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プラプラ堂店主のひとりごと㊻

〜主人のいない店のはなし〜

 休日、天気がいいのでぶらぶらと街歩き。ライラックが咲きはじめた大通り公園をのんびりと歩いて、狸小路商店街まで来た。そうだ、久しぶりに「N」に行ってみよう。「N」は、ぼくが好きな古道具屋だ。主に日本の道具を扱っている店で、女主人のセレクトが素敵なのだ。この人と話すと、言葉の端々に道具たちへの愛情を感じられる。そして勉強になる。ぼくは密かに彼女を(師匠)と呼んでいる。

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 狸小路商店街にはいつの間にか、新しい店が出来ていた。「ニュー花園」に「ルマンド」だって。いわゆる昭和レトロを狙った居酒屋やスナック(これも懐かしい響き!)だ。もともとレトロ感満載の狸小路に、なんの違和感なくおさまっている。うん、いい感じだなぁ。今度、友達と来てみよう。そんなことを考えつつ、「N」のあるアーケードの外れまで来た。よかった。店は開いている。ぼくは軽い足取りで、細い階段を登った。

 でも、店主はいなかった。アルバイトらしい若い女の子が、お茶を飲みながら携帯をいじっていた。聞くと、店主は風邪でここ数日休んでいるという。ガッカリしつつも、ぼくは店の中をゆっくりと見てまわった。相変わらず、凛とした佇まいの渋い棚や食器、笊、ガラス瓶などが置いてある。でも。今日は店の中の物が、どこかよそよそしく感じた。ぼくは、小さめの蕎麦猪口を手に取った。

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「あの、これ、値段がないけど。いくらですか?」
「アタシ、わかんないです。値段ついてるものだけ対応してって言われてるんで」
その子は、あっけらかんと言った。…仕方ないか。急に頼まれたバイトの子がわかるわけがないもんな。
「わかりました」
ぼくはそう言って、店を出た。味気ない気持ちだった。あの人に会えなかったからだけじゃない。なんだろう。あの店が、まるで色あせていたように感じたんだ。きっと、モノたちが主人の不在を寂しがっているのだろう。
いや、寂しがると言うより。他者に対して、ぴったりと心を閉ざしてしまっているようだった。
そりゃそうだよな。店主の愛情で選ばれた物たちの店だもの。店主がいない時。物たちは、ただの「モノ」になってしまう。人が住まなくなった家のように、生気を失ってしまうんだ。


(…ぼくは、自分の店の物たちに隅々まで愛情をかけているだろうか)

ふと、そんな思いがよぎった。物と話ができることに、あぐらをかいていないだろうか…。
最近話をしていないベトナムの小鉢、あの手塩皿、ずっと売れていない伊万里の湯呑み…。ああ。ちゃんと手に取って、触って、話しかけてやらないとな。

ぼくの足は、自然と自分の店に向かっていた。

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