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ぷるぷるパンク - 第6話❸

●2036 /06 /08 /20:04 /腰越漁港
 
「ねえ、くずの、あんた。」ずぶ濡れのノースが口を開く。
 
 嗚咽と共に突然泣き出すサウス。両手は耳元を押さえ、涙は雨に流れるまま。
「お母さんのピアス」土砂降りの雨の音がその小さな声をかき消す。
 少女は消えてしまったが、両耳のピアスは無事だった。しかし、母のピアスに守られているのに負けたショックから、サウスの嗚咽がとまらない。
 ノースが妹の肩をそっと抱きしめる。嗚咽は時間をかけてだんだんと落ち着き始めた。
 それを待っていたノースはゆっくりと立ち上がり、荒鹿を睨みつけながら、彼の目の前へと歩き出した。
 
「何なの、あの女は。あんたは性癖が技になっちゃうわけ? スタンド?」
 ノースは蔑むような目を荒鹿に向ける。
 
「いや、あの・・・。あの子のこと知ってる?」荒鹿が恐る恐る尋ねると、ノースが答える、
「知るわけないでしょ。」
 
 プシュッと音がしてマスクが上がると、眼鏡の荒鹿は真剣な表情でノースを見つめ返していた。その瞬間、荒鹿が纏っていたアートマンのアーマーが微かな光を発して消え去った。
 
「変態。」ノースは荒鹿の体を睨みつけ、吐き捨てるように言った。
 眼鏡をかけた全裸の荒鹿、冷たい雨粒が直接肌をたたく。最低限、眼鏡は無事だった。全裸に眼鏡は確かに変態っぽいけど、新しい眼鏡は、一応無事だった。
 
「あんた、RTA?」ノースが尋ねる。あわてて、手を前にして急所を隠し、服を探す荒鹿。
「変態が。」嗚咽を抑えながら言うサウス。
「ZENのこと、知ってるの?」ノースの質問に首を横にふる荒鹿。
「ゼンのコトワリ・・・」サウスは自分でも分からないその言葉を、口の中でぶつぶつと繰り返す。
 
「ぼくは、正義の味方でも何でもない。だけど、君を、君たちを、守りたい。」
 そそくさとずぶ濡れのスウェットパンツを穿き、ずぶ濡れのTシャツを頭からもぞもぞとかぶる荒鹿が、格好をつけて切った啖呵にノースは思わず吹き出してしまった。
「あんた、いったい何なの?」
 
「なんていうかぼくは、君たちをテロ組織、サマージ? から救い出して、普通の、生活に・・・。」
 
 荒鹿は思う。
 ボロ負けの上に、自分では何もしていない勝利。かっこ悪すぎる。しかも、普通ってなんだ?
 つい、この間まで何者でもなかった自分が誰かを守る?
 それって思い上がりじゃないのか?
 
 彼女たちが、何を背負ってサマージにいるかなんて自分には想像もつかない。でも、だからってそれを悪と決めつけて、自分みたいに何も背負わないことが善しとされる? それがフツウってこと? 
 仮にそうだとしたら、そんな軽い取り繕いの善が、二人をちゃんとした悪から救うなんて、できるわけがない・・・。
 
「普通?」「生活?」双子は白けた顔で目を合わせる。
「うん。何ていうか。学校行ったり、部活したり、友達と遊んだり・・・。」尻すぼみでぶつぶつ言いながら、荒鹿の脳裏によぎったのは小舟だった。
 
 きっと普通で、きっと幸せな小舟の人生。雨さえ降らないのではないだろうかと荒鹿は思う。
 いままで考えたこともなかったが、自分は深層心理でそんな暮らしに憧れているのだろうか。
 不意に脳裏にノースのスケートボードのシーンがフラッシュバックする。屈託のない笑顔。それが悪? どうしたって頭の中で考えがまとまらない。
 
「そういうの、すごい、ひどいよ。」ノースが起伏のない声で言った。ひどく疲れたような、諦めたような、彼女の声の中にはそんな響きがあった。
 
「むかつく、階段から、足を、踏み外して、死んで、ほしい」嗚咽を抑えてサウスが続ける「それか、車ごと、海に落として、殺す」
 
 どちらにしても、双子は謎のアートマンを倒すことができなかった。あのトゥルクみたいに遠隔で殺される。用済みだ。
 
 ノースは考える。
 空港までは楽しかった。変わり映えのしない毎日だったけど、そう、確かにそれが普通だったのかもしれない。二人に友達はいなかったけど、二人だけで幸せだった。他の選択肢なんてあったのだろうか。
 もしシンガポール航空を襲わなかったら? もしその前にサマージを抜けていたら? もしサマージに入らなかったら?
 ノースは考える。
 用済み、遠隔起爆。首の後ろの装置に手を添えてみる。ぴら。起爆装置が、何事もなかったように剥がれ、ノースの指先にぶら下がっていた。
 え? あれ? なんで? 
 
「さっちゃん!」腕を上げて、剥がれた起爆装置をひらひらと揺らして見せるノース。
 サウスは驚いて、濡れて髪の毛が張り付いたうなじを確かめる。あ、剥がれた・・・。
「あっ、剥がれた!」
「あの金色の光で!」声が揃う。二人は驚いて目を合わせる。世界の前提が変わる!
 
 海風と雨音の中でもはっきりと聞こえる小さな電子音。二人分の起爆装置を操作していたノースは、足元から拾い上げた拳ほどの大きさのコンクリートのかたまりにそれを貼りつけると、どこか遠くへ向けて思いっきり投げた。
 それは垂れ込めた低い雨雲にも届きそうな綺麗な弧を描いて、三人が乗ってきた車に届くとフロントガラスを割って車内に転がり込んだ。
 雨が降りしきる中、三人は黙って車を見つめていた。誰も口を開かずに、ただ車を見つめていた。思わせぶりなしばらくの静寂の後、突然車内に閃光が走り抜け、車は巨大な音をたてて爆発した。
 
 双子は顔を見合わせ、無言でお互いを強く抱きしめた。サウスが再び肩を震わせて泣き始めた。
「さっちゃん、涙もろい」ノースがサウスの背中をさする。
「う、ぐ、」下を向いて、両手で涙を拭うサウス。
「ほら、ね?」ノースは、サウスの背中をさする手を肩で止め、彼女を抱き寄せた。
「うん」サウスはノースの腕を振りほどき、上を向いて雨と涙を拭った。
 
 豪雨の中で体育座りをして、双子越しに遠くで燃える車をぼうっと見つめている、ずぶ濡れの荒鹿にノースが突然向き直った。
 彼女の髪の毛やピアスや、その肩から勢いよく跳ね返った水滴が、灯台の光を受けてきらりと弾けた。さっきまでとはまるで違う、晴れやかな表情だった。
「ねえ、くず。あたしたちは、あの子に用があるみたい。」
「あ、奇遇ですね。ぼくも・・・(くず、定着?)。」
 
 アートマンのアーマーが身体から剥がれ落ちてもしばらくは意識のあった荒鹿とサウスが、ここでほぼ同時に意識を失った。
 
 頭の中がぐわんぐわんと揺れ始め、荒鹿は白い幻覚に落ちていった。いつものようにセーラー服の女の子の夢だった。
 
「あ、君。さっきは・・・。」
「君は、弱いね。」少女は無表情のまま荒鹿を見ている。
 
「え、待って。」
 荒鹿は、彼女に向けて手を差し出す。
「私は・・・。 」
 少女は一瞬だけ、困惑の表情を見せた。
 
「ぼくは、君のことをずっと知ってるような気がするんだ」
 少女すぐに無表情に戻り、
「あら、そう。私はそんな気がしないわ。」と言い捨てた。
 
 光の空間に突然サウスが現れた。
「やっぱり・・・。どうして、出てくるの?」サウスが荒鹿を睨みつける。
「でてくる?」セーラー服の少女はきょとんとして、サウスに聞いた。
「だって、これは、さっちゃんの夢なの。どうしてあんたたちが出てくるの?」
「夢?」少女がサウスの正面に向き直り、真剣な表情でゆっくりと口を開く。
「さっちゃん・・・。私は。」
 
 足元の安定が突然ぐにゃりと崩れ、荒鹿はどこか得体の知れない深みに向かって落下する。
 歪み始めた白い光の螺旋の中で、うっすらと離れていくセーラー服の女の子とサウスの会話を耳にしながら、荒鹿はどこまでも落下する。
 
 つづく

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