皮膚科・うらみ節
こんにちは、ぷるるです。
さて今回は、私が10年前に通っていた近所の皮膚科に対するうらみ記事です。
本当はうらみの思い出など忘れてしまいたいです。
でも、近所にあるガッツレンタカーのせいで、なかなか忘れられないのです。
ここの前を通ると、私はどうしても当時のことを思い出さずにいられない。
もちろんガッツレンタカーには、何の問題もありません。
いけないのは、かつての私。
その小さな選択が、このうらみ節につながっていくのです・・・。
<ちょっと長い前置き>
2014年の秋。
私の右足側面には、のんびり成長を続ける大きなホクロがあった。
しかし「メラノーマ」という皮膚がんの存在を知った時から、この共存関係は危機を迎えた。
ホクロの特徴が3つも当てはまったからだ。
これまで健康にだけは恵まれてきたのに…
不安になった私は、新しく出来た近所の皮膚科へ出かけた。
診察すれば、すぐ真偽がわかるだろうと信じて。
しかしカマキリに似た皮膚科医は(以下カマキリ先生)、サクッと言った。
「ホクロを切って病理検査しないと、正確には判断できんね」
しかも先生は、入院しての手術になると言った。
入院も手術も経験のない私は、一気に不安が増してしまった。
するとカマキリ先生は、キラリとその目を光らせた。
「大丈夫、僕がC大学病院にいた頃はバンバン切っていたよ。大きいホクロは急に変化することがあるから、切るのが確実なんだ」
はっきり断言はしないものの、カマキリ先生は明らかに手術を推していた。
そして尻込みする私に、自分が紹介すればC大学病院皮膚科の筆頭名医が担当してくれると胸を叩くのである。
私はかなり悩んだが、結局はメラノーマへの恐怖と名医の紹介にひかれ、手術を決めた。C大学病院の皮膚科は、市内で1番の呼び声が高かったのだ。
しかしこの決断が、のちのち厄介な事態を引き起こす原因となる。
1週間後、私は事前診察のためC大学病院を訪れた。
そして『財前教授(白い巨塔)の嫌な部分だけを、じっくり煮詰めて濃くしたような老名医(以下、煮詰め財前)』の出迎えを受けた。
ただし彼はオブザーバー。
実際に私を診察したのは、若き新人医師だった。
そして執刀も彼が行う流れに。
そう、私は知らぬ間に新人医師の練習台に選ばれたのである。
おいおいおい!!
そりゃ命に別状ない手術だけど、おい!!
すると煮詰め財前が威圧感を出し、こう言った。
「私も同席するからご安心を」
安心・・・できるかーい!!!!
聞いた話と、違うやないかーい!!!
感嘆符の量に、私の動揺を感じていただきたい。
文字数が増えるので割愛するが、結局私は新人医師の執刀を受け入れた。
煮詰め財前の威圧に負けたのである。ヘタレ・・・
だが新人医師は見事な手術をし、痛み少なく傷跡も残らなかった。
そしてメラノーマでもなかった。
全ては結果オーライとなったのだ。
だがひとつ、予想外のことが起こった。それは・・・
じんましんが出たのである!!
経験ある方はお分かりだろうが、とにかくかゆい!超かゆい!
でも治療は効果が出るまで、様々な内服薬を試すしかないのだ。
じんましんは入院の1週間前から発症し、薬をもらうも効かず、私はかゆいまま手術・退院となった。
手術後の足では、遠くのC大学病院まで通えない。私はやむなく再びカマキリ先生を訪ねることに。
するとカマキリ先生は満面の笑みを浮かべ、「あの先生(煮詰め財前のこと)、手術うまいでしょ」と聞いてきた。
そこで事実を伝えると、カマキリ先生は急に押し黙った。
なんで?
事実を話しただけですが。私、なんも悪くないがな。
しかし一刻も早くじんましんを治したい私は、我慢して治療を受けた。
これで治る事を願いながら。
ところが、再び予想外の事が起きてしまった。
どの薬も、全く効かないのである!
公平を期すために書くと、カマキリ先生はいろいろ工夫を凝らしてくれた。
でも薬が効かないと、とても不機嫌になるのだ。
私は不安と焦りが募り質問をする。すると先生の機嫌がますます・・・
はい、悪循環・∞(無限大)!!
そうして1ヶ月が過ぎた頃。
カマキリ先生は突然にため息をつき、こう言った。
「あなたいろいろ質問するけど、正直意味がわからないね!どうしてうちに来たの。もう別の病院へ行ったら?」
えーっ、私が悪いの!?!?
質問、毎回しないように気をつけてたよ。
アドバイスも守って生活してる。
それでも効かないのは、仕方ないじゃないか。
何より
毎回の不機嫌、いい加減にしてよ!!!
けれどこの時は頭が真っ白になって何も言えず。
私は悔しさを抱えて帰路についた。
とはいえ、このじんましんを放置はできない。
そこで情報を収集し、良さげな皮膚科を探した。
次に事の経緯と疑問点をまとめ、A4の紙に書き出す。
なぜなら私の聞き方も分かり辛く、不安を前面に出しすぎたかもしれないからだ。相手だけを責めることはできない。
すぐ反省をするのが、私の(数少ない)美点なのである。
そうして訪ねた皮膚科は、大人気で激混みだった。
でも先生は、ウシのように穏やかでどっしりしていた(以後、ウシ先生)。
ウシ先生はゆっくり患部を診察し、自身の所見を言う前に「不安や疑問はありますか?」と聞いてくれた。
聞いてくれた!!!
実はカマキリ先生でもC大学病院でも、そんな診察に縁がなかったのだ。
さっと診て、一方的な説明があるだけ。しかも上から目線の。
そこでおずおず紙を渡すと、ウシ先生は「わざわざ書いたの?」と大笑いした。
でもしっかりと読み、こう言ってくれた。
「この説明は非常に分かりやすいし、疑問はもっともです」
皮膚科に通い出して、初めてほっとできた瞬間である・・・。
ウシ先生は疑問に答えた上で、アレロックという薬を提案してきた。
それはカマキリ先生から最初に処方された薬だった。
「カマキリ先生の診断は正しいです。もう一度、この薬から試してみませんか」
私はウシ先生が言うなら、と思った。
そしてアレロック錠を飲み始めて三日後。
じんましんが引き始めたのである!
そのままゆっくりじんましんは減っていき、3ヶ月後に見事完治した。
長かった暗闇に、ようやく夜明けが訪れたのだ。
そしてこの夜明けはひとえに「信頼感」により、もたらされたのであった。
確かにカマキリ先生と煮詰め財前は、医療技術も高く経験も豊富だったと思う。
しかし彼らから感じるのは、精神的な未成熟ばかりであった。
医師という仕事の大変さを差し引いても、あまりに優しさがなさすぎる。
私は多分、体にメス入れるのが怖かった。
でも足の皮膚をちょっと切るだけ。たいしたことない。
そんな医師の言葉を選んでしまった。本心を見ないふりをして。
だから心が「じんましん」という形を通して、もう一度考え直して!本当は怖いよ・・・と伝えてくれたと思う。
もちろんこの点は私の問題。大いに反省せねばならない。
だがカマキリ先生たちには、不安を言わせない威圧があった。素人は黙っていろという言外の要求が。それもまた事実である。
つまり人の成熟度に年齢や立場は関係ないのだ。ましてや肩書など。
私は彼らを通して、その事実を学ばせてもらったように感じた。
<やっと本題>
それから6年後、2020年の初冬。
私はとある所用にて、久しぶりにカマキリ皮膚科の前を通った。
正直ずっと避けていたのだが、この時はどうしてもその道を通らねばならなかったのだ。
ところが定休日でもないのに皮膚科の窓は真っ暗。人の気配も感じられない。
不審に思い近づいてみると、ドアには一枚の張り紙が。
「当院は12月をもちまして、閉院しました」
その瞬間どうしたか。
もちろん私は・・・
「ひゃっほー!!」
と叫んだ。
だって、だって、
閉院、超うれしい!!!
・・・そう。人格者を装ってみたものの、私はカマキリ皮膚科をねっちりばっちり恨んでいたのだ。
みよ、この狭量さ!!!
これが本心、あははははは!!!
でもさんざん喜んだ後は、どっと虚無感に襲われた。当然の帰結だろう。
そして己の未熟さを、深く反省したのであった・・・。
しかし。
閉院から数ヶ月後、カマキリ皮膚科の跡地に新しいテナントが入った。
私は再び大喜びした。さすがにジャンプはしなかったけれど。
あー、本当にカフェとか
お洒落な店じゃなくて良かったーーー。
というか、ガッツレンタカーで良かった!
だってイメージキャラクター、ガッツ石松だもの。
往年の名ボクサーですぜ?
私の脳内では、ガッツ石松が一発で
カマキリ先生をK.Oしてるから!!!!
そう、あの反省から数ヶ月が経っても私はまだ、カマキリ先生を恨んでいたのである。もちろん煮詰め財前のことも。
ゆえにガッツレンタカーを見ると己の狭量さを思い出し、何とも複雑な気持ちに襲われるのであった。
完
長い記事をご精読いただき、本当にありがとうございました。
結局のところ、
1番の未熟者はこの私だったのです。
他人ではなく、常に己を見なくてはいけませんね。
皆様がこの記事で私にどん引いたりしませんように。
そう願いつつ、今後は心の成熟に一層努める所存でございます。
多分・・・
本当に、完。
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