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ぷるぷるパンク - 第12話❷

●2036/ 06/ 20/ 10:05/ 管理区域内・高台の野営拠点

 蝉の声と直接照りつける日差しが強すぎて目を覚ましたのは10時過ぎだった。
 昨晩キャンプにたどり着いたのは既に明け方で、ノースはコットをテントの中に運んで寝ていたけれど、ぼくとサウスはテントの外に置きっぱなしだったコットにそのまま倒れ込んで寝てしまったのだ。
 サウスは木陰のコットでまだ眠っていて、テントを覗いてもノースは見当たらなかった。
 ぼくはヘルメットバッグの中から小さなポーチをとりだして、コットに腰をかけて目薬を差した。太陽が眩しい。
 今日も晴れ。姉さん、奥越は夏です。残り少なくなってきたカロリーブロックを砕きながら少しづつ食べた。

 ストレッチを兼ねて周囲を散歩していると、透明の水で満たされたウォーターバックを両手に持ったノースが林道を上がってきた。一つ5リットルだから二つで10キロ。頭が上がらない。
「おはようクズリュウ」ノースは心なしか俯いて、不器用な感じで微笑んだ。
「ありがとう」ぼくは手を伸ばしてその一つを受け取り、並んでキャンプに戻った。寝返りを打ってコットから落ちたのだろう。サウスは、さっきとはかなり離れた木陰の草むらの中で眠っていた。ぼくらはAG-0が遠くに見下ろせる平たい岩に二人で並んで腰をかけた。

「クズリュウ。今日、夜になる前にカロリーブロックが無くなるよ。」
「知ってる。」と言ってぼくは自分のカロリーブロックの残量を伝えた。
「それから虫除けスプレーがなくなった。」ノースを見ると、彼女は咄嗟に逆を向いた。その直前に彼女の左の眉毛のちょっと上、前髪のちょっと下に赤くてぷちっとした可愛いらしい虫刺されの痕が見えてしまった。
「見ないで。」あ、そういうことですね。今日のノースは怖いかも知れない、と思う。

「クズリュウ。」
「はい。」ぼくはあまりノースの顔を見ないように頷いた。
「予定よりも早くカロリーブロックが無くなる。多分アワラが用意してくれた食糧の袋を忘れてきちゃったんだと思う。」ノースの声のトーンは低い。
「ごめん、ぼくが入れ忘れたんだと思う。・・・」ああ、あの時、荷物を運んでいたのはぼくだ・・・。ため息しか出ない。なんで、こういう大事なところで失敗してしまうんだろう。だから誰からも必要とされない。これがクズの九頭竜荒鹿なのだ。
「ねえ、クズリュウ。あたしは誰が悪いとか、どうしてればよかったとか、こうしてればよかったとか、そんな話をしてるんじゃないの。」ぼくは彼女の顔を、二重の意味で見る事ができない。
「ごめん。」
「だから。謝ってほしいとか、そんなんじゃなくて、これからどうするかを話したいの!」ノースの口調が強まった。ぼくは黙っていることしかできない。

「このまますぐに平泉寺さんが見つからなければ、手分けをして観音ゲートまで戻って物資調達が必要になる。」ノースの口調は少しだけ落ち着いていた。
「そうだね。往復は、なんだかんだ言って8時間くらいはかかる。」ぼくは恐る恐る口を開いた。少ししゃべり過ぎただろうか。
 ノースは深くため息をついた。
「例えば週一回、交代で買い出しに行ったとしても、いつまでもそうしてるわけにはいかないでしょ?」
「どこかの空き家に拠点を移す?」
 ノースがもう一度ため息をついた。答えを間違えてしまったのだろうか。
「わたしもそう思ったんだけど、いつまでも見つからなかったら? ずっと奥越に隠れて住むつもり?」ノースにも正しい答えは分かっていなかった。
 ぼくらが生きているこの『今』に、正しい答えなんてないのだ。
 そう、もしこれが普通に学校に通う高校生だとしたって同じこと。答えが分からないからこそ、ぼくらは生きて、何かを探している。もしかしたら、その何かが答えかもしれないから。

「あたしたちは、大野ちゃんを出現させて、クズリュウのアートマンの謎を手に入れて、RTAと交渉しないと自由にはなれない。そのために必要なのは平泉寺さん。あたしたちは彼女を探さないといけない。でもね、平泉寺さんが見つからなければ、ずっと自由にはなれない。帰る場所もないから一生ここに住んで、一生ここで平泉寺さんを探すことになる。そんな人生って・・・。」
 ノースが口をつぐんだ。彼女がネガティブなことは、そんなに珍しいことではないけれど、いつになくネガティブみが深い。
「でも別ルートの人生だって実は同じ。クズリュウは大船に戻って、あたしたちがエッセルと隠れサマージになるとか。例えば、闇市の偽造パスポートで知らない外国に行って、クズリュウは大船に戻るとか。」

 ノースにそう言われてはじめて、ぼくは「この後」のことを意識した。
 計画がうまく行けば、きっと夏が終わる頃にぼくは学校に戻るだろう。きっと留年することになるだろう。どうせ浪人したって変わらないから、大きい問題ではない。姉ちゃんに頼り続けるのもあれだし、バイトでも始めようか。ノースがヒュッテにいたらいいのに。そうだ、双子は芦原さんのショップでバイトをすればいい。それは、手に取るように想像できる。
 だけど、ノースが言うようなルートの人生は想像もつかない。なんの根拠もないけれど、この後も双子は普通にぼくの人生に存在し続けるような気がする。

 ぼくはノースの肩に手を置いた。彼女は確かめるように首を傾(かし)げ、頬でぼくの指に触れ、そして首を元に戻した。ぼくが手を離すと小さな声で「いいよ」と言った。
 ぼくはもう一度、今度はノースの肩をぽんと叩くと立ち上がった。
「大丈夫。見つかるよ。」
 続けてノースも立ち上がった。
「何を根拠にそう言うわけ?」強い口調にぼくは驚いてノースを見る。

「クズリュウ、ちゃんと考えてる?」その視線に、少しの怒りが見える。ヒュッテで初めて会った日に見たような眼差しだ。
「いや、でも、考えたってどうにもならないじゃん。」正論だとは思うけど・・・。
 二人の間には気まずい沈黙が流れる。

「ちゃんと考えてよ!」声を荒げてノースが言った。
「いや、だから・・・」ぼくが反論しようとすると、ノースはさらに捲し立てる。
「あたしたちについてくるだけじゃなくて、自分でも考えて行動して!」ぼくは反論をしようと、いろいろ頭を巡らせてみたけど、反論になる言葉がみつからない。
 実際ノースの言う通りなのだ。こっち側の世界において、ぼくはただの初心者だし、何が正しくて何がそうじゃないか、新しいことがありすぎて答えがわからない。だからいつも双子の後ろについて歩いてきた。
 自分で考えてグロックの引き金を引いた雨の夜。直接的な解決にはならなかったけど、それは自分で考えた結果の行動だった。でも、それは一人だったできたこと。自分で考えるしかなかっただけ。二人がいると、ぼくは実際に何も考えていないのかもしれない・・・。

「だいたいなんであたしがクズリュウの面倒見てるわけ?」ぼくは俯いていることしかできない。言い訳をしたって何も解決しないのだ。
「いつもあたしとさっちゃんが引っ張って、あんたのことを引っ張って、」
 すこし弱まった口調でそう言った彼女は、うなだれて足元の岩に座り込んだ。
 ぼくは、黙って突っ立っているクズの九頭竜だ。今だってどうしていいかわからない。どうしたらノースが元に戻ってくれるのかわからない。クズなりに考えたって答えなんかでない。

「あたしだって、引っ張るだけじゃなくて、引っ張って欲しって思ったっていいじゃん。」
 ぶつぶつと呟くような声のノースは、最後にほとんど囁くような声で「ごめんね。」と言った。

 ぼくは、彼女の隣にすわって、遠くに光るAG-0を見つめた。どうしていいかわからずに、AG-0を見ていることしかできなかった。太陽の位置が少し変わって、AG-0が強く光を反射した。
 蝉の声がして、飛行機雲が空に溶け、地球環はいつも通りに輝いていて、でも答えはAG-0みたいに遠くにあって、もし仮に、近づくことができたとしても、中に入ることができたとしても、答えを手にすることなんてできない。夏はそうやって始まり、そうやって終わる。

「もう。そういうとこだよ。」ぼくが振り返ってノースを見ると、ノースはぼくのことをじっと見上げていた。その表情から彼女が何を考えているのか察することはできないけど、深緑の瞳が、空の青と森の緑を半分づつ映して、恐竜川みたいなエメラルドグリーンに光っていた。

「肩に手を置いて。」言われるままにノースの肩に手を置くと、彼女はさっきと同じように首を傾げ、頬でぼくの指に触れた。
 ノースの頬には温度があって、それはとてもあったかくて、そして、今度はそのままずっと動かなかった。しばらくそうしているとノースの頬よりももっとあったかい涙の粒がノースの頬を伝ってぼくの指に流れ落ちた。腕と指先に意識を集中しすぎていたから、筋肉が痛くなってきたけど、そんなことを考えてもどうしようもなくて、二人はそのままもうしばらく動かなかった。

●2036/ 06/ 20/ 16:44/ 管理区域内・川にかかる橋

「全然釣れないじゃん!」橋の欄干から川に向けて糸を垂らすサウスが怒り始めた。

「そういわれても・・・。」困って目を上げると、怒っているサウス越しに、にやにやと笑っているノースが見えた。ぼくらは今、鮎釣りをしている。鮎釣りに関する朽ちた看板を見かけたから、正しい方法は分からないけどとりあえず試してみているところだ。

 ノースが持っていたピアスのフックを改造して釣り針を開発したぼくは、山の中で拾ったロープをほどいて細い糸にして針に結え付け、それを枝に結んで釣りセットを作った。夏の日差しが弱まるのを待って、山を降りて来たぼくらは、今こうして鮎釣りをしている。

「アラシカのアイデアには碌なことがない。」ゆらゆらと釣竿(枝)を動かしているサウスの動きが止まった。
「あ、来たよ。」サウスの言葉にぼくとノースがサウスを見る。
 枝をくるくると回して枝に糸を巻きつけながら、睨むように真剣な表情で何かを釣り上げているサウスの糸の先に注目が集まる。
 西陽を受けてきらきらと光る水面から顔を出したのがきらきらと光る黒い長靴だったから、凍りついたサウス以外は吹き出してしまった。
「さっちゃん、べたー!」ノースはお腹を手で押さえて笑いを堪えることができないでいる。針の先から長靴を外すために、サウスは全くもって必要のない長靴を手元まで引き上げなければならなかった。
「く、さっちゃん、はは、ナガグツ、って、ふふひひひ、ナ、ガ、くく」ノース・イン・ツボ。
「ばか! アラシカのばか、メガネ!」
「やめ! メガネは悪口じゃない!」何故かぼくのせいにするサウスだったが、ぼくは楽しかった。

 ぼくなんかが、何かを考えたってどうにもならない。どうせなら、何か楽しいことをしようと思って釣りの計画を立てたのだ。もし、魚が釣れたら食糧にもなる。
 サウス越しにノースと目があった。彼女は深呼吸をして、ようやく治(おさま)った笑いの涙を拭いているところだった。ぼくはノースに微笑みかけた。元気になってくれてよかった。

 ぼくとノースはそれからも黙って川面に釣り糸を垂らし続けた。不貞腐れたサウスはずっと道路に寝っ転がって何かをぶつぶつ言っていた。結局収穫はゼロ。ぼくらは暗くなる前に高台の拠点にもどることにした。

「ナガグツって、さっちゃん!うける!」
 西陽の差す林道を歩きながら、ノースは何度も思い出し笑いをして、吹き出してしまう。そのたびにサウスはぼくに悪意を向けた。時折木々が開けると、遠くの山々の稜線がグラデーションのような茜色の空を映して、刻々と色を変えながら重なり合っているのが見えた。
「メガネ!」
「だから、メガネは悪口じゃないって。」

 夏の夕暮れには、ちゃんと夏の夕暮れの虫が鳴き、ちゃんと夏の夕暮れの匂いがする。

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