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ぷるぷるパンク - 第9話❶

●2036 /06 /16 /16:20 /鎌倉女学院
 
ーーにゃんにゃん、にゃんにゃん
 
 「猫犬山(ねこいぬやま)」の可愛くない鳴き声が私たちの脈絡のない会話を遮り、メッセージの着信を知らせる。
 猫犬山というのはTikTok303で最近流行っているブルドッグのように獰猛に吠える猫で、「澄(す)まし汁(じる)」というおすましでいじわるな猫とその下品な鳴き声のギャップがバズっているアカウントだ。その猫犬山の吠え声を着信音にするのが女子高生の間で流行っている。遠吠えバージョンもあって、それが授業中とかに鳴ってしまうと、まあ、あまりにも可愛くない。
 
 友達とヴィジョン共有中に、フォルダの後ろの方に隠していた荒鹿くんとのチャトボが立ち上がり、みんなの視界に黄色のポップアップが表示された。私は焦って、そのポップアップをアプリごと落とす。ふええ。隠しきれたかな?
 
 今日の放課後は教室の後ろで、試合で授業を休んでいたバレー部の子たちに休んだ分の授業を共有するって名目で、だべりタイム。ちょうど誰かがバイト先の大学生との恋ばなをしていた時だったから、気まずいったらない。
 
「なになに?小舟、ボストン茶会事件?」
「ほっぺた赤くなってるよ」
「え、見えてないでしょ。」
「何? 男? 画像見せてよ画像」
「恥ずかしいよ。ただの幼馴染みだし。」
 頬に触れてみる。赤くなっているかは分からないけど、実際熱を帯びているから、余計に恥ずかしさの増しどころ。
 
「やっぱり男じゃん」
「幼馴染みって、フラグだから」
「いや、何フラグ?」
「死亡フラグ」
「意味わからん」
「ちょっとごめん。」
 私は共有を切ってメッセのアプリを立ち上げる。
 
「あれ? 小舟?」
「ちょっと待ってね」
 
9[今日、用事があっていま鎌倉、一緒に帰らない?]
 珍しい。荒鹿くんが大船から出てくるなんて。
♪[わかった。すぐ出れるよ]
9[外の歩道橋にいる]
 え、近いよ。もうちょっと心の準備がしたかったところ。
♪[はーい]
 
 私は共有に戻らずに、ヴィジョンを外す。何人かもヴィジョンを外して立ち上がった私を見上げた。
 
「なんて?」
「いや、あの、今日は、用事ができたから帰るね。」
「WHAT?」
「ごめん〜」
「何? 彼氏?」
「いや、だから、幼馴染みだって。」
「画像見たい! じゃなきゃ行かせない!」
 水泳部の友達がふざけて私に抱きついて邪魔をする。
 
「もう、ちょっと待ってね」
 友達を振り払いながらヴィジョンをかぶる。共有をオフにしたまま画像フォルダを検索。
「ほら、これ。」
 共有オンで、ほら。みんなのヴィジョンには、まだ私より背が低い頃の荒鹿くん♡
「これ、いつよ」
「小学校3年」
 
「いや、面影わかんねーし」
「逆に、面影しかわかんねーし」
「もう、そうやってごまかすんだから小舟は」
「ええ、じゃあ、これ」
 じゃーん。イケメン荒鹿♡ どうだ女子ども。
 
「あら、イケメンさん」
「いい成長見せたな」
「そ、そうかな?」ふふふ。
 
「オーストリア皇太子?」
「いや、暗殺されてるから」
「てか、メガネじゃないでしょやつは」
 
「てか、小舟の好きだった先輩に似てない?」
「鎌学の?」
「水泳部の?」
「メガネの?」
 
 なんと、そっちに来ますか・・・。
 
「好きじゃないし。」
「いや、一緒にバレンタインあげ行ったし」
 それはそうだけど。
「幼馴染みに似た人を好きになるって、あるあるだよね〜」
「幼馴染みいないからわからんし」
「いいよ、わかんなくて、じゃあね」
 
 いいの、わかんなくて。もう、行かなきゃ。
「いや、それアイドルでもあるから」
「がんばって〜」
 
 がんばらないよ。
「じゃあね、また明日。」
「いざ鎌倉〜」
 
 急に来たのは荒鹿くんだから、私が急ぐ必要はないんだけど、やっぱり、最近の荒鹿くんはちょっと気になっている。
 交差点まで来ると、夕方間近のぬるい空に、新しくはっきりした飛行機雲と時間が経って青い空に馴染むように消え始めた飛行機雲がちょうどクロスする辺りにふわふわのクジラみたいな雲が浮かんでいて、若宮大路(わかみやおおじ)の歩道橋の上でぼんやりと地球(ちきゅう)の環(わ)を見上げている荒鹿くんを食べてしまうくらい大きな口を開けているように見えた。声を出して名前を呼ぼうかとも思ったんだけど、私は階段を駆け上がり、息を切らしたまま荒鹿くんの隣に到着した。
 
「珍しいね、荒鹿くんから連絡くれるなんて。」
 荒鹿くんは、すこしだけぎこちなく笑う。
 
「ごめんね、急に。」
「大丈夫。」ちょっと痩せたかな。頬が少しこけた気がする。
 
「これからどうする?」何の悪気もなしに、いっちゃう荒鹿くん。
 こういうところだよ。荒鹿くんのこういうところ。
 誘いだしておいて、何も決めていない。それどころか私にどうするか聞く? 呼び出された私に? 多分、ちょっと苛つきが表情に出ちゃった。
「あ、ごめん。もし、予定ないなら、お茶でも行く?」
 もう、予定があったら来ないよ、逆に。なんなの? お茶でも、なんでも行くよ。ボストン茶会事件なの? ほんとに。
 
「うん。いいよ、行こ。」
 私は先に歩き出した。荒鹿くんを追い越すと、季節外れの金木犀みたいな、ちょっといい匂いがした。近すぎたらばれちゃいそうな自分の心拍数が心配。
 
 しばらく無言のまま若宮大路の歩道を歩く。私はカバンの中を探して、荒鹿くんにグラノーラのバーを手渡した。
「はい、カロリー」
「あ、ありがとう」
「ちょっと痩せたみたいだから。」
「うん。」荒鹿くんは、しばらくの間黙ってグラノーラバーを見ていたけど、包みを開けずにスウェットのパンツのポケットにしまった。
「あとでいただく。」
 
 ちょっと長谷の方で遠いんだけど、いい感じのカフェがあって、彼氏持ちはみんなそこに行くんだって。荒鹿くんは彼氏じゃないけど、せっかくだからいい感じのカフェでまったりしたいな、なんて思う。
「予備校決まった?」
 荒鹿くんの顔を見上げる。覚えててくれてるんだ、私の話。
「うん、大船で良さそうなところがあったから。鳴鹿ちゃんにも聞いたんだよ。」
 それなりにいい予備校が見つかったのは、ほんと。でも、荒鹿くんがいるからっていうのも、ほんと。
「そっか。」
 そっか、別に興味があって聞いてくれた訳じゃないんだ。だけど、無言で歩く二人って、嫌いじゃない。
 
「ねえ」と言って突然立ち止まると荒鹿くんは私の両肩に手を添えて、私を荒鹿くんの前に直立させた。
 あ。心拍数が、やばい。
 私は咄嗟に目をそらしたけど、やっぱり気になって彼に戻した。
 荒鹿くんの視線が足元からゆっくり上がってきて最後に目が合った。なになに、なんなの?
「やっぱり。」
 荒鹿くんは、まるで、何もなかったように歩き出す。
 はい? 待ってよ。なんなの?
 
「ねえ、なあに?」
 荒鹿くんは、まるで、何もなかったように口を開いた。
「あ、ごめん。小舟のセーラー服。」
 え?あ、うん。なんだろ。
「実は、人を探してて。その人もセーラー服なんだ。」
 
「え?」私は状況を掴めずに聞き返す。
「小舟の学校の人だと思う。」荒鹿くんは前を見て歩いている。私は彼のメガネの奥にある瞳を見つめる。
「え?どういうこと?」
「黒髪のロングで前髪ぱっつん、身長は小舟よりちょっと大きいくらいかな」
 ちょっと話そうか荒鹿さん。しかも、ちょっと大事な話かもしれないね。
 
「荒鹿くん。お茶しよっか、ちゃんと。ちゃんと話そう?」
「あ、うん」
 
 私は、ちょっとさっき通り過ぎた若宮大路沿いのチェーンのハンバーガーショップに向けて踵を返す。いい感じのカフェとか、言ってらんない時があるよ。
 もたもたと付いて来る荒鹿くんは多分、生徒会の大野さんのことを言っている。
 大野さんは空港の事件以来学校に来ていない。親御さんが警察に行方不明者届を出したそうだ。女子たちの間では、彼女がサマージだったんじゃないかって噂がひっきりなしに回っている。生徒だけじゃなく、先生やコーチたちも不自然なくらいに空港の事件やサマージの話題を避けている。
 ちょっと遅れて歩く荒鹿くんの手首を掴んで、店のドアを開けると、一番近くで空いていた窓側の席にカバンを置いた。
「ねえ、荒鹿くん」私はスマートフォンで二人分のアイスコーヒーを注文して、彼を向かいの椅子に座るように促した。
「やっぱり荒鹿くん、サマージなんでしょ。」
「え?」
 スマートフォンで画像を検索。誰かがわざわざ見つけてきて学校で出回っている大野さんの捜索願の画像を見つける。
「この子。大野さんって言うんだけど、サマージだって噂。」
 荒鹿くんは、なんていうか、とても驚いたような表情で私を見た。私は、荒鹿くんの前にスマートフォンを置いた。
「ほら、これが大野さん。」
 
「大野さん」彼女の名前を口にして、荒鹿くんの表情が固まる。一度顔を上げて私の目を見て、スマートフォンに戻ったっきり、そこから目を離さない。
「うん。」私は頷く。うんじゃないんだよ、ほんとは。
 そうだよ。大野さんだよ。
 荒鹿くん、大野さんを知っているの?
 
「大野さん」荒鹿くんは繰り返して、彼女の名前を口にした。
「・・・うん。」だからさあ・・・。
 
「大野さん」
「・・・。」
 九頭竜さん。なんでしょうか?
 
 大野さんは荒鹿くんにとってなんなの? 一体何? なんでこんなにはっきりしない訳? なんか言ってよ。
 
「なんで彼女、大野さん、サマージなの?」荒鹿くんは、眼鏡の奥の、濁りのない瞳で私を見た。なんなのピュアなの? しかも、何? 質問に質問で返す?
 って私の質問は声にしてないか。
 
「空港の事件以来、学校に来てないの。」私は窓の外を見て答えた。
「そっか、会えるかなって思ったんだけど。」彼がどんな表情で、それを言ったのかは、知りたくない。
「会いたいの?」
 そう言って荒鹿くんを見ると、彼は私が今まで見たことがないような神妙な表情をしている。
 
 アイスコーヒーが運ばれてきた。
「あ、ありがと。いつの間に。」
 荒鹿くんは顔をあげて、少しきょとんとして運ばれてきたばかりのアイスコーヒーを見ている。
「注文しといたよ。ねえ荒鹿くん。」
 
 荒鹿くんはまだ、少しきょとんとして運ばれてきたばかりのアイスコーヒーを見つめている。私がアイスコーヒーを手元に寄せてストローで一口啜ると、彼もアイスコーヒーを手元に寄せた。
 
 荒鹿くん。やっぱり、好きだな。ちょっと痩せて、ちょっと大人っぽくなった。
 
「荒鹿くんは、サマージなの?」私は、もやもやとしていた気持ちをぶつけた。
「え? なんで?」荒鹿くんは驚いた目で私を見た。
 
「荒鹿くんが学校に行かなくなったこととか心配だし。よくいる大船のカフェもサマージって噂。そして荒鹿くんから大野さんの話が出るなんて、もう、絶対サマージで決まり。私は、」私は・・・。どう言ったらいいのだろう。
 
「そう言われると、そんな感じするけど。」彼は下を向いて、ぶつぶつと消え入りそうな声で言った。
 
「私は、荒鹿くんのこと、」
 荒鹿くんが、急に顔を上げて私を見たから、私は言葉を失う。
 
「私は、荒鹿くんのことが、心配なんだよ。」
 
 荒鹿くんが真っ直ぐ私の視線を見つめ返す。強い目線で私を見ている。こういう真面目っぽいところ。好きだな、私。同年代の男子たちとは違う雰囲気というか。
 
 そんな視線が嬉しいのに、嬉しいのに。そんな視線が、きっと初めて私に向けられている。でも、荒鹿くんが何を考えているのか、私には全然わからないよ。
 
「大野さんをずっと知ってる気がするんだ。」荒鹿くんは右耳の後ろ側を掻いて、ゆっくりと呼吸をしてから続けた。彼の視線は窓の外に逃げてしまった。
「それに、彼女は絶対にサマージじゃない。」遠くを見たまま、彼は言った。
 
「ねえ荒鹿くん。約束して。荒鹿くんがサマージじゃないって。そして、これからもサマージに入ったりしないって。」
 私はテーブルの上に置きっぱなしの荒鹿くんの手を触った。荒鹿くんの視線の先の地球(ちきゅう)の環(わ)の下にさっきとは別の新しい飛行機雲が見えた。私の指先から伝わってくる荒鹿くんの温度が、突然すごく愛おしい。なぜか、喉のところまで涙が出そうになる。荒鹿くんは、サマージだ。
 荒鹿くんは、多分、サマージだ。自白や証拠はない。女の勘。でも、状況はそう言っている。荒鹿くんは、絶対にサマージだ。
 
「大野琴さん。学年は一緒。3年生。」私はひとつ、わざとらしいため息をついてから、大野さんのことを話すことにした。
 
「成績はいつも上位で、生徒会にも入っている。役職はわからないかな。とってもいいお家のお嬢様らしくて、音楽室でピアノを弾いているのを聞いたことがあるって子もいたよ。なんだっけ、ショパン? みたいなやつ。
 それから、七里ヶ浜の海が見えるお家に住んでるみたいで、飼っているラブラドール・レトリバーの名前はダーマ。わんちゃんのお散歩中に会った子がそう言ってた。
 裏の渾名(あだな)は仏御前。元々はみんなの彼女に対する尊敬が表れているんだけど、サマージの噂が立ってからは、ちょっとしたディスみたいになっちゃった。
 3年生になったばかりの頃に一回だけ帰りが一緒になったことがあって、成り行きで進路の話をしたんだけど、卒業したらアメリカの大学に行きたいとか、日本だったら工業系の大学に行きたいとかで、研究者志望らしいの。お父様が以前、appleだかATMAだか、それ系の有名な外資系の会社でエネルギーの研究をされていたみたいで、調和だっけ、なんかそんなことを研究したいって言ってた。
 私には新しいことばかりで、あんまりちゃんと覚えてないんだけど、ぷるぷるパンクって言ったら、エネルギーのあれだから私も知ってて。」
 
 他にも、彼女の私服が可愛かったって話とか、バイクの免許を持っているらしいとか、学校帰りにラーメン屋に入っていくところを意外と何度も目撃されている話とか、私は大野さんについて私が知っていることの全てを話した。
 
 荒鹿くんは途中で少し頷いたり、首を傾げたりしていたけど、ずっと無表情だった。あえて表情を崩さないようにしているのがわかった。
 
 荒鹿くんと大野さんの関係性はわからない。荒鹿くんはなぜか大野さんを知っていて、しかもずっと知っていて、今日まで名前も知らなかったのに、会ったこともないのに、とても気にしていて、そして、私はただの幼馴染み。
 これが幼馴染みの死亡フラグか。やっぱりフラグ立ってたかー。
 
 駅までの道のりを、私は勝手に荒鹿くんの手を握って歩いた。学校の子が見かけたら、恋人同士に見えると思う。でもそんなことは関係ない。だって、私はずっと荒鹿くんの幼馴染みだから。
 その手に少し力を入れると、荒鹿くんも握り返した。私は涙が溢(こぼ)れそうなのを堪えて、喉に力を入れていたから、何も話すことができなかった。
 
 江ノ電の改札口で手を離すと、彼の手が落ちてしまう前にもう一度彼の手をとって、彼の小指に自分の小指を絡めた。知らない人たちが、知らない理由で私たちの周りを、鎌倉の街を通り過ぎていく。
「約束だよ。サマージとはずっと関係ないって。なんていうか、ずっと、安全でいて欲しいの。明日の夜、電話するから。」
 
 荒鹿くんと別れると、私はすぐにヴィジョンをかぶって、涙が溢(あふ)れるのを我慢するのをやめた。海沿いは夕日が眩しくて、でもそれって、マイナス100度の太陽みたい、と思った。なんでだろう。悲しい時に悲しい歌を聴くと余計に悲しくなるのに、悲しい時には悲しい歌が聴きたくなる。
 
 その前後のことはあまりよく覚えていない。家に着くとお母さんがご飯を用意してくれていたけど、私はベッドに直行してばったりと倒れ込み、制服のままで眠った。妹が様子を見に来たみたいだけど、起き上がることができなかった。
 荒鹿くんが触れた私の両肩が、彼が握り返した私の手がなんだかあったかい。約束を交わした私の小指がなんだかあったかい。私はいつもみたいに、起きても覚えていないような、あたりさわりのない夢を見る。

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