見出し画像

今日はひとりで映画@怪物/真実は暴力的なまでに美しい

こんにちは!
今年一番楽しみにしていた映画『怪物』が公開となったので、早速観てきました。いやーーーーこれまたすごいものに出会ってしまいました。

是枝裕和監督×坂元裕二脚本ということでものすごい期待をしておりましたが、それを更に超えてくる素晴らしい映画でした。先日の『TAR』に続き、こんな骨太な作品に出会わせてもらったことにただただ深く感謝したい。
ということで私の勝手気ままな感想をここにぶちまけたいと思います(笑)
ネタバレしている部分もあるかと思いますので、ここから先読んでくださる方はご注意ください!

個人的にはこの作品には2つの“怪物”が描かれているように感じました。

CMでもお馴染みの「怪物だーれだ」という言葉。この言葉にまんまと操られるように、序盤から怪物探しを始めてしまっていた私。母親か?校長先生か?はたまた同級生か?なんなら怪物探しに少し興奮している自分がいた。

ストーリーが展開するにつれ明らかになる真実と沸々と燻りだす罪悪感。ちょっと待って、私今までめちゃくちゃ嫌な見方していなかったか?…そうか、浅はかな犯人捜しを始めてしまっていた私のこの卑しい視点こそが正に怪物そのものではないか。

そして、主人公である湊が抱える、今まで知らなかった自分自身の内なる感情。まだ説明する言葉とそれを共有できる誰かを持たない10代にとっては恐ろしい得体の知れない、見たことも感じたこともない自分の一面。
つまり大人の怪物は外にあって、子供の怪物は自分自身の内側にあるといことですよね。

子供の世界というのは、大人が思っているよりも非常に複雑で、学校という閉じられた場所には非常に入り組んだヒエラルキーや力関係があると思います。子供だからといって、その世界が何も単純明快であるということはなく、嘘や欺瞞、憤りや絶望が、大人と同じようにある。そこに更に、初めての誰かに対する好意や、親に対する自分の見せ方や気遣い、身体的な変化が加わるのだから、子供が自分の中の怪物を飼いならすのは決して容易なことではないと思うのです。

多くの人は子供のときにそのような息苦しさや生きづらさを感じていたはずなのに、大きくなるにつれ、自分の怪物を一見上手に手懐けて、他者に対して怪物の視線を向けるのではないか。誰かが本作の感想に、“身につまされる”という表現を使っていましたが、それは自分の怪物としての視線の在り方を問われている罪悪感からかもしれません。

一方で、作品後半に描かれる美しさ・尊さ・悲しさも尋常ではありません。
片方だけのスニーカー。ワクワクする秘密基地。作文に秘められた二人の名前。そこからラストに向かう中で廃車を運転する彼らの笑顔。と最後のまぶしすぎるほどの光。はぁ、、作文に二人の名前を見つけたあたりから私は号泣していました(笑)

この作品に出てくる人は皆どこかしらに傷や痛みを抱えていますよね。ストーリー自体もよくよく考えると絶望的なのですが、そうと感じさせないのはやはり是枝監督の力量なのでしょうか…?とにかく心にずっしり響く、でも出会えて良かったし、子どもができた今見ることができて良かった映画だなと思います。この作品を作ってくださったすべての方にお礼を言いたい気持ちでいっぱいです!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?