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すべて自分の選択の結果だと認識しているか?

「どうしようもない状況だ」と嘆く人がいる。

そんなことを言っている暇があるなら、最良の選択をするために1秒でも多く手を打つべきだと思う。

ただの愚痴や文句なら構わないが、結局のところ、全て自分が選んだ結果だということをきちんと認識しているのだろうか?

私の言いたいことは森博嗣さんが既に述べているので、今回は引用を先に紹介する。

(スマホで見ると少し読みづらいな…)

望んだ道 The Way You Chose
たとえば、会社の待遇に文句のある人がいたとしよう。どうして、その人は会社を辞めないのか、といえば、辞めて面倒なことになるよりは、今の待遇でも我慢している方が楽だ、と考えているわけで、つまり、自分が望んだ道を選択していることになる。ポルシェが欲しいけれどお金がない、と不満を言う人がいるが、現在の生活を犠牲にしてまでポルシェは欲しくない、というだけの話であって、やはり、自分の望みどおりになっている。このように、人間は必ず、自分が最適だと選んだ道を選ぶ(既に選んでいる)のだ。ときどき、今の損が将来の利になる、ということが読めないだけの差である。
『臨機応答・変問自在』102頁
◉今少し損をして、未来の得を取る。それが投資である。
(「議論の余地しかない A Space under Discussion」 森博嗣 講談社文庫  86〜87頁)

頑張るのも頑張らないのもひとつの選択

少し面倒なことだって、先にやってしまえば後は楽になる。

上述の投資も同様で、少し節約して投資にお金を回すことで、将来大きな利益となって返ってくる可能性を生むことができる。

その少しの節約をせずに欲しいものを買い、満足するのもよいだろう。

私自身、毎日あと30分早く起きればnoteやブログを書くこともできるのに、惰眠を貪る幸せを選んでいる。

どんな選択も、自らが望むものである。

知っていることしか望めない

自分が望んだ道を歩んでいるとしても、それが「満足」かといえば、おそらく違う。

なぜなら、本来なら無数にある選択肢のうち、ほんの数個にしか気づくことができないからだ。

自分の最も望む思いどおりの道があったとしても、目に入らなければ、思いつかなければ、選ぶことができない。選択可能な道から最善を選ぶのみである。

だから、私たちは視野を広くもち、さまざまに目を向ける必要がある。

思考の幅を広げることは、自分を幸せに近づける。

誰も見つけていない道を見つけにいこう。

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