0051 聖アラン・レネ監督『夜と霧』聖地巡礼
2019年8月10日(土)にポーランドのオシフィエンチムで聖アラン・レネ監督『夜と霧』(Nuit et brouillard)の聖地巡礼をしてきました。
聖アラン・レネは『去年マリエンバートで』の1961年第22回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞で列聖。
作品は、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所 Auschwitz-Birkenau Concentration Camp の撮影当時のカラーフィルム映像と戦時中のモノクロのニュースフィルム・スチル写真が交互に行き来するコラージュのスタイルでホロコーストを告発した短篇ドキュメンタリー作品。
タイトルの『夜と霧』は1941年12月7日にヒトラーから発せられた総統命令「夜と霧」Nacht und Nebel に由来。因みにこの法令は「ナチス・ドイツ占領地全域において全ての政治活動家やレジスタンスおよびその擁護者の中から「ドイツの治安を危険に晒す」一部の人物を選別したうえで収監し、ドイツへ密かに連行し「夜霧」の如く跡形も無く消え去った「行方不明者」の友人や家族に対し、行方不明者の所在や彼らの死に関する一切の情報を与えないことで地元住民に対し服従を強要する」もので、「夜と霧」=「ホロコースト」では全く無いのですが、この32分の短篇作品のインパクトは大きく、タイトルが独り歩きしてしまいました。
更に付け加えると、法令「夜と霧」のネーミングはワーグナーの『ラインの黄金』の第3場「ニーベルハイム」の「夜と霧になれ、誰の目にも映らないように!Nacht und Nebel, niemand gleich!」からの直接引用で決してヒトラーやナチス党のオリジナルではありません。
巡礼先は勿論、映画に最もよく出るキャンプ場(←正確に表現しているので念のため…)アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所(現・博物館アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所)です。
Auschwitz-Birkenau – Wikipedia, wolna encyklopedia
Auschwitz-Birkenau
アウシュビッツ強制収容所の各棟。二重の有刺鉄線は収容所が稼働していた当時は高圧電流が流れていました。
ビルケナウ収容所の本部棟。
アウシュビッツ強制収容所の入場ゲート。
ビルケナウ強制収容所の囚人棟。
ビルケナウ強制収容所の囚人棟の内部。
ビルケナウ強制収容所のトイレ棟(…だったと思う…間違ってましたらご指摘を!)
アウシュビッツ強制収容所入場ゲートの「働けば自由になる ARBEIT MACHT FREI」のスローガン。この「働けば自由になる」のスローガンも19世紀のドイツ人作家ロレンツ・ディーフェンバッハが1873年に出版した短篇小説のタイトルからの直接引用で決してヒトラーやナチス党のオリジナルではありません。「ARBEIT」の「B」は上下逆さまで「B」の文字の上の方が膨らんでいます。
アウシュビッツ強制収容所10号棟と11号棟に挟まれた通称「死の壁」。銃殺用。収容者に死刑執行を見せない為に、壁左側の10号棟には窓に木の壁が取り付けられています。
なお「死の壁」とは別にアウシュビッツ強制収容所には集団絞首台もあって、こちらはアンジェイ・ムンクの『パサジェルカ』に登場します。
ビルケナウ強制収容所の囚人棟。
©2019 プッチー・ミンミン
©1955 Argos Films / Socinor
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