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高校留学からのフリーターを経て海外就職した私にしか分からない孤独感

必ずしもみんなと同じ道を歩むことことが自分にとっても幸せなのか?

そんなことを10歳ぐらいから自分に問い始め、
いろいろ選択してきた人生だったと思う。
詳しい自己紹介はプロフ記事から👇

高校留学>という言葉だけ切り取れば、
「英語ぺらぺらでいいな〜」
「海外ドラマみたいな学校生活憧れる〜」
「1回そういう経験したら、この先怖いもの知らずでしょ〜」
と、外部の人間は他人事に私の人生を見る。

そりゃそうか、確かにだれでも経験出来る人生じゃないし。

ただ、この人達は想像出来るだろうか?
留学したが故に周りに理解されないいろんなもやもやを。
母国語でさえメンテしないと忘れてしまう怖さを。
過剰に周りから期待されるプレッシャーを。

世間一般的に、留学系の情報誌やウェブサイトを見れば、
留学の成功例しか載ってない。

高校生の留学に関しては、
その後どんな良い大学に入ったかとか、
どんな良い企業に入れたかとか、
独自のアイディアで企業立ち上げたとか、
キラキラしたものだ。

ただ、全ての留学生がキラキラしたその後を歩むものではない。
だって留学もただの手段だから。
手段として活かしきれない人は、きっと私みたいに孤独のフェーズに入ってしまうだろう…

【私が留学したきっかけ】

始まりは小学4年生の時。
7つ上の姉が、進学した県内の高校に馴染めず通信制の高校に転校した。
沖縄に本校がある高校で、普段はアルバイトしながら勉強して、年に数回スクーリングで沖縄にいく、そんな生活をしていた。

そんな姉を見ていると、
「そうか、自分で責任を持てれば、中学校の後って好きなとこで学んでいいんだ。てか高校なんて義務教育じゃないし、行く必要すらなくね?」
なんて、とてもひねくれた考えをもってたなー。

ただ実際、この頃ぐらいから自分自身『学校』という場所に違和感を感じていた。
先生の指示通りに、みんな同じ勉強・同じ活動をする。
協調性がないと面倒なやつだと思われて、軍隊のようなチームワークを強制される。
「右曲がれ右」とはこういうことなんだと、子供ながらに感じた。

別に友達がいなかったわけはない。
ただ当時『友達』と言っていた人達は、そのコミュニティしか人に会うばがないからなんとなく仲良くしてただけで、
思い返せば趣味や思考も全然違うし、交友関係としてただ繋がりを持っていただけのように思う。

そんな私が唯一楽しかったのが通信教材でやってた英語学習。
学校から帰ってはその教材で勉強することが楽しかった。
県外や九州外が遠い存在のような人達に囲まれていたが故、
英語を学ぶ必要性や楽しみに共感してくれる友人や大人はほとんどいなかったけどね。

そんなどこか孤独を感じている時に言った初めてのイギリス短期留学。
12歳の時だった。
基礎的な英語力すら曖昧だったのに、個性を尊重してくれる雰囲気に魅了され、決断する。
私の居場所は日本の外にあるっぽい」と。

イギリスから帰国後すぐ高校留学に関するリサーチをスタート。
中学生活はほぼ留学準備に費やし、なんとかアメリカへの高校行きが実現した。

【留学して気づいた帰国後の孤独感】

留学生活自体は大変ながらも、
ようやく心が落ち着く場所に来れたような感覚で、
3年かけて英語力やコミュニケーション能力を上げて充実したものになった。
気持ちとしては、
日本の高校生が日本でやってることを、私はアメリカでやってるだけ
みたいな軽い気持ちだったので、別に自分が特別なことしてる感覚はなかった。

ただ帰国して久しぶりの人に会った時、はじめましての人に会った時、
<高校留学>という言葉が独り歩きして、
冒頭に上げたようなことを言われ特別視される。

英語力を上げたというても、英文法や単語の使い方を見よう見まねで習得したため穴があった。
高3で受験した初めてのTOEICは500点台とか。まあ、ビジネスシーンの英語とか高校生じゃわかんないしね。
(と、言いつつほんとに英語喋れる風で穴だらけだった当時の英語力)

そして英語の吸収したことによる日本語離れも深刻だった。
留学中、在学していた高校には私以外に日本人が数人いたことや、
親とも定期的に連絡はとってたので日本語を全然使わなかったわけではないが、
特に日本語での読み書きを3年間ほとんどやっていなかったため、
高校卒業後まず気づいたのは日本語が書けなくなってることのショックだった。
普通だったら小学生でも書ける、ひらがな・カタカナさえも、
一文字思い出すのに数秒かかるのだ。
おかげでメモすら日本語で書けないので、バイトの研修中とかは直訳した英語で走り書きしてた。
(文法をめちゃめちゃなのでおそらく自分にしか理解出来ないレベル)
あれから10年たった今でも、0秒思考のような走り書きメモを書こうとすると、書きたいことと手が追いつかないです。
まあ母国語もこうやって忘れちゃう事実っていうのも、言語学的には面白いけど、実際自分が体感すると怖い。

ただ、こういう葛藤も周りに理解されない。
留学=すごい』ってイメージだけ相手には残っちゃうから。

金銭的理由で大学進学を諦め、
その後なかなか正社員で働くことが出来なかったので、
セブで海外就職するまでの7年ほど日本でフリーター生活を送ったのだけど、
どこでバイトしても周りは無意識に無責任なことを言う。
「英語しゃべれるのにもったいない」
「留学してたならもっといい仕事つけるでしょ」
「なんでここで働いてるの?時間の無駄じゃない?」
当時の私にとっては、カフェ店員も英語講師も、楽しかったんだけどな。
でももしかしたら、
楽しくなさそうだから、周りが助言してたのかもな、とも思ったり。
あの時は悔しさしかなかったけど。

しかもこういうことも言ってる人に限って、
大学行って、新卒で安定したやりがいのある仕事してたりするんだよな。
進路の歩み方がそもそも違うっちゅうねん。

【海外就職してもなお感じる孤独感】

セブに行けたのはほんとたまたまだった。

高校卒業時から理想だった、留学業界で働くことをもう1度目指してみることにした時、
エージェント各社に履歴書をとりあえず送ってみた。
そしてたまたま内定をもらったのがセブに自社の学校を持つエージェント。
<セブ島留学>が流行ってることは知ってたけど、
セブがフィリピンにあるってことも知らない知識量のままとりあえず入社して即座にセブに派遣された。

イギリスともアメリカとも全然違う東南アジア。
何もかもが新鮮だったし、何より南国の陽気な空気が私には合っていたようだ。

ただここでもまた言われる。
「アメリカにそんなに長くいたのにフィリピンはもったいない」
「この業界じゃなくてもあなたのポテンシャルを活かせる場所はあるはずだ」
そんなことをフィリピン人の同僚や、現地で出会った日本人の友人達からことごとく言われる。

なんで自分は生きがい感じて楽しんでるはずなのに、
こうも周りから言われ続けるんだろ…


その答えは出ないまま、
私のセブ島生活はコロナ到来による緊急帰国により終わりを告げた。

【今後どんな道を選んでも同じことが起きそうで怖い今】

そして今、
また新たなお仕事をさがしてみたり、働き方を模索してるけど、
結局どう転んでも誰からも理解されない道に行くのだろうと考えると、
なんだか1歩が踏み出せないでいる。

このnoteは気持ちの吐き口程度に始めてみた。
数カ月後や1年後、
この投稿を読み直した時に、
成長してる自分でありたいな。

まっ、何もしないと現実なにも変わらないから、
まずはこの恐怖心とちゃんと向き合って打破しないと。

今年の抱負である、
【ゆっくり、のんびり、確実に】前に進めるように。

超個人的なもやもやを最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。💜

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