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新幹線大爆破

これは、 #PLANETSCLUB 内の #PLANETSSchool の課題として書き綴ります。


1975年に公開された、高倉健、千葉真一、宇津井健など、昭和を飾ってきた俳優が出演の映画である。監督は佐藤純弥。ちなみに、息子である佐藤東弥も映画監督として活躍している。(カイジファイナルゲームなど。敬称略。)


あらすじ

夕張の貨物列車に爆弾を仕掛けるところから物語は始まる。そしてひかり109号東京発博多行きにはたくさんの乗客を乗せ出発した。浮気を疑う夫婦や護送される容疑者など、様々な乗客がそこにはいた。国鉄に電話が入る。爆弾が仕掛けられたというではないか。走行スピードが時速80km以下に減速されると爆発するという特殊装置を施したという。試しに貨物列車を減速させると爆発し、爆弾を仕掛けたという脅迫電話は本物だと判明。乗客たちは一気にパニックに陥る。そして犯人からの要求は500万ドル。国鉄は現金を用意。警察による引き渡しが成功してしまう。「誰も死なない、誰も殺さない」というもくろみにもかかわらず逃亡劇の末、バイクで世界を回ってみたいと夢見ていた大城が亡くなり、革命がおきた国に行ってみたいと言った古賀はダイナマイトで自爆。主犯格の沖野は捜査本部に爆弾の解除方法を記した図面をある喫茶店にあると告げる。ところが火災に見舞われてしまい図面も灰になってしまった。当時の技術を駆使してカメラから設置場所を突き詰めた。運転手の青木が爆弾の仕掛けられた床をバーナーで焼き切って爆弾除去に成功、ひかり109号は無事に停車し乗客は助かった。一方で沖田はコペンハーゲン行きの航空券を手に入れ羽田空港から飛び立とうとするも、刑事が連れてきていた元妻と息子によって見破られてしまい、駆けつけた警官らに撃たれてしまう。無情にも沖田が乗るはずだった航空機が飛び立った。

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時代を感じるのは冒頭のタバコを開ける手元のシーン。ここ、というところでいろんな人がタバコを吸っている。当たり前のようにタバコを吸う。どの人も吸う。タバコの煙にズームをしているシーンがあった。何かその時を待つというような意味なのでは、と私は感じた。今は刑事物のドラマでもタバコを吸うというシーンはまず出てこない。全くないということもないのだが、全面的に出てくる作品はあまり見かけないようになってしまった。喫煙者は大変な苦労をしていることと思う。時代はすっかりと変わってしまった。

何度となく出てくる高倉健の「電話をかける」シーンがとても印象的だ。それを真剣な面持ちで受ける宇津井健、なんとも胸に迫ってくる。宇津井健の連絡を受け取る千葉真一もまた同様に思う。電話といえば、警察の報告のやり取りにも注目したい。現場の刑事が報告するとすぐに次の指示が捜査員に伝えられる。映画の中ならではの演出なのかもしれないが、こう言った指示もあったのでは、と想像してしまう。だが、「事件は現場で起きている」ということは明らかにわかる事実である。


40年以上も前の話なので情報の伝達機器は電話、ファックス。しかも、電話は黒電話である。携帯電話の「け」の字もまだない時代。電話ボックスで電話をかけるということが当たり前だった時代。

新幹線大爆破、なんてとても今の時代に考えにくい。だけどこんなことも起こりうる、ということを私は想像することができた。

この映画を通して思っていたことは東日本大震災と似ていること。東日本大震災による、東電の福島第一原発事故も然り。あれを言い換えてフィクション物語として作られたもの、とも言えよう。

あれだけの事件(事故・災害)が起こると人はパニックになる。本当に大勢の人がパニックになる。劇中では爆弾が仕掛けられて、目的地には止まらないと知った乗客がこぞって車内の電話ボックスに並ぶ姿。震災では東北に向けた通信、首都圏もパニックになっていたのでしばらく通話、連絡が取れないと言った話を多く聞いた。帰宅困難者、という言葉もメディアからたくさん聞かれた。

原発事故を描いた映画が先日テレビにて放送された。Fukushima50というタイトルだ。福島第一原子力発電所で、一体何が起こっていたのかということを知ってほしい。私はここで見た展示と同じような光景だと映画を見て感じた。具体的には記さないが、是非足を運んでご自身の目で確かめてみていただきたい。

危機管理、という視点でもすごく考えさせられる作品である。

この映画の中でも、新幹線の乗客が固唾を飲んでラジオを聞く、というシーンがある。こういう時だからこそ、メディアの力が試されるのである。終盤、無事に新幹線の乗客が助かった、ということを伝えてくれと国鉄の指揮官役の宇津井健が警察に駆け寄るシーンがある。だがそれはすぐにはできないと断られる。そしてそんなことならと自ら辞表出すとまで言ってしまう。

原発事故が起きた時、日本政府の中ではどんなやりとりがあったのか。たくさんの官僚など、当時の菅直人総理の周りにいた人たちはどんなコミュニケーションをとっていたのだろう。

スマートフォンが主流となり、SNS社会、情報社会と言われている。今は誰しもが「メディア」ということを感じる。

Twitterなど、影響力のあるユーザーのツイートにたくさんのいいね、がついたり、内容によってそれが「バズって」拡散されることがある。つい、私自身も気になって見たりしてしまうことがしょっちゅうある。常に見ている、ということもある。たまにはSNSから離れることも大事なことかもしれない。

だからこそ、何を伝えたいのか、誰に伝えたいのか、正確に、優しく伝えなければならない。情報は、「伝えた」ではなく「伝わった」でなくてはならない。そのためのダイアログを怠ってはならない。強く伝えたい。

何が起こるのか本当にわからない社会になってしまった。今に始まった話ではないのかもしれない。だが、私たちはこの映画から学び、考え続けなければいけない。先人からの宿題、である。


最後に、もうお見かけできなくなった千葉真一さん始め、高倉健さん、宇津井健さん、そして監督の佐藤純弥さんに最大級のリスペクトを捧げる。



何かいいものを食べます。生きます。