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記事が書けなくなった理由

 そもそもビュー数が少ないのに、こういうことを言うのは自意識過剰な気もするが、「伝え方」を気にしているうちに、記事が書けなくなった。

 それというのも世界平和という課題について、どういう伝え方をすれば、他者の納得が得られるのかが、よくわからないのである。
 一般原則として述べると抽象的で曖昧になり過ぎる一方で、具体論として書くと、イデオロギー色が強くなり過ぎる気がするからだ。

 たとえば、「世界平和の実現における最大の阻害要因とは何か?」という問いに対して、どのような答えが考えられるだろうか。
 通常は、ロシアだとか中国だとか、北朝鮮、あるいは過激派宗教組織といった答えが挙げられるかと思う。

 しかし、システムとして世界平和を維持しようとする場合、構成要件として必要十分条件となるのは「そのシステムは、世界で最も強大な国の横暴な振る舞いを止められるだけの信頼できる仕組みを備えているか否か」にある。

 おそらく、わかりにくいと思う。

 では端的に述べるとどうなるかというと、世界平和の実現における最大の阻害要因となるのは「世界で最も強大な国」という定義から、アメリカとなる。

 だが、こう書くと、途端にイデオロギーっぽくなってくる。ここが難しいところなのである。
 誤解のないように言っておくと、筆者は信条として右でも左でもない。それどころか、記事を最後まで読んで頂ければわかるが反米ですらない。

 ただ、いかに普段、人は自身の信念体系に組み込まれた思考の枠組み内で物事を考えているかを主張したいのである。
 
 以前もちょっと書いたのだが、北朝鮮の核開発問題について、「世界平和の阻害要因はアメリカである」という補助線を引いて考えてみたい。

 それというのも、日本では「北朝鮮=悪」という図式があまりにも定着しているため、北朝鮮に擁護的な発言そのものが禁忌となっているが、ごく素朴に北朝鮮の立場になってみれば、核武装は当然過ぎる選択であるように思えるからである。

 なぜなら北朝鮮は世界最強の軍事大国であるアメリカと戦争中(休戦状態)にある。しかもアメリカの北朝鮮に対する敵対的感情は依然として強く、なおかつイラク戦争の経験から判断しても、アメリカの軍事行動を国際的な協調が抑止できる可能性は低い。
 頼みの綱の中国だってどこまで北朝鮮にコミットできるかは未知数だろう。

 そう考えると、北朝鮮の生殺与奪の権は、かなりの程度、アメリカに握られている。北朝鮮が安全保障上の理由から、自国防衛のために最も効果的な国家戦略として核武装を選択するのは、彼らの立場からすれば――善悪はともかくとして――自然な発想だろう。

 つまり北朝鮮の核放棄を実現させるために必要な第一条件は、北朝鮮にとって安全保障上の懸念がなくなることである。そう考えると、北朝鮮の核開発問題を解決するうえで、北朝鮮そのものへアプローチするのはそもそもピントがずれている。
 北朝鮮に核廃棄させることが目的なら、まずアメリカが北朝鮮に軍事侵攻を企てた時、それを確実に抑止できる“保障”を、国際的な協調によって構築しなくてはならないのである。

 一方で、日本の北朝鮮政策の方は、より理解しがたい。
 ここ数年、日本が中心となって北朝鮮への経済制裁をすすめているが、それでどのような利益が得られるのだろうか。
 「これからも北朝鮮への厳重な経済制裁を続けていくべきだ」といった「べき論」はみかけても、具体的な出口戦略として、どのようなシナリオを想定しているのか、まともな論考をしている人をみたことがない。

 まず経済制裁という“兵糧攻め”はいいとして、窮乏した結果、高松城の清水宗治のように、金政権が膝を屈して城下の盟を結ぶことなどありえないことくらい誰にだってわかる。

 なんらかの譲歩を引き出すのが目的にしても、北朝鮮にとってそれで面子が潰れてしまっては、国内の政権基盤が揺らぐため許容できないだろう。しかも決定的な核廃棄においては、前述したような政権の死活問題が直結しているとあっては、経済制裁によって北朝鮮から引き出せるものは、かなり限定的である。少なくとも、経済制裁によってしか引き出せないような性質のものはひとつもない。

 一方で、経済制裁にかかるリスクはどうか。
 もしも北朝鮮の困窮がレッドラインを踏み越えてしまえば、「このまま飢えを待つくらいであれば、華々しく討ち死にすべきだ」の精神で核使用を決断する内的圧力が高まると予測するのは、決して無理筋ではない。

 近年、日本では人生に絶望し、死刑を怖れることなく凶悪犯罪を犯す「無敵の人」の存在が取り沙汰されている。
 核兵器とは、報復を想定するなら、本来的に「使えない武器」である。しかし、それでも現実的にありうるシナリオを想定するなら、核保有国が報復を度外視した「無敵の人」ならぬ「無敵の国」に追い込まれたケースである。

 さらに、その時、標的の選定に、軍事的な理由よりも怨恨を重視したとしても、心情的には理解できるものがある。

 日本は、北朝鮮の非核化のためにさらに厳重な経済制裁を行うべきというが、わざわざ北朝鮮を「無敵の国」に追いやったうえ、その恨みを表面だって買おうというのである。

 これは、はっきりいって合理的な計算感覚が働いているとは思えない。むしろ北朝鮮に対する敵意感情がまず前提にあって、それを後付けで正当化していると考える方が、まだ理解可能である。

 日本の北朝鮮政策は、「経済制裁を続けておけば、そのうち北朝鮮も立ち枯れするんじゃないか?」という甘い希望的観測と、「とにかく北朝鮮に不利益なことは全て正しい」といった憎悪のような、国民の「なんとなくの気分」に支えられているように思える。その結果、リスクリターンを厳密にチェックすることもなく、ハイリスクローリターンの選択を続けるのは、よくある最悪のパターンのひとつではないだろうか。

 なお、最後に筆者が反米でないという理由について述べておきたい。

 ジム・コリンズが膨大な企業研究データから実証的に偉大な企業の法則を導き出した「ビジョナリー・カンパニー」という名著がある。
 
 その三作目は「衰退の五段階」と題して、業界トップの座に君臨していた偉大な企業がいかに衰退していくかを一般原則として法則化したものがある。

 その五段階とは、以下の通りである。

第一段階「成功から生まれる傲慢」
第二段階「規律なき拡大路線」
第三段階「リスクと問題の否認」
第四段階「一発逆転策の追及」
第五段階「屈服と凡庸な企業への転落か消滅」

「ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階」

 筆者は思わず笑ってしまったのだが、これはあくまで企業研究から抜け出された原則であって、アメリカ合衆国を名指しで批判したものではない。

 アメリカが衰退するのであれば、それは新興国の台頭といった外部要因によるものではない。純粋的に内部要因によるものである。

 そのために必要となるのは徹底的な内省であり、覇道から王道への回帰を説くのは、表面上は反米であるようにみえて、その内実は全く逆であるといえる。


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