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読感『勇者たちの中学受験』

この三つの物語は、実話をもとにした創作である。ただし創作とはいっても、物語仕立てにするために加えた登場人物のキャラ設定や心情描写あるいは光景描写上の脚色以外、受験に関する事実関係はいっさい事実のままだ。

おおたとしまさ『勇者たちの中学受験』より


一気に読み終えた。でも途中で何度も違和感を感じた。なぜだろう。

最後の筆者の解説を読んで納得した。

受験に関する事実関係以外は、脚色という創作。つまり完全なドキュメンタリーじゃないということ。

だから、ここに出てくる母親や父親に、こんなにも違和感を感じるんだ。

子どもの成績に、一喜一憂する親の姿や、中学受験をすることによって起こる家族崩壊を描きたいってことかもしれないが、そこに親の愛情がなにも感じられない。

「塾に電話して」  我ながら、ひどいと思う。もし合格だったら、喜び勇んで自分で電話していたはずだ。それなのに……。我ながら情けない親だと思う。

おおたとしまさ『勇者たちの中学受験』より

第1志望の筑駒に落ちたことを、本人から塾に「電話して」とかけさせるシーン。

小学6年の子に自分で塾に不合格です、って電話させるのだろうか。
悲しんでる我が子にそんなつらいことをさせる母親がいるのだろうか。

塾の方針で本人からかけさせてください、っていう場合もあるのかな?
親が電話した後、「本人に代わってください」と言われることはよくあるけれど。

もし仮にこのエピソードが本当なら、そのお母さんはきっとずっと後悔しているんじゃないか。


他の方の中学受験体験談を読んでいると、子ども本人が電話するってケースもあるようで、驚いた。ただすべて合格した場合だけど。しっかりしてるなと感心する。私はそんなこと考えもしなかった。


この作られた(かもしれない)シーンで、作者は読者に何を伝えたいのだろう。子どもより落ち込む馬鹿な親がいるんですよ、ってこと?

それに

早稲アカの同じ校舎のライバル三人の母親は、必然的に毎月いっしょにお茶を飲むようになる。塾のママ友という関係だ。

おおたとしまさ『勇者たちの中学受験』より

うちも6年間早稲アカや他の塾に通っていたけど、塾で通っているお母さんとの交流なんて一度もない。顔も知らない。

ましてや受験本番を控えた一番大事な6年生の時期に”毎月お茶する”とか、絶対あり得ないと思う。

昔からのママ友とかならまだわかる。でも塾で一緒になる塾のママ友との付き合いに悩んでいる方なんて、聞いたことがない。

私が知らないだけで、こういうお付き合いをしている方は多いのだろうか。

『子どもの不合格をママ友に知られて惨めになる母親』
『外面ばかり気にする母親』

という親の意味のないプライドを取り上げたいための描写だとしたら、ちょっとチープすぎる。

そしてリアルなママ友の人間関係って実はこんなもんじゃない。

いちどはつかみかけたかに思えた「中学受験最強の父親」という称号が、いままさにその手からこぼれ落ちようとしている。そんなの聞いてないぞ! 話が違うじゃないか!

おおたとしまさ『勇者たちの中学受験』より


ハヤトくんのお父さんの描写も大げさすぎて不自然だし、聞いてないよ〜ってもはやお笑いのようですらある。

お兄ちゃんは、逗子開成に合格しているんだよね。2番目のお子さんでそこまで必死になるのかな…。

中学受験によって振り回される子どもが被害者で、そのせいで、子どもがだめになるケースをたくさん見てきたと、作者は警告している。

加熱する受験戦争とか、受験塾に対する批判的要素を強く感じ、だからこのエピソードで『中学受験が生み出す危険な大人』を演出する狙いなのだろう。

でも、きっとどの親だって、根底には子どもに対する深い愛情があるはず。
この本のエピソードからはそれが一切伝わってこない。
考えられる不幸を全部順番に盛り込んだだけ、と感じてしまう。

もし子どもがバレエを習っていたとして、プロを目指すとなったらどうだろう。

遠くの練習場まで送り迎えしたり、いいコーチを見つけてきたり、衣装を手作りで揃えたり、

子どもが夢を叶えるためのサポートをすれば、それは賞賛されるはず。

でも、中学受験で、同じように

子どものために送り迎えして、毎日お弁当を作って、個人指導や家庭教師の先生を見つけてきたり、子どもの未来を応援するためのサポートをすればするほど、

課金ゲームだの詰め込み教育、カルト式だのと、世間からは揶揄されてしまう。
根底にあるのは、同じ親としての愛情なのではないだろうか。

ノンフィクションなら、脚色やキャラ設定などしないで、すべて完全なドキュメンタリー物語にして欲しかったと思う。

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