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ぷるぷるパンク - 第11話❸

●2036 /06 /19 /12:23 /観音ゲート前マーケット・渡小舟

 蚊取り線香の匂いで満たされた暗い部屋の冷たい畳の上で気がつくと、すこやか少年がお盆で何かを運んで私の横に歩いてきたところだった。蝉の声がする。ときおり風鈴が鳴る繊細な音が遠くから聞こえる。

「お姉ちゃん、お粥、食べ」すこやか少年は、私の背中を押して私が起き上がるのを手伝ってくれた。
 私はだいじょうぶだから、と言ったのだけど、彼はスプーンで掬ったお粥を一口づつ私の口に運んでくれた。ちょっと熱いくらいのお粥には梅干しが崩してああって、少しの塩みと少しの酸みが優しい。優しいな、少年。

 私は横に置いてあったサコッシュからスマートフォンを取り出すと、その画面を少年に見せた。薄暗い部屋の中で、画面からぼうっと浮かび上がる光を顔に受けて、少年の目が輝いている。
「暗いね、もう夕方?」私は部屋を見回しながら言った。
「くろぉなってんけどぉ、1時間ちょぉしか経ってえんよ。」少年の目はスマートフォンから離れない。
 私は指で一枚一枚の画像をゆっくりとスライドさせる。
「これが荒鹿くん。私の幼馴染み。(かっこいいでしょ)」少年はうんうんと二度頷く。よしよし。
「これは、双子のお姉さんなんだって。私は会ったことないの。」少年の目が少し輝いた気がする。
「そしてこれは、その妹さん」少年は不意に視線を私に移した。
「そうだね。髪の色が違わなかったら、同じ人かと思うよね。」少年はスマホに目を戻しながら頷いた。

「ここまでが、私が探している三人なの。」私は胸にちくりと痛みを感じながら、次の画像をスライドさせる。
「これは、大野さんの捜索ポスター。私の同級生なの。今の三人が探している人」少年は画面の中の小さい文字を読もうとして顔を近づけたけど、さすがに文字が小さすぎる。諦めて、元の姿勢に直った。
 次だよ、すこやか君。集中を切らさないで。そして、これには私も、かなり驚いている。

「そして、はい。」最後の画像を見せる。少年は予想通りに大変驚いた。私の手からスマホを取り上げて、色々な角度から画像を覗き込もうとした。
「マホロぉ。あやいのぉ。」少年は立ち上がった。
「私は写真よりもきれいだと思ったよ。」彼に手渡されたスマートフォンの画像をもう一度見てから画面をオフにする。
「マホロ、呼ばってくる。」少年は立ち上がった。
 え、「ちょっと待って。」私はどうしていいかわからなかったけど、ちゃんと何かいい作戦を考えてからお話しした方がいいと思うの。
「お姉ちゃん、立てるけ?」少年が私に向けて手を差し出す。小さくて、きめの細かいすべすべの子どもの手だ。私は彼の手を握って立ち上がった。
「うん。行ける」
「おばさまが、もうちぃとで帰ってくるでぇ、その前に行かんと」

 すこやか少年は私のバックパックをかついで暗い廊下を早足で歩き始めた。廃墟かと思っていた一軒家の内部は、実は丁寧に手入れされていて、割れたガラス窓はベニヤ板で補修され、機密性がちゃんと保たれていたり、割れていない部分の窓や玄関の扉なんかは新しいものに変えられていた。

「マホロぉ。お姉ちゃん、かたいて。もう帰るでぇ、うらぁ、ほこいらまで送ってくるで。」ドアを開けて大きな声を出しながら、少年はサンダルを引っ掛けると眩しく光るマーケットへと駆け出した。私も彼に続いて外にでると、マホロさんが心配そうに私を見た。しっとりとして優しいけど強い眼差しに、心臓がどくんと鳴った。胸の病いが再発しかける。少年は勢いよく彼女の脇を走ってすり抜けようとしたが、マホロさんは私を見つめたまま腕を伸ばして簡単に少年を確保した。
「なんか隠してるんでしょ、すこやか。」マホロさんは、私に微笑みを送りながらすこやか少年をじわりじわりと締め付けている。顎を締めるマホロさんの腕をぺしぺしと叩くすこやか少年。
 マホロさんはその腕を解くと、屋台のカウンターに残っていたおにぎりを笹で包みながら。
「二人は先に車に行ってて。すこやか。連れて行ってあげて。」すこやか少年は私のバックパックを背負い直しながらおにぎりを一つとった。

「はなから、ほうするはずやってん。こっぺなぁ!」
 そう叫んで走り去るすこやかを見ながら平泉寺は思った。お前の方がこっぺ(生意気)だ、と。

●2036/ 06/ 19/ 16:34/ 管理区域内・嶺ノース

 あたしたちはお昼過ぎに川沿いを離れ、しばらくは山を登っていた。数十メートルごとに種類の違うお地蔵様が獣道を見守っていて、少し奇妙な感じがしたけど不思議と怖くはなかった。きっと、この地域に人が住んでいた頃の名残なのだ。
 まっすぐで背の高い杉の木が、立体的なグリッドのように切り出す山の景色にもそろそろ見慣れてきた。1時間くらいは登り続けている。意外と息がきれる。標高が上がり背の高い木が減って空が広くなると、体温がぐっと上がるのがわかる。
 ときどき道が平坦になると、クズリュウがなぜかスピードを落としてペースを崩す。さっちゃんはペースを考えずに先へ先へと進んでいた。あたしは、さっちゃんについては彼女のペースに任せ、クズリュウにペースを合わせて彼の少し先を歩いた。

 先頭を歩くさっちゃんが突然歩みを止めた。さっちゃんは空に向かって大きく両手を広げていた。あたしとクズリュウはさっちゃんに続いてつづいてその場所に立った。
 高台のその場所からは、地球(そら)の環(わ)を背にして遠くに霞んで見える山々の稜線に囲まれたた勝山盆地の全体像を見渡すことができた。マップによると右の奥に見える特に大きい山々が白山なのだろう。
 川沿いを歩いている間は、可愛い恐竜みたいに見えていた緑の山々も、高台から見下ろすと谷間に迫る凶暴な恐竜みたい。狭い平地部分に暮らしていた人々や、きらきら光るエメラルドグリーンの川を食べてしまおうと集まる、大きな肉食恐竜の群れ。

 とにかく。あたしたちは、ついにたどり着いたのだ。
 視界の中心には太陽の光を眩しく反射する銀の卵、AG-0が遠くの山の中腹に燦然と輝いている。まだ、ほんとの卵みたいに小さいけれど、ついにAG-0を目視で確認する事ができた。
 銀の卵は真緑の丘陵の中で、肉食恐竜の中でも特に大きくて強い恐竜たちに守られているみたいに、堂々と鎮座していた。
 さっちゃんが振り向いて倒れるようにあたしに抱きついた。

「疲れたー!」そうだね、さっちゃん。あたしはさっちゃんを抱きしめる。クズリュウは深呼吸をして、岩場に腰をかけて水筒の水を飲み干している。
 あたしはさっちゃんを抱きしめたまま、二人で草むらに倒れ込んだ。
 仰向けになって腕を広げる。あたしの視界には空がいっぱいに広がっていた。
 頭上にはくっきりと地球(そら)の環(わ)が見えていて、今日はその細い溝までがいっぱい見える。アジトで見る地球の環よりも、解像度が高いみたい。空気が綺麗だからだろうか。なんだか心が落ち着く。あたしは深呼吸をして、目を瞑った。
 
 まずは、テントを広げてキャンプを設営し、暗くなるまで休んだら、夜遅くにはルート作成と偵察拠点の選定のためにここを降りよう。ついでに集落の様子も見てみよう。明日以降の食糧の調達も考えなければいけない。
 二人にそれを伝えるとクズリュウはすでにうとうとしていた。驚いて寝ぼけたような声でうんと言って顔を上げようとしたけど、またすぐにうとうとし始めた。さっちゃんは空を見たまま「お腹すいた」と言った。昨日の朝からカロリーブロックばかり食べていたから、そろそろちゃんとしたものが食べたい。
「さっちゃんはおにぎりが食べたい」
 おにぎりを思い浮かべると、二人ともぐるるるうとお腹がなったから、あたしたちは笑ってしまった。

つづく

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