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ローストビーフのおもひで

水星の魔女7話でローストビーフが出てたが

いわゆる立食パーティーで、おじちゃんは昔帝国ホテルのローストビーフを食ったことがある。バイトで編集補助してた時にIntelのPentiumIIの発表会に参加してだな、そこで給仕されただよ。

ニカちゃんは貰い方分からんかったみたいだが、目の前で切り分けて「どうぞ」って出されるから貰い方もへったくれもないぞ。ローストビーフの前まで行けば悩む事なくローストビーフ渡されて食える。なお発表会には取材名目で参加したんだが、報道資料もらって帰るだけのバイト仕事なんで、ワイはローストビーフおかわりなどして発表会を楽しみ、以後インテル様にだきゃー逆らうまいと心に誓ったのであった。(めっちゃ美味かったよ! 帝国ホテルの名物定番メニュー、ローストビーフ。それを無制限に振る舞う辺りで業界の大巨人の財力を思い知らされた)

後に自社でも帝国ホテルでの発表会とかやったが、その時は「他に適任がおらず」若き日のおじちゃんが全国紙の記者の前でプレゼンする羽目になった。関連企業の社長に帝国ホテルで昼飯ご馳走になったが緊張感で飯の味がしなかった。パーツ業界の「いつもの取材陣」なら顔見知りみたいなもんだし緊張もしないのだが、流石にガチもんのメディア取材は緊張する(ワシ、正直下っ端なんに名前が全国紙に載ってしもた)

丁度上の事件のちょっと前にインテル様推進のRIMMではなく、DDRメモリ推してくぞ!ってイベントにも「ワイはインテル様のローストビーフの味を忘れておらず、RIMMとかシリアルメモリ推進派だったのだが」社命で参加してたりする。AMDが旗振ってやったのだけど、残念ながら財力が違い過ぎて立食パーティーのメシは焼きそばとかオニギリであった。しかもそれは日本の誇る大巨人であるNEC様のお情けで頂けたものであり、メシ出てきたら「NEC様、NEC様のご配慮により……」とかアナウンス入る始末。なんで弊社はこんな泥舟で呉越同舟してんだと悲しくなった。
(今はどうかしらんが、当時の日本AMDはめっちゃ貧乏臭かった。マジで)

DDR-SDRAM出発当時、本社社長の意を受けて身銭切ってまで検証やデータ記事書いてたのだが、そーゆー動きに対して理解を示したのがVIAってーかC3陣営だけだっつーのがね……(ワイはその縁でC3友の会の前身となるスレッド立てて、ガチに2ch自作板の話をVIAに報告してる。静音省電力PCの訴求を日本で最初にやったのおじちゃんゾ) VIAはいい奴だったんでC3の詰め合わせ贈ってくれたし、ワイはワイで割引価格を提示されたにも関わらず、店頭で正規パッケージのC3買うなどして彼らを支えた。

今もローストビーフを見る度に、あの日のインテル様のご威光と帝国ホテルでの発表会を思い出し、貧乏臭いAMD系のイベントを思い出す。実に30年近い信心を獲得させたあのローストビーフ、値段はともかくコスパは凄く良かったのではないかと思います。金の使い方って、大事だよねー……

RIMM
ランバスという系統の技術を用いたメモリ規格で、バス幅狭めてパラレル信号の高速化を目指した。当時既にパソコン基板上の信号速度は限界に達しており、逐次シリアル信号化してノイズ問題をクリアしていったのだが……そうするとDRAM生産設備に莫大な投資をしたサムソンなどが大損こくのでアイツらがAMDの尻掻いてDRAMの続投目指したのがDDRの裏事情だ。幸いというか悲しい事というか、インテルはRIMMの初手で大失敗して歴史の闇にランバス技術は葬り去られたのである。他のペリフェラル系が大体シリアル信号に置き換わったのに、メモリだきゃーシリアル信号化してないのは大体サムソンが悪い。(当時の複数関係者からその辺の話しこたま聞いた)
シリアル信号化してたらメモリ周りの配線回路単純化してCPUやメモリの動作高速化出来てただろうに(単価下落要素になってた筈)
当時の私は職責(国内技術部管理職)の割にワカゾーであり、年上の技術陣から割と色々な最新情報を「侮られてたが故に」入手できる美味しい立場にいた。メディアじゃないから裏情報露見しないし、ゆーても大して分からんだろうと思われてたのである。これに気付いた某メディアは、最新技術が公開される度に弊社を訪れコーヒーを飲み、ワイの仕事を中断させて特集記事のネタ拾いしてた。この辺に関しては一部本職技術者も知らんことがあったりして、私は謎の情報網を持つ怪人ポジだったりする。ネタを持ってればそのネタと交換でまた別のネタ握れて……を繰り返すとネタをザックザック集めることが出来たのだ。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!