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面接は苦手だったはずだけれど

私が嫌いなもののひとつに面接がある。
文章を書くことが苦手なので「就活」に必須なエントリーシートを書くことも苦痛だ。つくづく、既存の「就活」は私に合っていないと思う。必要のないものだったのだ、少なくとも今の私にとっては。

しかしながら、「仕事に就く」ことと面接は大抵セットで存在している。誰だってミスマッチは避けたい。契約を結ぶ前にその人が自分たちに合った人材なのか、はたまたその場所が自分に合った環境なのかを見定めたいと考えるのは当然だ。面接を一切省いて仕事を始めた場合の不合理のほうが面接をした場合の不合理よりも大きいのだろうなと私は勝手に想像している。

面接の嫌いなところはいくつかあるが、結局はお互いの相性を見るとか言いつつ求職者であるこちら側が「選ばれる」立場にされてしまうから、という点に尽きるような気がする。「選ばれる」と思うから、選ばれるように虚勢をはろうとしたり。少しのミスも許されないような気がしたり。相手の納得のいく答えを出さないと行けないような気がしたり。なーにが「相性をみるため」だ、品定めじゃないか。なんて思ったりする。

私は面接が嫌いだから、これまでなるべく避けてきた。けれど、私がいま一番やりたい仕事に就くには面接が必要だった。(応募して説明を受けてからそのことを知った)なんてことだ、と頭を抱えかけたが、不思議なことに以前ほど面接を受けることに対する憂鬱さは無いように思われた。

ありきたりな質問を思い浮かべて、どう答えるか脳内でシミュレーションを行った。考えたことの言語化が苦手だから、問答が苦手だ。そのはずなのに、志望動機も、他社との比較も、文章は拙くてもすらすら言えることに気がついた。そのことに、正直とても驚いた。

なるほど、今までそういった質問に答えることが苦痛だったのは、言語化が苦手とか以前に志望動機が無かったからなんじゃないのか?
というよりも、「ここしかない!」と思った相手についてなら、私はこんなに魅力を語れるのかという発見でもあった。

そりゃあ、思ってもいないことは話せない。
質問の答えが自分の中に無いのに、無理矢理作り出そうとしていたから苦痛だったという面もあるのかもしれない。

そういう訳で、今まででいちばん大事だった今日の面接が、今まででいちばん緊張しなかった。いや緊張はした。けれど、今までに比べたら緊張していないようなものだったと思う。就職のための面接はほとんどこれが人生初だったのに、最初から最後まで私はただの私だった。

結果が残念なものになっても、縁がなかっただけに過ぎない。早めに軌道修正できてラッキーだ、と捉えて次へ行く。私はそれを知っていたから、面接が怖くなくなったのかもしれない。
やっぱり私は少しずつ変わってきているのかも。

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