラノサウルスに向かって吠えていたチワワも、飼い主と一目散に逃げ出した。絵描きのおじいさんも驚いて立ち上がったが、そのまま橋の上の光景を凝視しているだけだった。その橋の上もまた大騒ぎになっていた。バスの乗客は悲鳴を上げて後部座席の方へかたまり、渋滞で動けない車からは運転手たちが降りて我先に逃げまどった。

 そんな中マナトは、倒れた桜の木に通せんぼをされたので、車道のティラノサウルスに近づこうにも近づけなかった。そしてティラノサウルスが橋の上に顔を出すと、マナトは鏡池の中に入っていき、ティラノサウルスに触ろうと両手を伸ばした。芝生の広場を見たティラノサウルスは、橋の下をちらりとのぞくと、躊躇なくその巨体を空中へ躍り出した。

 鏡池まであと三メートル、二メートル……、ティラノサウルスの巨大なあごが、マナトの頭めがけて、振り下ろされようとしていた。
「潰される!」おじいさんが心の中で叫んだ。

 しかし、ティラノサウルスがマナトにのしかかる瞬間、ピカッと光り、ティラノサウルスの姿は跡形もなく消え去った。鏡池には幾重に重なる波紋が広がり、水しぶきが舞う中、マナトはぽつんと立っていた。

「馬鹿な、消えたぞ!」
 おじいさんは思わず叫んだ。

 几帳面に荷物を片付けている園児を急き立てていたミヤ先生は、おじいさんの叫び声を聞いて、振り返った。すると、おじいさんが池の方へ降りていくのが見えた。なんでそんな危険なことを、と目で追っていたが、気づけば妙に辺りが静まり返っていた。

〝消えたって、恐竜が消えたってこと?〟

半信半疑ながらも橋の方に用心しながら近づくと、確かに恐竜の姿はどこにもなかった。橋の上から恐る恐る顔を出して広場を覗きこんだ通行人たちも、何も見つけられないようだった。ただ鏡池の中に、ずぶ濡れになった園児がひとり突っ立っているのが見えるだけだった。ミヤ先生は急いで芝生を駆け下りた。

「こっちにきなさい!」
 ミヤ先生はマナトの手を引っ張って、池から引き上げた。念のため辺りを見回したが、恐竜の姿はどこにもなかった。
「大丈夫? 痛いとこはない?」
 ミヤ先生がマナトの肩を掴んで聞いても、マナトはきょとんとしていた。どうやら、怪我はないようだった。

「大丈夫ですか?」
 クマ先生が、芝生の上から声をかけてきた。
「クマさん、マナト君をバスまで頼みます。」
 といって、マナトの背中を押した。
 マナトがクマ先生のもとへ芝生を駆け上がっていくのを見届けると、ミヤ先生は橋を見上げた。確かに橋の上に恐竜がいたはず……。おじいさんもぽかんと口を開けて橋を見上げていた。

「恐竜はどこにいったんです?」
 何が起きたのか、ミヤ先生は聞きたかった。しかし、おじいさんは、
「消えたんだよ……。」
 と呟いたきり、黙ってしまった。

 ミヤ先生が芝生を上がると、散乱した荷物とレジャーシートがあった。桜の木が倒され、土ぼこりが漂っていた。時間にして数十秒だが、確かに恐竜は存在していたし、他の人たちも目にしていた。しかし、どういうわけか、忽然と消えてしまった。ミヤ先生は、狐につままれたような顔をして、立ち尽くした。


 この騒ぎが起きた頃、ヒロコは配達先のある老夫婦の家にいた。ヒロコが働き始めた頃からの、もう顔なじみといってもよいくらいのお客さんだった。

「はい、ちょうどですね。」
 ヒロコは、ピザの入った箱を奥さんに手渡して、代金を受け取った。
「いつもありがとうね。」
 白髪の奥さんが優しい笑顔でお礼を言った。
「とんでもないです。こちらこそ、毎度ご利用ありがとうございます。」
 ヒロコも笑顔で軽くお辞儀をした。
「今の時間は忙しいの?」
 そう奥さんに聞かれ、
「いえ、もうお昼過ぎなので、そこまででは。」
 とヒロコは答えた。
「よかったら、ちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ。外はまだ暑いし、疲れたでしょう。」
 ヒロコは迷ったが、せっかくのご厚意を無下に断るのもと思い、ありがたく一休みさせてもらうことにした。
「どうも、すみません。それじゃ、お言葉に甘えて一杯だけ。」

 ヒロコが靴を脱いでいると、奥の部屋から、だんなさんがスマホを片手に出てきた。
「今電話があったんだけど、白川さん、珍しく興奮してたよ。」
 だんなさんは苦笑しながら、奥さんに言った。
「あら、なあに? 何かあったの?」
「近所で恐竜を見たって。」
 だんなさんの言葉に、靴にかけていたヒロコの手は止まった。
「恐竜?」
「渡り池公園で絵を描いていたら、恐竜が出たんだとさ。」
 だんなさんはバカバカしいとばかりに笑った。

 渡り池公園といえば、今日、マナトが遠足に行っているはず……まさか、マナトが……でも、絵本から遠ざけて欲しいと保育園にはお願いしているし……。嫌な予感が頭によぎったその時、ヒロコのポケットの中で、スマホが鳴った。慌ててスマホを取り出して見てみると、保育園からのメールだった。

〝渡り池公園で昼食を終えた頃、騒ぎがあってすぐに保育園に帰ってきました。園児たちにケガはありませんが、興奮している子もいます。私どもも状況を把握できておりません。騒ぎというのは、恐竜が現れて、そして消えたという出来事が起こって……〟

 引きつった目で文面を追っていたヒロコの視界がぐらりと揺れた。なんとかマナトは無関係であって欲しいと祈ったが、これはもう、マナトの能力に違いなかった。
「あの、奥さま。用事を思い出したので、これで失礼します。」
 ヒロコは奥さんに一礼すると、足早に立ち去ろうとした。
「あら、そうなの?」
 奥さんは、急いで玄関から出て行くヒロコを見送った。

 ヒロコはピザ屋にバイクを置いて早退させてもらうと、急いでこだま保育園に向かった。たくさんの保護者がすでに園児を迎えに来ていて、園庭のあちこちで立ち話をしていた。その人だかりの中を縫うようにして玄関までたどり着くと、ミヤ先生がいた。

「別沢マナトの母です。」
「ヒロコさんですね。今、マナト君を呼んできます。」
 ミヤ先生は玄関の奥に入ると、すぐにマナトを連れてきた。
「あの、」
 ヒロコは急き込んで聞こうとしたが、呼吸をいったん落ち着かせた。
「あの、メールでは、恐竜が出たという話ですが……。」
「ええ、そのことなんですが――。」
 ミヤ先生は困惑気味に話し出した。

「今日は予定通り渡り池公園に遠足に行きましたが、新生橋の上に恐竜が現れたんです。そんな馬鹿な話が、と思うかもしれませんが、園児たちも他の先生も見ています。それで慌てて戻ってきて、午後は保育園で過ごしました。あの、これは、決してふざけているわけではないんです。」
「ええ、わかります。」
 ヒロコは呟くように言った。
「それで、被害は何かあったんでしょうか?」
 ヒロコは恐る恐る聞いた。
「園児たちは全員無事です。怪我をした子もいません。」
 ヒロコはほっと胸をなで下ろした。

「もちろん、何かを見間違えた可能性もあると思います。マナト君は普段と変わらないようですが、もし興奮して騒ぎ出しても無理に否定せずにそのまま発散させて、不思議なことは不思議なこととして、共感してあげてください。なにか不安なことや困ったことがあるようでしたら、園までご連絡下さい。」
 ヒロコは先生に挨拶すると、マナトと保育園を後にした。

 帰宅途中、ヒロコはタカフミのスマホに電話をかけた。
「どうしたんだい?」
 電話に出たタカフミに、ヒロコは押し殺した声で話した。
「パパ? 今日はもう早退して、すぐに家に帰ってきて。訳はあとで話すから。いい?」
「え? まあ、いいけど。何かあったの?」
「いいから。お願いね。」

 帰宅すると、ヒロコはマナトと一緒にソファーに座って、テレビをつけた。チャンネルを回してみたが、恐竜が出現したというニュースは流れていなかった。スマホもチェックしてみたが、同じだった。ヒロコはため息をつくと、テレビをつけたまま、キッチンで簡単な夕ご飯を作り始めた。マナトはリビングで跳びはねって遊んでいた。

テレビからは、恐竜のニュースはいっこうに流れてこなかった。UFOを見たといった場合と同じで、本気で扱われるものではないのかもしれない。大事にならずに済んで欲しいヒロコにとっては、その方がありがたいのだが……。

 やがて、タカフミが帰ってきた。
「ただいま。」
 出迎えたヒロコに、タカフミは怪訝な顔を見せた。
「どうしたんだい、一体?」
「それが――。」
 ヒロコは保育園からのメールや、ミヤ先生から聞いた話をそのまま伝えた。
タカフミは黙って聞いていたが、声を落として言った。
「公園で、か……。」
 ヒロコもタカフミも黙ったまま動かなかった。マナトの能力が原因なのは明らかだ。テレビの音声だけがリビングに響いた。

「やっぱり、お医者さんに診てもらった方がいいんじゃ……。」
 ヒロコの言葉に、タカフミは首を振った。
「医者に診せたとしても、どうにかなるとは思えないよ。それに、医者になんて説明するつもりなんだい?」
「でも、このままだと、また同じ事が起こるかもしれないじゃない。今回は運良く恐竜はすぐに消えたけど、もしマナトが触れる前に逃げたりしていたら、被害がもっと大きくなっていてもおかしくなかったわ。」

 タカフミは、大きくため息をついて、考え込んだ。ヒロコの言うことはもっともだが、それでも、マナトの能力が公にならないことを最優先にするべきだと思った。ヒロコも黙って立っていたが、こうしていてもしょうがないので、キッチンで料理の続きを始めた。

夕食を終えてマナトを寝かしつけると、タカフミはテレビのニュース番組をつけた。すると、恐竜のニュースが流れてきた。

「今日昼過ぎ、ここ新生山の新生橋付近で、恐竜が現れたとのことです。目撃者によると、恐竜はこちらの木を倒して車道に現れ、橋の上から跳んだ直後に姿を消したといいます。目撃者も多数いるもようです。」
 もう暗くなった渡り池公園から女性のリポーターが中継していた。リポーターは、ライトで照らされた新生橋を指し示した。

「このように橋の欄干は車がぶつかったように倒れ掛かっており、現在は立ち入り禁止となっています。はたして、本当に恐竜は現れたのでしょうか?」
 続いて街の住民のインタビューが流れ、最後にスタジオのニュースキャスターがコメントした。

「恐らく、つむじ風が発生して、弱っていた木や古い欄干を倒したのでしょう。それにびっくりして、つむじ風が恐竜に見えたのでしょうね。」
 キャスターはいかにも簡単に説明がつくことだとばかりに軽くあしらい、視聴者に微笑んだ。「さて、次のニュースです……。」

 タカフミとヒロコは顔を見合わせた。
「どうするの? マナトの力が世間に知られてしまったわ。」
 不安げなヒロコを、タカフミは落ち着かせようとした。

「いや、まだそうと決まったわけじゃないよ。だって、本物の恐竜が現れたなんて思う方がおかしいじゃないか。このキャスターが言うように、つむじ風の見間違いだったということでけりがつくかもしれない。そうなれば、いずれ誰も話題にしなくなるよ。」
 それでもヒロコの不安はぬぐわれなかった。

「でも、一時的にでも保育園を休ませた方がいいと思うんだけど。わたしもいったん仕事を辞めるから。状況が落ち着いてきたら、また元の生活に戻ればいいし。」
 下手に動かない方がいいと思ったものの、タカフミは反対はしなかった。

「うん……、わかった。でも、これからは徹底的に絵本を排除しないとね。」
「ええ、わかってるわ。」
 二人の話はそれで終わりになった。静かに過ごしていれば事件はすぐに忘れ去られるだろうと期待していたが、二人の期待もむなしく、騒ぎはさらに大きくなってしまうのだった。

 翌日、市は新生橋を一時通行止めにすると発表した。念のため橋全体を点検した後、欄干を修理するとのことだった。欄干が数メートルに渡って外側に倒れかかっているので、少なくとも一週間はかかる見込みだった。

 テレビでは、恐竜が撮影された映像が公開された。現場に居合わせたバスのドライブレコーダーの映像だった。映像はそれほど鮮明ではなかったが、恐竜が道路に現れ、橋から飛び降りる姿が映っていた。
 この映像が流されると、本当に恐竜が現れたのではないか、と思う人々が少数ながら出てきた。しかし、大半の人たちは、映像の信憑性を疑っていた。どうせ作り物か、特撮映画のように中に人が入っている着ぐるみだろうと思っている人が大半だった。

 さらに数日後、テレビ局がこの事件の映像を独自に分析した特集をした。その番組の中で、映像に合成や修正などの加工した形跡はないと放送した。恐竜の足跡といわれる地面のへこみが人工的なものなのか、それとも自然にできたものかも調べられた。

さらには、倒れた木は本当に弱っていたのか、橋の欄干がこれほど倒れるにはどれくらいの力が加わったのか。また、映像から推測して恐竜の大きさはどれくらいか、化石で見つかっている恐竜だとどれか、などが検証された。こうして、恐竜事件の信憑性と関心は高まりつつあった。
 
 そんな中、とある休日にヒロコが買い物から帰ってくると、門の前でマージばあさんに呼び止められた。
「おや、奥さん、最近とんと見かけなかったけれど、元気なのかい?」
「こんばんは。特に変わりはないですよ。」
「仕事はいいのかい?」
「ええ、ちょっと今は休んでいるので。」
 マージばあさんは、ヒロコが仕事に行っていないことに気づいていた。

「お出かけですか?」
 ヒロコは話題を自分のことからそらそうとした。
「あたしはいつもの散歩だよ。それはそうと、この辺で恐竜が出たらしいじゃないか。」
 ヒロコの目の奥を探るように見つめるマージばあさんの視線に、ヒロコの顔がわずかにこわばった。
「え、ええ。そうみたいですね。」
 ヒロコは関心がない口ぶりで、愛想笑いを浮かべた。
「ずいぶん他人事だね。この辺りじゃ、みんな恐竜の話で持ち切りだってのに。」

 マージばあさんは右の眉をつり上げながら、目を凝らしてヒロコをまじまじと見た。ヒロコは、虫眼鏡で覗き込まれているような気持ちになった。

「駅の反対側に美術大学があるけど、あそこも色々聞かれたらしいよ。おたくの生徒の仕業じゃないかって。何しろ、あの公園で卒業制作を作ってたっていう話もあるからね。アートなんてもんは、あたしには分からないけど、こんな騒ぎを起こすのがアートなのかねえ、まったく。いかにも若者が好んでやりそうなこった。まあ、でも、大学側は否定しているらしいね。うちの生徒や先生が起こしたり関わったりした事実はないってさ。」

 さすがにマージばあさんは耳が早かった。どこから仕入れたのか、テレビや新聞にも載ってない情報を、すでに入手していた。
「まあ、そうなんですか。」
 ヒロコは相変わらずそっけない返事をした。マージばあさんは、話している最中もヒロコの様子をうかがって目を光らせているようで、ヒロコは気が気じゃなかった。
「そういえば、おたくの坊ちゃんも最近見かけないね。保育園はまだ通っているのかい?」
「いえ、ちょっと具合が良くないので、少し休ませてるんです。」

 知ってか知らずか、マージばあさんの話がどんどん核心に迫ってきてしまうので、ヒロコは内心ハラハラした。
「おやおや、それは大変だ。でも、ちょうどいいかもしれないね。恐竜が出るような街なんだから、家の中の方が安全だよ。家にいれば、恐竜に食べられる心配もないだろうさ。」
 マージばあさんは片手を上げて、笑いながら去って行った。

 ヒロコはマージばあさんの背中を見送り、玄関のドアを閉めて鍵をかけると、ホッと息をついた。マージばあさんの世間話はまるで探偵の聞き込み調査のようで、油断がならなかった。

「ただいま。」
 リビングに入ると、タカフミがソファーでテレビを見ていた。
「おかえり。」
「マナトは?」
「遊び疲れて寝てる。」
 ヒロコはキッチンに買い物バッグを置くと、騒がしいテレビの方に目を向けた。

 テレビは、恐竜事件のニュースの続報を流していた。もうあれから十日以上もたっているというのに、世間の関心は薄れるどころか、日増しに大きくなっている気さえした。その場にいたチワワが恐竜に食べられただの、あらぬ噂さえ出てくる始末だった。今日は新たな証言者として、ある若い女性が登場していた。

 その証言者はこういった。
「私が子どもを連れてくつろいでいると、男の子がやってきました。そして、一緒に絵本を見ていたら、突然、背後に恐竜が現れました。」
 リポーターが聞いた。
「その絵本は、どういったものですか?」
「これです。」
 女性は一冊の絵本をさし出した。その表紙には、恐竜の絵が描かれていた。

「その男の子は、その後どこに行ったのですか?」
「分かりません。私は逃げるのに必死でしたから。」
「では、その男の子の特徴は?」
 リポーターの質問に、女性は記憶をさぐりさぐり答えた。
「ええと、二歳か三歳くらいの子で、どこかの保育園か幼稚園の水色の服を着てましたね。公園に園児が大勢来ていたので、遠足か何かで来てたんじゃないですか?」 
「そうすると、つまり、その男の子と一緒に恐竜の絵本を見ていたら、実際に恐竜が現れた、ということなんですね?」
 リポーターは強い口調で確認した。
「ええ、そうです。偶然かもしれませんが……。」

 タカフミは首を振ってうなだれ、ヒロコの顔からは血の気が引いた。今まさに、事件の重要人物としてマナトが特定されかけている。二人は強い不安に駆られた。これから自分たちはどうなるのか。マナトとの暮らしはこの先どうなってしまうのか……。
しかしテレビは無情にも、事件のさらなる詳細を報道していった。

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