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「まったり」という自信

誰かに「まったり」を使う時は相当その相手と近しいか仲が良くなきゃ使えない。
そんくらいまったりという言葉は何ににも属していないという不安定さを持っている。
家族とまったり、恋人とまったり、親友とまったりならわかる。
しかしたんなる知り合いとか、知り合いという距離ではないからともだちって人とまったりなんかできないですよ。
気ぃ張って気を抜いたように喋ったり、相手が話しやすい話題に質問を持っていったり、極力自分の話はしなかったり、時計とか携帯を見ないようにしたり、相手のテンションを下げないタイミングでお手洗いに行ったり、ありとあらゆる経験則を使って全力で時間を過ごすのだ。
それが良いか悪いかは別としてタワシにとってそれが、人を思いやるということだし、相手が気持ちいい気持ちで手を振ってくれたらタワシも楽しかったとなるし、そんな時間を共有するって大事なことだと思うから。
だからまったりするということは、ただそばにいるだけということになる。
同じ空間の空気、一緒に吸うか、みたいなそんくらいの感じである。
同じ空間の空気を吸うためだけに会える相手はそうそういない。
だからそうそうまったりはできない。
もちろん嘘はつく。
まったりしよーなんつってめちゃくちゃ気を使ってまったりを演出するとかね。
だから部屋でYouTubeをみたり、好きな事をしたりしてまったりする時間は贅沢な時間なのだ。
今日もまったり過ごした。
最高である。
こうやってエネルギーをチャージしとかないと人生は疲弊していくのだ。
だからみなはんもエネルギーチャージングを忘れないでね。

明日もまったりしそうなタワシの夜にさようなら。
また明日。

※このnoteはオンラインショップのブログ【DIARY - 徒然】と連動してます。
過去のブログはそちらからどうぞ!
https://potolitoputoli.com/


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