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世界一と言えたら_20240509

自分に人生経験があればもっと自信をもって断言できたんじゃないか、と思うことがある。
例えば「この絵が世界一だ」と世界中の絵を全部見たから自信をもって言える、のような。

好きなものに熱中しているとき、心の中では世界一だ!最高だ!と思っていても、それを表に出そうとすると「本当に世界一なのだろうか?」とよぎってしまう。
心の底から世界一だと思っている。それは嘘ではない。でも、大海には似たようなものがたくさんあるかもしれないし、自分がそれらを世界一だと思うかもしれない。そんなことはないと言い切れない。


ある好きなものが終わりを迎えて、それに費やしていた時間を別のことにつかいはじめた。類似のコンテンツも、全くジャンルの異なるものも味わった。
そしてときどき、その好きだったものに触れる。心が跳ねるように踊る。他のことでは心はこんなところまで動かない。やっぱり私の一番はこれだ。代わりなどなかったんだ。

一番だと、今のほうが自信をもって言える。毎日毎日大好きだったあのときよりも、少し距離をおいた今のほうが。
私がそれを好きになるまでに他のたくさんのコンテンツに触れていれば、その日々の最中にも、自信をもって言えたのだろうか。

思えば私は、好きなものに熱中しているその間、ほかのことはなにも見えていなかった。
とにかく目の前の好きなもの以外に目を向けられなかったし、その自覚があった。

だからもし、その好きなものにであったときの私がもっと人生経験を積んでいたとしても、「今は一番だと思っているけれど、他のものが目に入らないだけかもしれない」と思っただろうし、一番だと自信をもって言うことはやっぱりできなかっただろう。

今一番だと自信をもって言えるのは、それが過去のことだからだ。好きになったあと世界を見渡したが、それでも一番だった、ということが重要なのだ。
あるいは、それに熱中している日々のさなかに私はもういないということなのかもしれない。

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