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洋画に棄てられた国日本

2023年にして初めて『キル・ビル』を観た。普段はしないことだが、今回は出演する俳優の名前にたまたま目を通した。すると千葉真一、北村一輝など馴染みある日本の役者の名が目を引いた。特にChiaki Kuriyamaの名はオープニングにもでかでかとクレジットされ、劇中も立派な存在感を放つ役どころであって驚いた。

考えてみれば、ゼロ年代は『ラストサムライ』を筆頭に『WASABI』『バベル』『Tokyo Drift』『硫黄島からの手紙』など日本を舞台にした洋画が少なからず製作され、日本の俳優と世界的スターが正面切って共演し、欧米目線で何とも珍妙に描かれる日本の風俗や街並に我々日本人が嬉しがったり悲しがったりしていた時代である。しかし今振り返ると、ここまでの規模の洋画で日本がしばしばフィーチャーされていたのは結局この時代がピークである。一応10年代にも『ウルヴァリン: SAMURAI』や『47RONIN』、近年では『ブレット・トレイン』などはあるものの、飽きられたのか広がりがなかったのか柵みが多かったのか、日本を舞台にした洋画はめっきり少なくなってしまった。

ゼロ年代にもう少しポテンシャルというか広がりを見せられていたら、うまいこと日本とハリウッドの繋がりは太く双方向的になっていたかもしれないと思ってしまう。尻すぼみになった原因を真面目に考えると例えば世界から見た日本のプレゼンスの落ち込みだったり、アニメマンガの隆盛だったり、韓国の叩き上げ(どころか頂点を獲ってしまった)だったりすると思うのだが、何にしても日本の映画業界の「外に向けた努力」の不足に端緒を求めるものであることはまちがいない。

インドで会ったイタリア人とチェコ人の学生は、Tokyo以外の日本の地名を知らなかった。名門大に在学中だったドイツ人学生は、Tokyoの他にKyotoを知っていたが、Osakaは知らなかった。断っておくが、彼らは休暇に単身インドへ来るほど外の世界に関心がある人たちである。ヨーロッパ人の目は我々日本人が思っている以上に(以下に?)日本に向いていない。ジャパンというと世界地図の端っこにあるよくわからん島なのである。そして端っこの島の島民は、せっかく運よく周りが注目してくれた時代に、己が世界の中心になったと浮かれ驕るのみで謙虚な努力を積み上げなかった。次第に飽きられ、忘れられ、20年と経とうとも、彼らは周りの温度変化に気付かない。それとも、気付きたくないのかもしれない。あるいは、気付かれたくないのかもしれない。キル・ビルは、わたしにそういうことをかんがえさせる映画でございました。🐥

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