【自己紹介】〜生い立ち編①〜

皆さまこんにちは。
500RYTヨガ講師で、
ヨガスクール校長の佑佳子です。

今日のテーマは「わたしの生い立ち」です。

私は元々、過去の話しをすることが好きではないのですが、大した内容ではないけれども、皆さまに知っていただくことも面白いかな?なんてことを思い、綴ることにいたしました✏️

10月24日、東京生まれ。
小野寺家の長女として誕生。

未熟児であったことから、出生後約2週間保育器に滞在。周囲の懸命なサポートにより一命を取り留める。

幼稚園児時代は、おはようございますのご挨拶を終えた直後に「教室から脱走をする。」が日課であり、教室内に大人しくしていられることは、年長クラスに上がるまでほとんどない生活を送っていた。
破天荒な園児でありながらも、なぜか多くの先生たちからの人気を勝ち得ていたこともあり、お遊戯会は常に主役の座をキープしていた。
この頃から漢字を書くことが好きで、将来は森高千里さんのような容姿の、漫画家になることを夢見ていた。

しかしこの頃から身体が弱く、朝晩の薬は一度に7錠くらい服用。病院の常連でもあった。誕生日やクリスマスは病院で過ごしたりすることもあり、やさぐれた性格は進行する一方。髪の毛に納豆を巻き付けながら発狂したりして、病院の皆さまを困らせていたりした。

小学生になると、分厚めなメガネの影響により、あだ名は「めがねざる」となる。当時は喘息がひどく、めがねざると揶揄う男子児童を追いかけても、少し走ればプチ発作が起きてしまい、追いかけることをやむなく断念することもしばし。汗

眼を定期的に診ていただく通院先は、大学病院であったこともあり、来院予約をしているのにも関わらず、到着からお会計まで半日以上かかっていたことを今でも鮮明に覚えている。名前を呼ばれるアナウンスの声も今でもものまねができるくらい鮮明に…笑 現在も大学病院とはそのような環境で受診する場所なのか?と気になるところである。

小学4年生になると、幼稚園児の頃からの悲願の夢である空手を習い始めることが許され、人生一度目の好転が起こる。
あっという間に全ての病が治り、ジメジメとした性格はすっかりと明るく、ハツラツとしたタイプの女子児童へと変化を遂げた。
同時期に入団した、区の合唱団でのパートはメゾ・ソプラノ。目立ちたがり屋精神がこの年から大爆発し、定期的に行われるソロパートの選抜には必ず参加し、ソロパートの出番を勝ち得ていた。
現在もクラッシック音楽が好きなのは、この時代の過ごし方が影響している。

中学生に上がると「これを勉強して何になる?」
という疑問を胸に抱くタイプの反抗期が始まり…と、ちょっとこの先は少し長くなりそうなため、
今日はここまで!


続きはまた次回にしたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

それではまた、次の投稿でお会いしましょう。


Namaste,
佑佳子

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