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0053 聖アラン・レネ監督『戦争は終った』聖地巡礼

2019年9月15日(日)にフランスのパリで聖アラン・レネ監督『戦争は終った』(La Guerre est Finie)の聖地巡礼をしてきました。

聖アラン・レネは『去年マリエンバートで』の1961年第22回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞で列聖。

作品は、スペイン内戦後にパリに亡命して25年経つ反フランコ派闘士で国外追放された活動家とスペインに残った反フランコ派との間の連絡係として定期的にフランス-スペイン間を行き来しているディエゴ(演:イヴ・モンタン)の1965年4月の3日間を描く。
1965年4月18日(日)早朝、ピレネーを越えようとしてディエゴは別人であるルネ名義のパスポートで不審尋問されるが、ルネの娘でフランス極左(毛沢東主義)学生のナディーヌ(演:ジュヌビエーヌ・ビジョルド)が警官の連絡にうまく対応してくれて国境を無事通過する。マドリードは反フランコ派一斉検挙が始まっておりディエゴはパリにUターンする事を選択する。その夜ナディーヌと一夜を過ごしたディエゴは、翌4月19日(月)自宅へと帰る。妻マリアンヌ(演:イングリッド・チューリン)は久しい再会に感激するが、ディエゴは運動の意味と手段を疑い始めていた。翌4月20日(火)ディエゴはナディーヌたちの極左過激派学生グループと会い、ディエゴは修正主義だと批判され呆れる。その日、突然、ディエゴは(地下組織の指導者たちは警察が彼の身元がバレたので組織維持の為にディエゴを犠牲にすべく)任務でバルセロナへ初対面のメンバーと共に送られる。一方、父ルネのパスポートの捜査に現れた刑事にディエゴの素性を知って泳がせている旨を知ったナディーヌから警告を受け、マリアンヌはオルリー空港からバルセロナに向って飛びたっていく。

脚本を書いたスペイン出身のホルヘ・センプルンは、スペイン共産党の地下メンバーとしての闘争、そして1964年にサンティアゴ・カリージョ書記長との深刻な意見の相違のために党の指導者から追放されたことによる自己の体験と60‐70年代の学生を中心とする新左翼系過激派の新しい対立(闘争形態の進化or武装化)に基づいて、亡命者として祖国の自由を熱望するありさまと共産主義や革命に対する世代間格差を描きだています。

フランコ独裁政権が終結してかなり経過し、且つ日本を含む西側社会で新左翼系過激派によるテロが無くなった現在から俯瞰してこの作品を鑑賞するとかなりの力作。少なくとも反フランコ派はフランコの死によって勝利しました。

タイトルは、1939年4月1日のスペイン内戦が終わった La guerre est terminée / La guerra ha terminado と宣言したフランコの声明にちなみます。

という訳で聖地巡礼先は、映画に最もよく出てくる地下鉄路線・メトロ6号線のラスパイユ駅です。
ラスパイユ駅は、スペインのフランコ独裁政権下でスペイン内戦共和派残党の亡命者ディエゴ(演:イブ・モンタン)がフランス極左(毛沢東主義)学生のナディーヌ(演:ジュヌビエーヌ・ビジョルド)と接触する場所で使われてます。

映画本篇のイヴ・モンタンの背中
ラスパイユ駅から出てきた
映画本篇ではラスパイユ駅のベンチにジュヌビエーヌ・ビジョルドが座ってます
ラスパイユ駅プラットホームの椅子に座ってみた

この作品の聖地巡礼洩れは、
メトロ7号線ピエール・キュリー駅(現ピエール&マリー・キュリー駅=実はパリ市外)がメトロの終点のひとつ手前で物理的に訪問が出来ませんでした。
パンテオン界隈はパリの中心部すぎてコースから外れてしまい洩れました。
また、ディエゴとマリアンヌ(演:イングリッド・チューリン)が極左学生から預かった爆発物をコインロッカーに入れたパリ・リヨン駅がTGV発着駅となり撮影当時とは大幅に変貌してしまったため、訪問はしたのですが、ロケ地特定が出来ませんでした。

©2019 プッチー・ミンミン
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