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ぷるぷるパンク - 第12話❶

●2036/ 06/ 19/ 19:17/ 管理区域内・高台の野営拠点
 
 AG-0が見えた高台の周りに、大きめの枝を集めて簡易的な低い屋根を作る。その上に葉が茂った枝を掛けて荷物を隠した後、ぼくらは草むらにテントを設置した。周りにそれぞれがコットを広げて横になり、うとうとしたりしながら暗くなるのを待った。
 西側にどこまでも重なる山々の青白い稜線の一番向こう側に、外国のキャンディーみたいな甘ったるい太陽が沈んでしまうと、ノースが「ちょっと早いけど、行こうか」と言って立ち上がった。三人は左足にレッグホルスターを巻いて、グロック22だけを装備して出発した。
 
 サウスを先頭に、ぼくらは、午後に登った獣道と違う方向へ森を下った。陽が沈みあっという間に闇に包まれた獣道から空を見上げると、ゆらゆらと弱い風を受ける木々の影の間から藍色の空が、まだ少し明るさを残していた。ぼくらはコンタクトを赤外線モードに切り替え緑の視界の中を歩き続けた。星が瞬き出し、地球環もはっきりと見えていたので、それほど暗い感じはしなかった。

 山の中腹辺りで開けた木々の間から、遥か眼下に管理居住区の灯りが見えた。あの中に平泉寺さんが暮らしているのだろうか。
 マップ上では比較的大きな街の中に位置している居住区だが、それを囲っている街自体は廃墟となっているようで、灯りは数えるほどしか見えなかった。ぼくらはさらに夏の虫の音を聴きながら獣道を下り続けると、さらさらと流れる優しいせせらぎの音が聞こえ始めた。
 
 先頭を歩いていたノースが突然右手を挙げ、彼女に続くサウスとぼくの足を止める。

N[赤外線モードをオフに]

 言われるがままにコンタクトの赤外線モードをオフにする。すぐに青黒い闇が帷のように森を覆った。背の高い木々に囲まれ、星空は高く遠い。ぼくは息をひそめて腰を少し下げ、左手を腿のグロックに這わせた。

 突然視界の中に緑の小さな光の粒がふわふわと動いた。それは、1ピクセル分ほどの小ささで、モニターのバグのようだったが、今の視界はアナログだから、デジタルノイズではないはずだ。

 すぐに二つ目の光が現れランダムに動き回る。なんだろう、危険な感じではなさそうだ。ぼくは黙ってノースの次の指令を待つことにした。

 三つ目と四つ目の光は同時に現れた。そして、ノースの足元の草むらの辺りに数え切れないほどの光の粒が現れ、ふわふわと漂い始めた。これは・・・。

「ねえ、これって蛍じゃない?」ノースがそう言って僕らに向き直った。表情は見えないけれど、声が弾んでいる。
「すごい!」サウスが叫ぶと、それに呼応するように蛍が瞬きするように点滅し始めた。
 それからしばらくの間は、戯れる蛍の光を邪魔しないよう、無言のままそれを見つめていた。
 
 それから1時間くらい獣道を下った。虫の声にカエルの声が混じり始め、次第にせせらぎの音が遠くなると、ぼくらはかつて街があった場所にたどり着いた。
 「さっき見えた居住区の位置はだいたいこの辺り。ここからだとちょっと遠い。」
 ノースがそう言って、マップにピンを立てた。居住区は、現在地から見るとAG-0とは反対の方向に位置していた。
 
 サウスが視界の遠くにスーパーマーケットの跡を見つけたので、ぼくらは道路の真ん中を歩いてそちらに向かった。久しぶりの舗装された道路の感触に、山道に慣れた足の痛みが際立った。

 闇市があった辺りの断層線からだいぶ離れたこの辺りは、地震の被害がそこまで大きくなかったものと見て取れる。道沿いに並ぶ家屋や商業施設、町工場などの建築物は蔦のような植物で覆われてはいるものの比較的そのまま残っているし、道路も使える状態だった。
 
 ぼくらは駐車場の入り口に渡されている蔦の絡まったチェーンを跨いで建物に近づき、割れたガラスを避けるようにして中に入る。瞬きをしてコンタクトの露出設定を調整する。地面には埃が何センチも溜まっていて、そこら中に蜘蛛の巣が張っている。
 食糧は既に無かった。無くなってからも既に相当の長い時間が経っている。この地域が街として放棄され、管理区域になったのはもう十年以上前なのだ。食糧調達は諦め、予定通りにAG-0を目指すことにした。
 
 廃墟となった街を抜けると道路の脇に「恐竜博物館↑」という恐竜のイラストが描かれた、子供向けの案内標識が現れた。

 AG-0が地質古生物学の研究施設であり、一般にも開放されていた時期もあるとは聞いていたが、まさか子供達が集まるようなエンターテイメント性のある恐竜博物館だったとは。
 かつて人々に余裕があって、日本がまだ幸せだったと言われる時代に想いを馳せる。
 
 ぼくらの行く先で立ち止まり、振り返って標識を指差していたサウスが、突然その手を大きく振って合図をした。
 ノースとぼくは咄嗟に走り出して茂みに飛び込んだ。すぐにカーブの先からヘッドライトが見え、少しすると連なった2台の軍用の貨物車両が大きな音と風を投げつけるように、ぼくらが隠れた茂みの前を猛スピードで通り過ぎ、標識の矢印が指す方向へと進んで消えた。
 
「やばかったね。」言葉とは裏腹に、サウスの目は興奮で輝いている。
「道路じゃなくて、山か田んぼ跡を進むしかないね。」ぼくはサウスを見上げて、地面に座り込んだまま言った。カエルの声が近い。遠くから聞いてる分には心地よかったけれど、近くで鳴かれると結構うるさい。
「できるだけ道路が見える範囲を歩いて、車が通る時間と場所を記録しておこう」
 視界にマップが現れて、サウスが現在地に時刻と車両の特徴をタイプしたメモをピンでとめた。サウスが手を伸ばして、ぼくを茂みの側溝から引き上げる。
 
 それから1時間ほど、道路からほど近い川の支流沿いを、腰を曲げて低い姿勢を保ったままゆっくりと歩き、遠くから車の音がするたびに地面に伏せてそれをやり過ごした。AG-0が鎮座する丘の麓に辿り着く頃には、ピンが4つほど追加されていた。
 
 AG-0の正面ゲートには舗装された搬入路があるのだが、ぼくらは裏側から木々に覆われた急な斜面ををよじ登ることにした。その斜面が意外と急だったから、文字通り、木の根や枝を掴んでよじ登らなければならなかった。

●2036/ 06/ 19/ 22:50/ AG-0

 急斜面を登り切って茂みから這い出たぼくらの前に、ついにAG-0が姿を現した。
 ぼくは立ち上がってその巨大な構造物を見上げながら、長くて大きいため息をついた。そうせざるを得なかったのだ。ぼくらの目の前に現れたのは、巨大な、銀の卵だった。

 何を言っているのか分からないかも知れないけれど、ありのままを話すと、それは、すごく、銀の卵だった。

 芦原さんが用意してくれた博物館時代の画像も映像も見たし、建築家の黒川紀章による設計図のデータも見た。なんとなく想像もしていた。だけど、これは想像を超えて銀の卵だった。横に寝かせた卵の下部の4分の1くらいが地面に埋まったような構造のイメージだから、銀色の構造物は迫り上がるように地面から突き出していた。ものすごい迫力だ。何千枚もの金属のプレートが貼り合わされた多面体が、星空や月や地球環を反射させて煌めいている。

「すごいよ!銀の卵だよ!」
「銀の卵だね。」
 二人ともそれが最初の言葉だった。この構造物を前にすると、誰もそれ以外の言葉は思いつかないのだ。

 ひとしきり感動タイムを終えると、ぼくらは構造物の外周に沿って歩き始めた。

 三人が到着したのが正面から見てちょうど真裏の地点。その地点から外周に沿って100メートルほど進むと正面ゲートらしきポイントがあってア軍の兵士が哨戒に当たっている。ぼくらは静かに最初の地点に戻ると逆のサイドも同じように歩いてみた。

 CCTVの場所も確認し、芦原さんが平泉寺さんを捉えた地点のCCTVも確認した。貨物車両のエンジン音が聞こえたので一度茂みに戻り、正面ゲートを観察できる場所を探すことにした。銀色の構造物が木々の間に見えると、それだけでも迫力がある。

 正面はゲートにはセンサーライトがあって、退屈そうに彷徨いている哨戒中のア軍兵士に反応してついたり消えたりしている。ぼくらはちょうど正面ゲートを見下ろせるポイントを見つけ、そこに三人で寄り添って体育座りをするように腰をかけた。

 舗装された葛折りのルートを貨物車両上がってくると、構造物の正面に真っ直ぐ停車した。ドライバーが窓を開ける。兵士が腕を伸ばして差し出したカードのようなものににドライバーが顔を近づけると、銀の卵のちょうど正面の低い位置に地面と並行な白い線が現れた。ドライバーが窓を閉めると、白い線がだんだん太くなったから、それが扉だということがわかった。ドアが開き切ると貨物車両は吸い込まれるように中に消えていった。芦原さんのエレベーターと同じ仕組みだった。

 内部に人影が見えたような気もするけど、何をしているかまでは見えなかった。マップのピンに車両のナンバーが追加された。

「出てくるまで待ってみよう」視界の中のメモに時刻をタイプしながらノースが言った。

 ぼくらは三人で並んで座ったまま、注意深く兵士の動きを観察してみた。

 5分経っても10分経っても何も起こらなかった。あまりにも何も起こらなすぎて、ぼくがあくびをすると「口じゃんけんをしよう」とサウスが言った。
 口じゃんけんとは「じゃんけん」と言った後に口でグーチョキパーを言うのだけれど、意外と面白くなかった。目的のないじゃんけんは、それ自体が意味をなさない。

 すぐに飽きてしまったぼくらは、次に口将棋をやった。これは説明するのがちょっと難しいからルールの詳細は割愛するけど、まあ実際の将棋と同じだ。歩があって、飛車角があって、王様がいて、今回は特別に銀の玉子がいた。これはノースが強すぎて勝負にならず、長続きはしなかった。

 続いて、サウスが開発した口人生ゲームも試したけど、これは誰も幸せにならなかった。飽きたサウスが一人しりとりをやっている最中に、新しい車が来た。前の車から46分後のことだった。その22分後に前の車が出ていった。6分後に次の車も出ていった。それからまた10分して別の車が出ていった。それから1時間以上何も起こらなかった。誰が決めた訳でもなくそれぞれが立ち上がったので、今日のところはAG-0を離れることにした。

「ばいばい銀の卵!」急斜面に飛び降りる瞬間にサウスが言った。ぼくは足を滑らせないように、慎重に足場を確認しながらゆっくりと危険のないようにに降りる。

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