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読書感想文 文豪は泣きながらこの小説を書いた (1080字)

去年読んだ小説の中では、トーマス・ハーディのThe Mayor of Casterbridge(邦題『カスターブリッジの市長』)が一番印象に残っています。1886年に発表されて、イギリス文学の古典と言われる一冊。

主人公のヘンチャードが酔った勢いで、妻と娘を船乗りに売り払うという場面が最初の方に出てきます。当時は人身売買が許されていたようです。やがて時間が過ぎて、売り払われた妻と娘はヘンチャードを探しにカスターブリッジに帰還。運良くヘンチャードに再会します。

彼は自分の行動を悔いて禁酒を実行し、市長の地位まで登りつめていたのです。でも、自分の家族と再会したことにより、彼の人生は狂い始めます。恋人をめぐって若い男性と暴力沙汰になったり、娘の結婚を知り喜びながら、お祝いが直接できないことを悲しんだり。ついに自分がリーダーだった町を追われることになります。

いくつも細かな伏線が張り巡らされており、読み進めていくと些細に思えた出来事が、後で大きな意味を持ってきます。例えば、例えばヘンチャードの実の娘だと思われていたエリザベスは、義理の娘だと判明。これだけでも意表をついているのですが、このことが、ヘンチャードを苦境に追い込むきっかけになります。

この伏線を張り巡らした書き方は、単なる技巧ではありません。人間の一生のさまざまな浮き沈みを、巧みに表現していると思います。実際の人生でも、あの時のあの行動が、自分の生き方を変えてしまったと思うことがあります。

ハーディは過酷な運命に翻弄される登場人物を同情的に描き出します。動物虐待に強く反対していたそうです。苦しみの中にある人に篤い同情心を寄せる人だったのでしょう。

乱暴でかっとなりやすいヘンチャード。でも優しさも持ち合わせており、自分の元から去っていた女性の命を救おうと力を尽くします。寂しがり屋でもあります。娘に会えないで嘆き悲しむ場面は読んでいて胸が痛くなります。多くの読者が、彼は多かれ少なかれ自分に似ているところがある、と思うはずです。そんな彼に次々と不幸が起こる後半は読んでいて辛かったです。

英語版のウィキペディアで調べたら、ハーディはこの小説を泣きながら書いたことが分かりました。これを知って、ますますハーディのことが好きになりました。自分の書いた登場人物に極度に同情するのは、感傷的で荒唐無稽なのかもしれません。でも、私はこの文豪の優しさが好きです。真面目に生きていても、ちょっとしたことがきっかけで苦境に追い込まれるのが人生です。そんな人たちに同情心を持ち続けたハーディは、人間味のある作家でした。




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