【読書日記】12/16(992字)
与謝野晶子の『みだれ髪』は初めて読みました。圧倒されて打ちのめされる凄い歌集でした。自分の情熱をそのまま結晶化したような短歌が並んでいて、私のようなくたびれた初老の男の心も打ちます。
「ゆあみする泉の底の小百合花二十の夏をうつくしと見ぬ」この短歌のように「美しい」という言葉が何度も出てきます。その美しさは、外見のことだけではなく、恋する自分の心も美しいという確信です。
この歌集を読んで、与謝野晶子は自分自身を肯定できた女性だったのでは、と思いました。自分を肯定することが、情熱的な短歌を詠むことにつながります。だからこそ「春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳手にさぐらせぬ」のような歌が詠めたのでしょう。ただ自分を肯定するのは簡単ではありません。否定と肯定の間で揺れ動きながら生きたのだと思います。
解説に年齢を重ねてからの与謝野晶子の写真が載っているのですが、これが本当に美しいのです。いわゆる美人というのではなく、成熟した女性の美しさです。人生に絶対に打ちのめされることはない、という強靭な意志を感じます。その強さは『みだれ髪』の一つ一つの短歌からも感じられます。
「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくし」与謝野晶子の代表作の一つで、この歌集の中の白眉です。春の夜の美しい情景が、浮かんできます。「みなうつくし」と言い切ってしまう思い切りの良さに若さを感じます。
短歌では「美しい」と書くのは、陳腐なのでやめた方が良いと言われますが、ここは「うつくし」以外の言葉は考えられません。「みなうつくし」と言い切る肯定的な明るさが、桜が満開の春の夜の美しさと結びつきます。こんな肯定的な感情は歳をとると持ちにくいのかもしれません。でも、心のどこかに持っていたいです。
与謝野晶子は情熱にまかせて突っ走るだけではなく、深い優しさも持ち合わせていました。だから有名な『君死にたまふことなかれ』のような詩を書いたのでしょう。
この歌集にも優しさを感じる部分があります。恋のライバルだった山川登美子が出てくる「白百合」の章です。「おもひおもふ今のこころに分ち分かず君やしら萩われやしろ百合」
これも美しい歌です。実際は登美子が百合、晶子が萩と呼ばれていたそうですが、ここではわざと混同させて、二人が一心同体だったことを表現しています。この章はしみじみとした情感が流れていて、一番好きな部分でした。