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【読書日記】12/21

『銀座に生きる』は俳人鈴木真砂女の自伝的なエッセイ集です。俳句も添えられているので、句集として読むこともできます。一口で言えば、鈴木真砂女の人生は波乱万丈です。二度の離婚を経験し、妻子ある男性との恋を経験しながら、銀座で小料理店を経営。

不倫のことは辛い経験だったようで、わずかしか触れられていません。でも行間から辛い気持ちが伝わってきて、胸が痛くなりました。相手の通夜の時はその場に行けず、寺の門の暗がりに立って一人で通夜をしたと書かれています。(120ページ)

銀座というと敷居が高い気がしますが、鈴木真砂女の店の周辺は庶民的なところで、みんなで協力して商売を続けたとか。豆腐や海苔などの貸し借りは当たり前で、「肩を寄せ合って生きている」(121ページ)そうです。この部分に添えられた句が、

「水打って路地には路地の仁義あり」

粋な良い句だと思いました。仁義という言葉から、作者がその土地にしっかり根を下ろしている生活していることが、伝わってきます。「水打って」の上の句が爽やかで、東京の狭い街路の熱気が、一瞬静まるのが感じられました。

全体を通して読むと、俳句が真砂女の人生を支え、俳句を詠むことで救われたことが多かったのでは、と思えてきます。自分の胸の中にあるもやもやした感情に形を与えることができれば、気持ちの整理がつきます。女性らしい艶麗な句も多いです。

罪障の寒紅濃かりけり

寒紅という季語を初めて知りました。愛する人のために濃い口紅を付ける孤独な女性の姿が、浮かびます。苦い句ではありますが、「濃かりけり」の下の句に女性の誇りを感じました。

湯豆腐や男の嘆ききくことも

割烹着ぬぐときに時雨ききにけり

この2つの句も好きです。「湯豆腐」の句は、いかにも小料理屋といった情景が浮かびます。「割烹着」の句は、静けさの中に響く雨の音が印象的。芭蕉的な寂びの句という気がします。

今生のいまが倖せ衣被

この句が一番好きです。衣被(きぬかつぎ)とは里芋の子芋を、皮ごとゆでたものだそうです。この句を読んで、初めて知りました。熱いうちに皮をむき、塩をふって食べます。食べたことはないのですが、ほくほくして美味しそうです。

衣被が倖せと結びつくところが、俳句らしいです。ささやかなものが喜びになって、幸せを感じるのは良く分かります。本当の幸せとはそんなものかもしれません。上の句の「今生」に重みがあって、苦労の連続だった自分の人生を肯定する強靭さを感じました。


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