ありのまま、美しいと思う。
今日は雪ですね。どうか皆さまが温かい場所でnoteを楽しんでおられますように。
大きな湯船が好きなんです。
温泉や近所の銭湯に行っては、たっぷりのお湯を満喫しています。
湯船からぼや〜んとお風呂場を見ることが多いのですが、毎回びっくりするんです。
みんながあんまりきれいで・・・本当に。
年老いた、若い、子供を産んでる、鍛えている、ふっくらしすぎ。
そりゃもう色々な人がいます。
けど、それぞれの美しさがひかって、まぶしいんです。
新緑に鮮やかさがあるなら、枯れ枝には趣があるのと同じで、その美は比べようがありません。
美醜のランクなど、まったく意味をなさない世界がそこにはあります。
私は銭湯に行って、美にはバリエーションがあることを再発見しているのかもしれません。
でも自宅で一人鏡を見ると、アラばかりが目につくから不思議です。
ふっと「きれいなあの人」を思い浮かべたりして。
ああ、私なんか・・・と思ったりして。
それでしょんぼりしたりして。
若い頃はそんなことの繰り返しだった気がします。
でもある時期から、こう思うように変わりました。
「銭湯で見たあの人たちが美しいなら、私もきっとそうなのだろう」と。
銭湯で会うのは「ごく普通の人々」です。
整ってるパーツもイマイチなところもありました、私と同じように。
それなのに、自分だけはアラしかない。
そんなことあるわけないですよね。
「自分を特別扱いしすぎ」だったみたいです・・・しかも悪い方に。
この事実に気づくまで、時間がかかったなあ。
これって、心も同じだと思います。
整っている部分もイマイチな部分もあるのが普通。
だからこそ、味も魅力もあるのだと。
でも残念ながら『心の銭湯』なんてないから。
でこぼこしているのは自分だけの気がする。
そのため自分だけは汚いとか悪いとか、思い込んじゃう気がするのです。
こんな時は、「どうして?良いところたくさんあるのに」と言われても、なかなか心に届きません。
傷だらけの自分は、こんなふうに言うからです。
「あなたは本当の私を知らないんだ。知ったらきっと・・」なんて。
でも痛かった気持ちや過去を、人のせいにしないように気をつけて。
前を向いて歩こうと、もがいていて。
うまくいかない日は落ち込んだり、時にはかんしゃく起こしたり。
そんな人が身近にいたら、ダメだなんて思わない。思うわけがない。
「あなた素敵だなあ、頑張ってるなあ」って、言いたくなります。
「気持ちわかるな、私も同じだよ」と。
もし、「ダメだ」「バカだ」「役立たず」なんて言う奴がいたら、その相手にこそ腹が立ちます。
刃物みたいな言葉を投げつける方が、間違っている!
言われた相手を抱きしめたい。
「意地悪な言葉こそ嘘だ。あなたはそのままで良いんだ」って。
どうして人には暖かい言葉をたくさん伝えられるのに、自分には言えないの?
自分には、責める言葉をぶつけてしまうのか。
私だけはいつも間違っているって?
そんなはずないのに。
人に優しくするのなら、自分にも優しくするんだ。
幸せになろうとする自分も、大切にしたい。
もがく誰かを本当にきれいと思うなら。
健気で可愛くて立派だなって思うのなら。
自分にも同じ優しさを。
お風呂であらゆる人が美しく見えるのは、きっとありのままの、飾る物のない姿だからだと思います。
心もそうであること、忘れたくない。
人も
自分も。
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