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記憶の木箱

私には、同じ歳の従姉妹がいる。名前はせーこちゃん。私の家は北海道、彼女は広島県と離れていたけれど、小さい頃から年に一度くらいは会っていたと思う。夏休みなど長い休みには、お互いの家にしばらく泊まることもあった。せーこちゃんは大の本好きで、いつもたくさんの本を読んでいた。会うと必ず「ドリトル先生」や「シートン動物記」など、読んでいる本のことを話してくれた。その頃の私といえば、外で遊んでばかりで、本は全然読まなかった。でも、せーこちゃんの話してくれる本の話はとても面白くて、自分が読んだわけでもないのに、あたかも、その本を読んだような気分になった。

20代後半で絵本を作りたい!と思い立った私は、当時住んでいた札幌から東京に行った。その時、せーこちゃんはもう東京の住人で、大学入学を機に広島から東京に移っていたのだった。ほとんど知り合いのいない東京で、せーこちゃんは私にとって頼れる存在だった。彼女は早稲田で文学を学んでいて、本に対する愛情がよりパワーアップしていた。会う度に、私の知らないたくさんの本の話をしてくれた。

あれはいつだっただろう。私が「羊たちの沈黙」という映画を観たと話した時だ。せーこちゃんは、もちろん原作本を読んでいて、映画を観ただけではわからない部分を、せーこちゃんの解釈付きで詳細に話してくれた。中でも面白かったのが、映画に出てくるレクター博士の<記憶の宮殿>の話だ。レクター博士は、著名な精神科医であり猟奇殺人犯だ。天才的な頭脳で全ての記憶を管理している。その方法が<記憶の宮殿>という、脳内に宮殿をイメージする記憶法だという。

(自分の記憶を全部管理するなんて。そんなことできるわけないじゃん)

私は即座にそう思った。それが伝わったのか、せーこちゃんは、レクター博士が記憶を探しだす方法を、とても具体的に、丁寧に話してくれた。

レクター博士があるキーワードを聞く。すると、すぐに彼の頭の中の宮殿の大きな門が開き、長い長い廊下をすごいスピードで進んでゆくのだ。廊下の両側にはたくさんの大きな扉。その扉を次々に通り過ぎ、暗い階段を駆け下りて、また廊下を進む。突き当たりには、大きな扉。その扉を開けると、部屋の中には、天井までビッシリと無数の棚がある。そこから、迷いなく一つの引き出しを開けて、キーワードの記憶を取り出すのだ。私の頭の中には、その映像が鮮やかに浮かんできた。素直に(ああ、そんなことができるんだ、すごいなぁ)と思った。

帰り道、ふと、私の記憶はどうなってるのかと考えた。宮殿なんて、もちろんあるわけがない。でも。まあ、小さな部屋がひとつくらいは、あるんじゃないかな。その部屋には、カラーボックスみたいな、3段くらいの棚がぽつんとあるのだ。棚からこぼれた記憶がいくつか、その辺にポロポロこぼれていたりする。私は、小さなカラーボックスのある、ささやかな記憶の部屋を想像した。当時住んでいた5畳半一間の部屋に、どことなく似ている。自分のつつましい想像に、思わずほほえんだ。

その夜。夢をみた。

私は上から何かを見ている。とても暗い。でも、下の方に、ものすごくたくさんの物が、ごちゃごちゃと積み重なっているのがわかる。

…これは、なんだろう。

私は、上からゆっくり手を入れてみる。手に触れた小さなひとつを、取り上げた。触れてみても、よくわからない。なんだろう?すぐ目の前まで持ってきて、ようやく、わかった。それは、小さい時の、ものすごーく恥ずかしかった記憶の塊だった!

「ぎゃっ!」

私は、びっくりして、それを捨てた。小さなカケラは、ゆっくりと落ちる。ごちゃごちゃの山の中に、すっと消えて、あっという間に見えなくなった。いったい、この山は、なんなんだ。まわりが暗すぎて、全体がよく見えない。私は、そっと、そこを離れてみる。夢の中だから、ゆっくりと、体ごと浮かんでいくような感覚だ。だんだん、ぼんやりと、輪郭が見えてくる。大量のごちゃごちゃは、大きな箱の中に入っているようだ。箱は、りんご箱のように、簡素な木でできていた。それにしても、でっかい。奥の角までは見えない。私は、ぼんやりと、遠くから、その、大きな大きな箱を眺めた。そして、突如、わかった。

「これは、私の記憶の箱だ!!!!!」

そこで目が覚めたのだった。

がーん…。部屋どころか、棚さえないじゃん!!それにしても…。10代と20代くらい、分けて整理しておいてもいいじゃないのか。私は、ひどく落胆した。この夢はものすごく鮮明で、今でもはっきりと思い出せる。でも、本当に的を得ている。いつも大事なことは思い出せないし、ときどき、変な記憶が飛び出してびっくりする。

あれから、けっこうな歳月を重ねてきた。私の記憶は、どのくらい増えたのだろうか。このごろ、自分の記憶たちをほんの少しだけ、整理してみたいと思うようになってきた。宮殿なんて、とんでもない。家も部屋も、棚さえない。私にあるのは、たったひとつの、大きな大きな木箱。その中の記憶、(おもいで)を、ときどき、ここで取り出してみたい。


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