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なんで二次大戦でもボルトアクション小銃を使い続けていたの?      【ミリタリ素朴な疑問】

・はじめに

小銃は現代の歩兵が使う基本的な武器だ。
機関銃手や対戦車ミサイル射手のような「特別な役割を持った歩兵」以外の歩兵は皆が小銃を持って戦う。
そういう普通の歩兵を「小銃手」と呼ぶほどだ。

現代ではどの国の歩兵も小銃としてアサルトライフルを使用する。

殆どの歩兵が使っているほど一般的に使用される銃。
この小銃の性能が上がれば歩兵の戦闘能力は劇的に上がりそうに思える。

ところが、第二次世界大戦において自動で連射できる小銃、「自動小銃」を大規模に採用できた国は少数派だった。

日本では「太平洋戦争で自動小銃(M1ガーランド)を持った米軍小銃手が手動操作のボルトアクションな99式短小銃を持つ日本軍小銃手に(特に接近戦において)火力的に優位に立った」…みたいな印象が強い。

この印象が強すぎて、たまに日本軍が遅れていた…と思われる場合もあるのだが、前述のようにこの時期は「自動小銃を大規模採用してた側が少数派」

具体的に言えばアメリカ(M1ガーランド)とソ連(SVT:だが基本的にはボルトアクションのモシンナガンのほうが多かった)以外の国の小銃手は基本的にはボルトアクション小銃で戦ったのだ。
(ドイツは生産数的に除外されるくらいしかない)

でも、この時代には自動小銃は技術的に難しいというわけではなかった。
「連射する」ための構造は基本的には機関銃と同じもの。
だから、実用的な機関銃と概ね同時に自動小銃を作る技術も出てくる。

じゃあ、なんでみんなすぐ自動小銃にしなかったの?
という疑問を解消するために解説したいと思う。

以前の記事で銃の歴史について初心者向けに解説した。
そこと重複する面も多いので、そっちも見てくれるとわかりやすいかも。
(リンク:https://note.com/purufeido/n/nfba38f3d13e3
特に銃そのものの構造の話は下の話では省く

・一次大戦前までの流れ

銃の劇的な性能向上

化学や金属加工が発達したのも相まって、19世紀に銃は一気に発展する。
発端は雷管の発明で衝撃による火薬への着火ができるようになったから。
まあそこへんの話は上記の「銃の歴史」の記事を読んで欲しい。

ここでは歩兵銃に起きた進化の「到達点」だけざっと書くと…

・ボルトアクションの普及で伏せたまま射撃戦できるようになった
・同時に発射してか次の弾丸を発射するまでの速度も向上した

→地形や地面などで身を守りながら戦いやすくなった
→歩兵の時間あたり火力投射能力も向上した

・ライフル化と火薬の進化で小口径高初速の長射程弾を撃てるようになった
→有効射程が劇的に向上して1kmは離れた歩兵横隊とも交戦可能になった

・箱型マガジンとクリップ給弾の発明で一度に5発装填できるようになった
→装填速度のボトルネックがゆるくなって実質的な連射力が向上した

そういった「究極の(前一次大戦型)歩兵銃」への到達は1880年末頃。
たとえばドイツのGew88やオーストリアのマンリッヒャーM1888にフランスのベルティエM1890などなどがこの世代ドンピシャリ。

この世代の歩兵銃の中身、銃床の中にマガジンで縦に5発入ってるのがわかる
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rifles1905-2.jpg#/media/File:Rifles1905-2.jpg

後の「二次大戦型のボルトアクション歩兵銃」も基本はこの一次大戦前の世代とだいたい同じで、まさにココが一つの到達点である。

そして、実用的な自動火器への筋道がついてくるのもちょうどこの時期だ。
銃はどんどん歩兵の射程と連射力を上げる方向に進化していったんだから、連射力向上の次の手段として「自動小銃」になるのは自然に見える。

一次大戦前の自動小銃

実際、1888年には「世界初の制式自動小銃」ことM.1888 Forsøgsrekylgeværがデンマーク軍に小規模採用されているし、それから20年遅れてモンドラゴンM1908半自動小銃をメキシコ軍が購入しようとした。
自動小銃は一次大戦前でも十分に「技術的には可能」だったのだ。


モンドラゴン半自動小銃、一次大戦前でも技術的には可能だった
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:German_WW_I_rifles_and_pistols_(Mondragon_cropped).jpg#/media/File:German_WW_I_rifles_and_pistols_(Mondragon_cropped).jpg

だけど、自動小銃は「実現可能なのに流行らなかった」
なんで?

一つは実現可能になってすぐは信頼性が不安だったというのがある。
「世界初の実用全自動火器」ことマキシム機関銃でさえ1884年生まれ。
まだまだ出始めたばかりでしかも従来品より構造が圧倒的に複雑。
「本当に実戦で動くの?」という面で疑問視されてた。

2つ目には当時の戦闘スタイルでは実用上ボルトアクションで十分と考えられていたことが挙げられる。
一次大戦の前まで小銃はとにかく長射程化が進められていた。
具体的に言うと当時の照準器には「2km以上先の目標まで対応した目盛」が刻まれているほど長射程志向だったのだ。


数字は100m単位、左端の最小が400mでの照準ということ
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Arisaka_Type_38_rifle_rear_sight_(top_view).JPG#/media/ファイル:Arisaka_Type_38_rifle_rear_sight_(top_view).JPG

2km以上先の目標なんか狙えるの?と思うかもしれない。
実は狙えるのだ。それは目標が一人の歩兵ではなくて「歩兵部隊」だから。
歩兵中隊200人規模が基本単位で、それを3分割した歩兵小隊が横一列にまばらに並んだ「散兵線」を組むのが一次大戦前の歩兵部隊。
「70人以上の横一列の横隊」なんて巨大な目標相手に、同じく70人で一斉射撃なんだから1キロ先でも十分に交戦可能というわけ。


散兵線の様子。このサイズ感なら狙えそうでしょ

そんな遠距離交戦が基本想定なので、遠い相手なら反動で跳ね上がった銃口を再び照準するのにかかる時間も加味すれば「自動小銃ほどの連射力が必要か?」という話になってしまったのだ。

そして、これがある意味最大の問題なのだが…
ボルトアクション銃より自動小銃は高コストという問題がある

まず本体が高価。人間が人力で力加減とかを調整できる上に構造も単純なボルトアクションと違って、自動小銃は複雑な部品に適切な力が適切にかかる必要がある。だから部品も精密になって数も増えて高価になる。

そして同時に、弾丸の消費も高価になると考えられていた。
それは弾丸が高級品だからではなくて
連射力が高すぎて兵士たちは無駄に撃ちすぎてしまうのでは?
という弾丸の消費量が高くなるからコストも増えるという問題である。

しかも、小銃というのは歩兵で最大多数が持つ武器である
単純計算でも百万人の歩兵を持つ大国はほぼ百万の小銃が必要だ
歩兵銃は大量に必要なんだから、ちょっとのコスト上昇が全体では莫大なコスト上昇につながってしまう

弾丸の消費コストも似たような話で
歩兵個人あたり100発の弾丸を持ってると仮定すると
1個師団1万人の歩兵は100万発の銃弾を必要とするわけだが・・・
100万発の銃弾は当然だがすごくかさばる(銃弾は重さも体積もあるので)

しかも銃弾は消耗品だから戦闘力を維持するには戦場まで常に送り届け続ける必要がある。なので大量の輸送能力が必要だ(兵站に負荷がかかる)
だから偉い人たちは兵士に「必要以上には撃たないでほしい」というわけ。

そういうわけで、一次大戦はどの国も「技術的には自動小銃も可能だけど、実際上は歩兵銃はボルトアクションじゃなきゃ無理」という状況だったわけ

・一次大戦後の自動小銃

一次大戦で起きた変化

一次大戦では色々戦争に変化が起きた。
そのなかで本文に関連する歩兵銃に関連する変化を挙げると
1kmを超える射撃戦なんて無いわ
ということが判明してしまったのである

歩兵火力も砲兵火力も極まるところまで高くなっちゃったから
「歩兵小隊のまばらな横一列」なんて組んでたら射撃戦どころではなく死ぬ
歩兵部隊はもっと小規模になるべきだ…ということで小部隊戦術が発達

30人以下の歩兵分隊が自律的・能動的判断で地形などを利用して、他の分隊と相互に火力支援しながら前進する…
ほとんど現代の歩兵に近い戦術になっていったのだ

小部隊戦術の模式図。この制圧射撃のために機関銃が必要。

そういうわけで400m以内での戦闘が標準的とみなされるようになった
交戦距離が近いなら、連射速度の向上の優位はより活用しやすい
近いほど最照準に必要な精密度が下がってとりあえず次の弾丸を撃つことの重要性が上がるからね

一次大戦後の歩兵火器

そういうわけで、「自動小銃」の有効性は一次大戦前よりずっと向上した。
だけど、すぐに自動小銃を全歩兵に配備!・・・とはならなかった

というのは、もっと重要な自動火器が歩兵には必要だったから
それは「軽機関銃」だ

「小部隊による戦術」が成立するのは小部隊が十分な火力を持ってるから
その小部隊の火力の根幹となるのが「一人でも持てる小型の機関銃」として歩兵分隊を火力支援する軽機関銃というわけ。


ショーシャ軽機関銃:この役割を完遂したという面ではすごかった
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Chauchat_Memorial_de_Verdun.jpg#/media/File:Chauchat_Memorial_de_Verdun.jpg

おなじ一人用の自動火器でも「連射できる歩兵銃」としての自動小銃とは重視される能力が違うので両用は難しい。

小部隊戦術が成立するのに軽機関銃は「必要不可欠」なのに対して自動小銃は「従来の歩兵銃よりは有利」なので、どちらを重視すべきかは明らかだ。
軽機関銃を十分な数を用意しないとスタートラインに立たせてもらえない。

そういうわけで軽機関銃の充実に全力をあげる一方
歩兵銃はといえば「一次大戦後の状況に対応した新型ボルトアクション銃」で一時的にお茶を濁すような形になってしまったというわけ

そういった一次大戦後型のボルトアクション小銃は
・射程を稼ぐための長銃身はもう不要だから短銃身化
・超長射程の照準器は要らないから近距離で見やすいピープ照準器装備へ
といった「400m以内に最適化された形態」になった

この世代に当たるボルトアクション小銃といえば
Gew98がほぼそのままの構造で短小化したKar98k
(全長1,250 mmから1,110 mmへ、だいたい1.1mちょいが主流になった
に代表される「前世代が短くなったタイプ」
(モシン・ナガン1890/30…1890年原型の1930年型もこのタイプ)


Kar98k:二次大戦のドイツで最初から最後まで頑張った
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kar_98K_AM021488_noBG.png#/media/File:Kar_98K_AM021488_noBG.png

もしくは99式短小銃やMAS36など
「前世代とは別物の新型ボルトアクション」

そしてスプリングフィールドM1903とSMLEの
「一次大戦前からこの長さだったタイプ」
(先見の明があるやつらだ)

殆どの国はこれらのボルトアクション小銃のまま二次大戦も戦ったわけ
本体と弾丸消費量の問題は解決されてないので、ここの壁を超えられる国も僅かだったという側面もある。
例外となったアメリカとソ連がどちらも凄まじい工業力を持つ大国なのはその証左。

ドイツでさえほとんどKar98kで、イギリスでさえSMLEのまま戦ったんだから、日本が99式短小銃で戦ったのはまあある程度しゃーない

「400m以内での戦いに最適化された新型の自動小銃」としてのアサルトライフルが登場してやっと全面移行となるわけだ。

まとめ

・自動火器そのものが普及してなかったころはそもそも信頼性が不安
・1000m超えの射撃を想定して時代の使用法だと実用的な連射速度はボルトアクションと変わらないはずだった

→ので機関銃が普及して交戦射程も400m以内に収まった一次大戦後から真面目に採用検討され始めるが

・高級化するので大規模徴兵軍の歩兵みんなに持たせるには高くつきすぎる
・かつ小銃兵の総自動小銃化は弾薬消費量が増えすぎて補給が追いつかなくなるとも考えられた
・そして分隊支援火器としての軽機関銃がポスト一次大戦歩兵には必要不可欠だったのでこっちの普及が優先された

→ので小銃に関してはボルトアクションのまま近代化(全長の短縮・照準器のピープサイト化)で漸進的に進められた

→結果として二次大戦で意味のある数がまとまった数量産されたセミオート小銃はM1ガーランドとSVTくらいにとどまった

お金は要らない、読んでくれさえするならば