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ぷるぷるパンク - 第12話❸

●2036/ 06/ 20/ 21:54/ 管理区域内・勝山駅 

 夜になって、強くなったり弱くなったりする虫の声を追い越しながら、昨日とはまた別方向に真っ暗な獣道を降りた。平地に近づくと、聴き慣れた川の音が聞こえ始めた。恐竜川だ。

 舗装された道に降りると、蔦で覆われたかつての踏切の跡、そしてほど近くには勝山駅の跡があった。ここから100メートルほど先にある勝山橋を渡るとそこが管理居住区だ。ぼくらは装備をもう一度確認するために駅跡のロータリーにある恐竜の親子のモニュメントの周りに腰を下ろした。
「線路沿いに行けば観音ゲートだね。こっちの方が近かったかな」マップが視界に表示され、ノースが距離を計算している。「あまり変わらないか」

「なんか、光見えなかった?」サウスがきょろきょろしている。
「蛍かな?」サウスに釣られて辺りを見回して見たけど、地球環と星と消えてしまいそうな細い月以外に光は見えなかった。
「引っかかったー」サウスが嬉しそうにぼくを見ている。
「メガネ」とぼくが言うと「メガネじゃないもん!」とサウスが怒った。え? メガネって悪口?? え? えー?

「橋のゲートでIDを使う。」ノースがマップ上に、居住区の範囲とゲートの位置をハイライトした。
 肩にかけていたMP5を地面におくと、ノースは不意にPFCスーツのファスナーをみぞおちの辺りまで下ろした。PFCスーツの圧で窮屈に閉じられていたその『隙間』がぷるんと解放された。彼女はその隙間に指を差し込んでIDカードを取り出す。ぼくは息を呑んで目を逸らす。
 これからのこと、この計画の後のこと、未来のこと。今日はいろいろと考えたけど、(将来は、IDカードになりたいです。)と本気で思ったのは、後にも先にもこの時だけだろう。

 立ち上がったサウスがホルスターからグロックを抜くと、一度マガジンを外し、それをまた戻す。かちゃりと金属がぶつかり合う軽い音がする。
 ノースがサウスの前に立って、不意にサウスの首元のファスナーを彼女のみぞおち辺りまで下ろすと(ry。
 ぼくは息を呑んで目を逸らした。おそらく、先陣を切るサウスにIDカードを渡したのだろう。

 サウスはそんなことには気を止めず、グロッグを覆うように左手でスライドを引くと、今度はがちゃっという重い音がした。グロックを頬の右側で構えてサウスは歩き出した。
 同じようにしてグロックを構え、ぼくはサウスに続いた。

 建物の影に沿って慎重に歩を進める。フェンスと有刺鉄線で封鎖された橋の入り口には、中央に簡易的な車止めバーがあるゲートになっていて、近くのポールの上にCCTVがあった。しかし、それ以外に川を渡る方法は見当たらない。そしてぼくらは遮蔽物が何もない橋の手前の大きな交差点を渡らなければならない。
「嫌な感じがする。」サウスの弱音は珍しい。

 突然グロックのブァンという音が周辺に大きく響き渡り、ノースの足元に薬莢がかちゃりと落ちた。CCTVのレンズが割れ、水蒸気のような煙が上がった。その瞬間には既にサウスが走り出していた。ぼくとノースは顔の横でグロックを構え、サウスが交差点を渡り切るのを見守っていた。

 その刹那。眩い金色の光放つの巨大なキューブが突然交差点の真ん中に出現し、ぶううんと低い音がして、サウスが消えた。

「さっちゃん!」叫ぶと同時に走り出そうとするノースの腕を掴むために、ぼくはグロックを投げ捨てた。ノースはぼくの腕を振り払おうとするが、ぼくは力を強めて彼女を離さない。金色のキューブの光が弱まって薄まると、それを構成する辺のラインが光るワイヤーフレームのように立ち上がった。その中央にはアートマンを纏って必殺技の構えをしているサウスが立っていた。

「さっちゃん!」ノースの声にはすこしの安堵が混じっていた。
 ぼくとノースは立て続けに閃光を炸裂させて、白く光るアートマンに変身。抜く手も見せずに駆け出した。

「マンダラ?」ノースが急に止まる。金色のワイヤーフレームをよく見ると、サウスが立っている場所を中心に、地面が3×3の九つの正方形に分割されていて、その小さな正方形の一つ一つの中心に同径の円があった。芦原さんの研究室の床に似ている。

 突然サウスを囲む八つの円柱の光量を増し、一瞬辺りを昼間のような明るさにまで照らしつけると、あっという間に八体のアートマンが現れた。

「ゼンのコトワリ・ジョウコウ」必殺技の構えをしたサウスを中心に黄金の閃光が炸裂した。

 爆風の衝撃波から身を守るため、体の前でクロスさせていた腕を下げると、交差点の中央付近では、地面がサウスを中心にクレーター状に抉(えぐ)れているにも関わらず、光のラインだけがそのまま平面状に残っていて、ワイヤフレームの中には八体のアートマンが、それぞれ繭のような光に包まれて無傷で浮かんでいた。

 躊躇とかそういった複雑なことは考えていられなかった。
 ぼくはただ走り出す。それはノースも一緒だった。右手に力を込めて繭の一つに殴りかかろうとした瞬間に、足元を掬われる感覚がして、空気を揺らすような透明な衝撃を受けると、全身からめりめりとアートマンのアーマーが剥がされて空気の中に消えてしまった。
 ぼくは呆然として、自分の手のひらを見つめてから、ゆっくりとサウスの方を見た。
 ワイヤーフレームと八体の繭も消えていた。

 サウスは真っ黒なクレーターの底で放心したように空を見上げている。ノースがクレーターを駆け降りてサウスを抱き寄せる。崩れた小石がぽろぽろとクレーターの中心に落ちていく。わけがわからないままクレーターを降りて二人に近づくと2度目の衝撃波が三人を襲った。ぼくはエッセルさんの時のことを思い出し、夢の中で「そうか。」と呟いた。

 やっぱり白い空間だ。トゥルクの線香の香りが強くした。
「サウス!」ぼくは少し先を歩くサウスに駆け寄ると、サウスは振り返って寂しそうに笑った。

「なんか、帰ってきちゃったみたい。」サウスが突然訳のわからないことを口走った。
「何言ってるの? さっちゃん。」ぼくの隣にいたノースが心配そうにサウスに声をかけた。
「ノルテ。よかった。あら、とっても綺麗になったのね。」
「え?」ノースががくりと膝をついた。「マ、マ・・・?」
「スールもちゃんと大きくなったんだね。」サウスはそう言って微笑んだ。
「ちょっとまって!」ぼくは叫んだ。
「これは、ぼくだけが見ている夢?」
「クズリュウ。」ノースが地面にへたり込んだままぼくを見上げた。
「これは、夢。」ノースの目の焦点はあっていないように見える。
「誰かの夢」

 視界の中で白い光が強くなり、目の前にいるはずの二人がだんだんと光の中に消えていく。そのまま視界が真っ白になる。ぼくは左の手のひらを広げて、その手に目をやった。感覚はあるのに、視界は真っ白で、自分の手も、自分の体も見えない。目を閉じる。何も変わらない。白があるだけ。

 もう一度衝撃波を受けて目を開けると、そこは真っ黒な山々に四方を囲まれた勝山橋の交差点で、明るく輝く星空と地球環とが見えた。人の気配を感じて左右を見ると双子が夜空を見ていた。
「二人ともいる。」ぼくは立ち上がりながら言った。
「クズリュウ。」放心状態のノース。

 ぼくはノースの手をとって彼女を立ち上がらせる。彼女を捉える底なしの沼から引っ張り上げるようにして、強く彼女の手を引いた。
 地面に横になったままのサウスは両腕を横に広げて目を瞑っていた。そこはぼくらがいた真っ黒なクレーターの底ではなくて、クレーターのない元通りの交差点だった。

「もっと一緒にいたかったな、ママ。」閉じたままのサウスの目からつうっと涙が流れた。
「ママの夢だった。」
「さっちゃん。」ノースはサウスのかたわらに膝をついて人魚のように横座りをすると、サウスの肩を抱えて、彼女の頭を自分の膝の上にのせた。
 ノースはゆっくりとサウスの髪を撫でながら、何かを呟いている。はじめは彼女が何を言っているのか分からなかったけれど、少しだけ悲しい旋律が、だんだんと整った形になって、それが歌だということが分かった。優しくて柔らかくて、日向に干したガーゼ生地のブランケットのような子守唄だった。なんだかお日様の匂いがした。

 遠くから車のエンジン音が聞こえた。
 それがだんだん大きくなると、ノースの歌声が聞こえなくなってしまった。背後から車のヘッドライトに照らされたぼくの影が長く伸びて双子に当たった。はっとして振り返る。双子がどうにか立ち上がったような気配もした。グロックは交差点の手前で落としてしまった。ぼくは左手の手のひらに集中してタコを出そうとするが、変身が解けてすぐだからなのか、光の集まりがとても弱い。
 あたりには排気ガスが充満して、交差点は霧に覆われていた。ヘッドライトが照らす霧の中を歩いて近づいてくる人物は、逆光でそのシルエットしか見えない。ぼくは後ろを向いて双子の位置を確認すると、近づいてくる人物と双子の間に入るように足の位置を少しずらした。

「荒鹿君。それに嶺姉妹。」女性の声が静かに響いた。
 グロックもアートマンもない。ぼくは両手の拳に力を入れる。
「誰?」ノースが声を張り上げた。
 女性はそれには答えずに歩き続け、ついにその顔が見える距離にまで近づいた。
 あれ? 平泉寺さん?

●2036/ 06/ 20/ 21:44/ 管理区域内・さらに管理居住区内

 平泉寺さんのピックアップトラックは、猛スピードでバックをして橋を戻った。助手席のシートに手をかけて後ろを向いたままアクセルを踏み込む彼女の強い眼差しは、芦原さんが見せてくれた写真と同じだった。
 橋を渡り切った交差点で車をUターンさせ、彼女は前に向き直ると猛スピードで車を出した。
「ごめん。あれが精一杯だったの。」
「どういうこと?」怒りを滲ませてノースが言った。サウスはノースの肩に頭をおいて目を瞑っていた。
「噂通りの双子ちゃん。」そう言うと平泉寺さんは、経緯を簡単に説明しはじめた。

 ぼくらの来訪をどのような形かで察知した平泉寺さんは、アートマンから放たれる小さな閃光を、センサーとして居住区の周辺にいくつか仕掛けていたそうだ。そしてぼくらはその一つに引っ掛かった。
 サウスはきっとそれを見たんだ。見失って誤魔化していたけど、駅跡のロータリーできょろきょろしていたのはその光をみていたからだ。サウスは本当のことを言っていた。

 平泉寺さんはまず、曼荼羅(まんだら)と呼ばれるアートマンの力を利用した仕組みを使って頭の中のヴィジョンに平面的な場を用意する。場を3×3で9つのエリアに分け、中心以外の8箇所にセンサーを当てがいマッピングする。そのどれかに反応があると、重力の変化で場が歪むからわかるそうだ。場の歪みの位置と実際の位置をリンクさせ場所を特定すると、すぐにぼくらのいる勝山橋に向かった。
 居住区周辺に散らばった残りのセンサーも勝山橋に急遽テレポートさせ、8つの閃光でサウスを中心にしたキューブを作って拘束した。それが曼荼羅の実体化。
 しかし、急激に場のヴィジョンが乱れ、サウスが必殺技の準備を始めたので、その直前に透明な波動でぼくらを直接幻覚(マーヤー)に送り込んだ。それも「禅」の技業(わざ)の一つ『禅の理(ことわり)・壊劫(えこう)』ということだ。
 サウスの必殺技が放たれたのも、その技業(わざ)が見せる幻覚(マーヤー)状態の中でのことだったのだ。
 ちなみにアートマンが繭に入ったのは防御の技業(わざ)『禅の理(ことわり)・住劫(じゅうこう)』だそうだ。多分サウスなら使えるようになるだろうとのこと。
「まさかトゥルクの技業(わざ)を使えるアートマンがいるとは。想定外ね。」

 平泉寺さんは橙色の弱い玄関灯が灯った古い建物の前で車を止めた。
「私の見立てでは、君たちが探している大野琴。彼女はおそらく幻覚(マーヤー)状態で曼荼羅に捕らわれている。そして、彼女の実体はAG-0に存在する可能性がある。」
 謎だけをぽつりと残し、彼女はさっさと車から降りてしまった。
 何故、彼女はぼくらを探していた? 何故、彼女は大野琴のことを知っていた? 曼荼羅? 場の歪み? テレポート? 実体化? そして大野琴の実体・・・。

 脳の霧が晴れないまま車から降りると、彼女はすでに見えなくなっていて、その霧は懐かしい匂いのする蚊取り線香の煙に遷移した。
 ぼくはノースを手伝って、ぐったりしているサウスを両脇から抱きかかえて車から降りた。二人で両側から挟むようにして支えて、首が動く範囲で平泉寺さんを探した。膝に力が入らないサウスの重みが彼女の存在の重みとして二人の肩にのし掛かる。
 家の中から人が歩く音が聞こえ、玄関の内側でぱちぱちと白い蛍光灯が灯った。がらがら開いた曇りガラスの引き戸の内側に立っていたのは小舟だった。

●2036/ 06/ 20/ 23:00/ 神奈川

 時計が23時をまわった瞬間、神奈川や東京の各地に潜伏していたカワサキ・サマージの残党が遠隔操作によって一斉に爆発した。その犠牲の中にはノースと共に空港襲撃事件を率いたアマチや、双子と荒鹿が出会った大船のカフェ・ヒュッテもあった。

 藤沢では、ガラスを破られた芦原のショップに爆弾が投げ込まれ、何度かの大きな爆発音の後に、芦原邸が炎に包まれた。大きな炎が勢いよく藤沢の夜空を焦がしつける中、周囲の建物を巻き込んでもう一度起こった大規模な爆発が、交差点付近のガソリンスタンドに引火し、最後の大爆発を引き起こした。
 離れた場所に止めた車の中からそれを見ていた芦原は、肩を落として大きくため息をつくと、降り注ぐ火の粉から離れるようにそっと車を出した。帰る場所を無くすのは初めてではなかったが、やはりダメージは心に刺さる。

 芦原は奥越を目指して西へ向かった。双子や九頭竜弟、そして平泉寺を想いながら強い後悔にかられた。
 初めから三人と一緒に平泉寺を探しに行けばよかったのだ。それは簡単なことだった。双子は強い、九頭竜君も弱くはない。自分なら三人を守ってあげられたのかもしれない。何を心配していたのだろう。無駄な心配ばかりに人生を費やしすぎたかもしれない。
 奥越で三人に合流したら、無駄なことは考えずに、平泉寺を探し出そう。彼女が見つかったら、彼女を二度と失わないように生きよう。
 そう思えたことで、芦原はついに自分が本当の意味でRTAからの脱獄を果たせたのだと思い知り、自然に溢れ出す笑みに、逆に照れてしまう始末だった。

 24時を回った瞬間、東名高速の神奈川県と静岡県との県境付近で芦原の車が爆発した。嘘みたいな話だが、芦原の車に仕掛けられた爆弾のタイマーは間違って1時間遅れでセットされていたのだ。せめてもの救いは、爆発があまりにも大きかったから、芦原は苦しまず、もしかしたら自分が死んだことにさえ気がついていないかも知れない、ということだ。

 6月20日深夜の同時多発爆発事件はサマージ完全解体として報道されたが、緊急災害チャンネルがオンになるほどのニュースとしては扱われず、その後、空港襲撃からの一連の騒ぎはやっと沈静化した。

つづく

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