そこに名前はもう要らない

ここ何ヶ月か
ぼんやり考え続けていることなのだけれど
まだこんな中途半端な状態で書き残していいのか若干不安ではあるんだけど
でももう書けそうな気がする、というか
今日がこれを書く日だった。
ような気がする。から、書く。

私には最愛の女って呼んでる
大切な人がいるんですけど、
彼女は私にとって世間一般的にいうところの「何」のポジションなんだろう、というのをずっと考え続けていて
まず私たちはカップルじゃない。
少なくとも今は。
同性同士の結婚も全国どこにいても出来るようになればいいなと熱を持って思いはするもののそれが私の中で微妙に他人事であるのはそのせい。
それで、血の繋がりも無い。
ただ高校で出会っただけの同級生。
恋人でもない、家族でも無い。
世間一般的にはそれ「友人」と呼ぶのでしょうね。
でもその呼び方では余りにも伝わらないものが多すぎるから、私は彼女のことを人に説明するときは最愛の女だと言うことにしている。

その最愛のカノジョと結婚したいの?
と聞かれることが増えた。
それに対する答えを私はずっと持ち合わせてこなかった。
別に、と答えれば彼女への想いはそんなもんか結局ただの友だちに過ぎないのかと思われそうで嫌だったし、
是非したい、と答えればただの「同性愛者」の属性に放り込まれて私たちの関係性ごとただの「マイノリティ」として見られて終わりそうでそれも嫌だった。
同性愛者、マイノリティとして見られることが嫌なのではない。むしろ胸を張ってマイノリティだと自覚している。嫌なのは、周りから私の彼女のことをただの「属性」でしか見なされなくなること。その属性が何であってもそれが私は嫌なのだと最近になって気が付いた。当たり前のように結婚に憧れるヘテロに見られることも、パートナーとの明るい未来を目ざして戦うビアンに見られることも、どっちにしたって「ああ、それね」と思われることが苦痛だ。
だからこの前読んだ『N/A』のまどかの気持ちはよく分かった。びっくりするよねえってまどかに話かけるつもりで共感した。

パンロマという言葉に出会ったときは救われたと思った。Aセクという言葉に出会ったときも。
あのときの私はマイノリティであることを自分が受け入れたことで起きた変化にいっこいっこ感動するので忙しかった。
今のわたしは、マイノリティであることに少しずつ慣れて、「あ、世間はそうだよね。まぁ私はこうですけど」って流せるようになることが多くなって、
そうして改めて考えてみて思う。
ああ…なんか、
自分のセクシャリティだとか、
どれに当てはまるかとか、
…もう、どれでも良くない?
どれにしたって私が彼女のことが好きって気持ちには何の変化も起きなくない?
できればずっとそばに居たい、一緒に住んでみたい、色んなところに出かけたい、色んな話をしたいし聞きたい、ずっとそんな関係が続けばいい、でも無理はさせたくないし縛り付けたくもない、エッチなことはできない、挙げてもキリないけど
この感情があるから君はこれだね、とか
もうどうでもよくない?私よ。
私がビアンかパンかヘテロかAセクかどれに当てはまる人間であろうと彼女に対する感情がそれによって変化することある?否、無いよ。絶対に無い。
そんなことでは変化のしようも無い。

セクシャリティを自認する、の自認は
大体の異性愛者が生まれたときからずっと疑うことも無く自分を異性愛者だと最早認識することも無くいられるようなナチュラルなものでもあれば
思春期に起きやすい周りと自分のギャップや摩耗によって痛みと共に受け入れるものでもあり、
私のように何も分からなくて自分に近そうなものを見つけて自分もそこへ混ざるように(変な言い方をすれば半ば言い聞かせるように)自認するものでもある。と思う。本当に人それぞれなんだと。
最初は自分のセクシャリティを名乗れないことがこわかった。自分がどんな人を好きになるジャンルの人間なのか知りたかった。
でも、よくよく考えてみれば私は異性愛者だからといって男をすきになるような人間じゃなかった、好きになった人が好き、というタイプで(元々)、
そしていま私にはその「好きなひと」がいる。
もう、考えるまでも無くそれで充分正しいじゃん。
頑張って自分に合うセクシャリティを見つける必要なんて無いじゃん。
ビアンだから彼女が好きな訳じゃない、彼女が好きだからビアンにはなる訳じゃない。バイだから男女両方の推しがいる訳じゃない、その逆も然り!
彼女が彼女だったから、
推しが推しだったから、好きになっただけ。
属性の中から選んだ訳じゃない、私も、相手も!
正しいのは、事実なのは、その「好き」という気持ちだけだ。
ならもう、それだけでいい。それだけあれば。


それに、属性で見られたくないのはそうだけど
そもそもヘテロかビアンかでしか分けられないような人間には属性じゃなくて私そのものを見てよ!なんてたぶん言葉が通じないし、
そういう人間には私がどっちなのかどっちでもないかなんてたぶんどーーでもいいし、
それに何より私もそんな人間にどう思われたところでどーーでもよくね?
繰り返すけどそれで彼女に対する感情が変わることある?無いんだって。
今更そんなことじゃ変わんないのよ。

これは「悟る」に見せかけた
単なる諦めかもしれないし
また一年経つ頃には変わってるかもしれないし
これだけ語ったって大抵の人にはどうでも良いことだし(そもそも話長いし)
この世の中はまだまだ「結婚」というステータスに囚われているし その言葉にいちいちムカついているうちはまだ私は悩むのでしょうけど。

とりあえず決めたことがある。
好きな人ないし結婚ないしパートナーについて聞かれたら彼女のことを言う、それは今まで通り。
その次にバイなのかとかビアンなのかとか同性結婚目指してるのかとかそういう質問が続けて飛んできたら、これからもう
米ドラマのように肩を竦めて
「さあ?」
とだけ答えるようにしようと思う。

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