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【小説】黄金に凪ぐ(3)

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第一話とあらすじ




  三

 高校時代、同じクラスに多田という奴がいた。僕から見たら相当な変わり者で、まず他人と接することを自分から拒んでいるように見えたし、それなのに「友達がいないことが恥ずかしいし、寂しい」だなんて平気で言う。かと思えば「必要以上に人間関係を広げるような奴は軽蔑してるね、俺は」と強がってみせたりもした。(「強がりとかじゃねぇって、いやマジで。友達ってのは適正な人数っつーのがあるんだよ。分かってねぇなお前本当に。」)(全然分からなかった。人間関係が広がれば色んな友達も出来るし、多いに越したこと無いだろ?)。
 休み時間になると教科書をしまうのと同時くらいの素早さでヘッドホンを付けて、腕組みをして眼を閉じていた。いつも何の曲聴いてんの?と聞くと、「...絶対馬鹿にするだろ」と言って教えてはくれなかった。一度ちらっとiPodの画面を見たことがあるけど、何かクラシック音楽っぽい名前のものが表示されていたので、言われてもわからないから申し訳ないなと思い、それ以降この質問はしないことにした。

 当然、多田はクラスで浮いていた。クラスの他の奴らは皆「あいつ何気取りなの?」とか「ヘッドホン出すときの速さとかマジきめぇ」「腕組み(笑)」などと言っていたけど、それがいじめに発展したりということは無かった。みんな馬鹿にしたり悪口を言ったりはするけど、それ以上の存在としては認識していなかったのだ。そして多田は、それ以上の存在になり切れない自分に対しても怒りを募らせていた。

「わかる?いじめられる奴ってのはまだ幸せなほうなんだよ。俺から言わせればね。」

 俺から言わせればね、は多田の口癖だった。大体「俺から」のところで一回眉毛が上に上がって、「言わせればね」のところで右の口角が上がる。少しニヒルな表情と言えば聞こえはいいが、皆からムカつくとか、何気取りだよ?とか言われてしまうのはこういうところが原因なんだろうなぁと、毎回見る度に思っていた。

「一番不幸なのは何も触れられないことだよ。何にも引っかかるものが無い存在ってゆうのは、それだけで存在を否定されるようなもんでさ、いじめなんかよりよっぽど酷い状態だと思うね、俺は。」

 そう言いながら、多田はいつも持ち歩いているフリスクを掌に五粒くらい出すと、大袈裟なくらい頭を振り上げて口の中に放り投げた。ボリボリと骨に響くような音を聞きながら、果たして本当に多田は触れられない状態にいるのかを考えてみた。
 僕から見る限り、いじめには発展しなくともクラスの連中はみんな何かしら多田の言動について引っかかるところがあるように思えた。直接的な危害などはなくても、本人の知らないところでそれなりの注目を浴びているのではないだろうか?悪目立ちと言ってしまえばそれまでだけど、多田の理論で言えばそのほうがましなはずだ。

「いじめにももちろん種類はあるけどさ、陰口ってゆうのは間接的過ぎるから触れられない状態と同義だぜ?」

 思考を覗かれたような気がして、一瞬びくっと肩が動いてしまった。そして、多田はそれを見逃さなかった。

「ん?なに?ちゃんと陰口言われてんじゃんお前とか考えてた?ちゃんと存在認識されてんじゃんって?」

 先程の口癖を言うときと同じように、右の口角を釣り上げながら、多田はじっと僕の目を見つめてきた。咄嗟に目をそらしたが、それが図星だと告げる合図になってしまったことにすぐ気付き、否定も出来ずに目線を地面へ落とすしかなかった。

「おまえはわかりやすくて、俺好きだよ。」

 西の空は、二センチくらいの幅で太陽の尾を引いていた。そこから橙、紅、紺碧、群青、濃紺と、東の空から続く暗闇に追われていた。僅かな明かりのお陰で、暗闇はより一層その深さを強調され、足元の履き潰したローファーはほとんど闇に染み込んでいた。足を前に出す度に、そのつま先が一瞬白く光ることで、何とか僕の足の存在を知ることができた。

「あとおまえはさ、俺の存在を否定しないだろ?だから好きだな。」
「いや、元々好きじゃないんだよ、陰口とか無視したりとか。」

 皆が余りにも多田を変わり者扱いするものだから、実際どんな奴なのか興味を持った。たまたま最寄り駅が一緒で、ちょうど部活の終わる時間も同じくらいだったから(僕は弓道部で、多田はクイズ研究部というマイナーな部活に入っていた)、改札口で見掛けたとき、何となく声を掛けた。それからはほぼ毎日、駅から分かれ道になるコンビニの前までの道のりを、二人で話しながら帰るようになった。駅から離れるとすぐ田んぼだらけになるようなところだったから、滅多に人とすれ違うこともなく、この時間のこの街には二人しかいないんじゃないかと思うくらい、僕らの会話はいつも自由に膨れ上がっていた。

「元々好きじゃないんだよ? ははっ、おいちょっと勘違いしてねぇか?」
「は?何が」

 少し馬鹿にされたように聞こえて、ムキになって多田のほうを見ると、明らかな蔑みの表情でこちらを見ていたものだから、僕は面食らってその場に立ち止まった。多田の顔は笑っていたが、その目には少しの敵意と、何か汚れ切ったボロ布でも見るかのような賤しみが込められていた。一気に汗が噴き出してきて、耳が熱くなるのを感じた。

「おまえは俺を否定しない。でも、それはおまえが俺に新切に話し掛けてくれるからとか、その優しさに触れて俺が浮かれてるみたいな、そんなんじゃないぜ?」

 多田も立ち止まり、真っ直ぐに僕を見ながら、いつもより数倍も遅い口調ではっきりと話し始めた。

「おまえは確かに話し掛けてくれてる。でも、それはただの興味本位ってだけじゃないだろ?自分でよく考えてみろよ。例えば…」
「例えば?」

 一呼吸置いて、また右の口角を上げて多田はこう言った。

「おまえ、教室でも俺に話し掛けられる?」

 耳の熱が鼓膜を突き破り、そのままキーンという音がけたたましく頭や顔の中を満たしていった。足元は最早完全な暗闇に覆われて、そのまま多田と自分の間の空間を塗り尽くしていった。目の前に見えるのは、多田の鋭く光る眼と、口から零れているやたらと白い歯だけだった。

「できないだろ?そりゃそうだよな、俺なんかと話してるとこ見られるの、嫌だもんな。こんなわけわかんない奴と親しくしてるだなんて、どうやって説明したらいいかわかんねぇもんな。だからこうやって帰り道の誰もいないとこだけで、友達っぽいことしてるんだろ?」

 相変わらず笑顔のままで話し続ける多田は、最早人間の形を保っていないように見えた。眼が暗闇に慣れてきて、先程よりも多田の輪郭は朧気ながらも確認できるようになってきていたのに、それが果たして本当に人間なのか、わからなかった。ただ闇の中を蠢く思念のようなものから、自分が最も恐れている言葉を次々に投げかけられているだけのように思えた。

「でも俺は楽しいぜ?友達ごっこ。それにさ、お前がそうやって教室では知らん顔しようとしてくれると、俺は自分の存在が確認出来て、もうすっっごい嬉しいの。あの空間で、俺がちゃんと居ることが証明できるのはお前のお陰なんだぜ?他の奴らは俺のこと、俺の存在を否定して生活してるけど、お前は絶対否定しない。やってることは無視したり陰口叩いてるとこに一緒にいたりって、あいつらと同じような行動取りながらもさ、お前は俺を否定し切れてないんだよ。時々なんかの拍子で目があったりしたときの、お前のバツの悪っそーうな顔見ると、俺本当にぞくぞくしてきて、なんなら勃起しそうなくらい興奮すんだよ。だからさ、俺はお前のこと、好きだよ。単純でわかりやすくて、良い奴だよ本当。」

 違うとか、そういうつもりじゃとか、言いかけては止めての繰り返しだった。どんなに頑張って否定したところで、嘘になるだけなのはわかっていた。実際、初めて話した日の翌朝、教室でいつも通りヘッドホンをつけて真っ直ぐ黒板を見つめてる多田を見て、ここで話し掛けたら、周りの奴らにどんな風に思われるだろう、「おまえあいつと仲良くなったの?マジで?」などと聞かれたらどう答えようと考え、怖くなってそのままシカトした。目の前を通る時、小さな声で「…おは」と声が聞こえたにも関わらず、だ。

 多田はそれすらも嬉しかったのだろうか。いや、そんなことあるわけない。あれは絶対に傷ついていたはずだ。それでも、僕は今の今までそれを無かったことにして、毎日帰り道限定の友達ごっこ(のつもりはなかったけど)を続けた。その中で少しだけわかり始めた多田の性格を考えると、色んなところが歪んではいても、根底に流れるものは「孤独」ただそれだけだ。その孤独に耐えきれないから、色んな解釈を使って自分を守っている。僕が見てきた多田はそういう奴だった。そういう人間の不器用な部分を凝縮したようなところも好きだったし、今まで出会った人にそんなタイプの人間はいなかったから、僕は僕なりに、傷つけてしまったかもと思いながらも、二人でいる時間を楽しんできたつもりだった。

 しかし、それすらも全部、傲慢だったのだろう。楽しんでいたというよりも、どこかで多田のことを可哀想なやつ扱いしていたのかもしれない。少しでも自分と話すことで、友達のいない淋しさを埋めてあげられるかもしれない、そういう奴に親切にしている自分というのに、僕は少なからず酔っていたのかもしれない。およそ偽善的な振る舞いを無意識にしていたことを知り、あろう事かそれを相手から知らされてしまったという事実に、これまでに感じたことのない恥じらいを覚えた。どれだけ自分のことを崇高な人間だと勘違いしていたのだろう。何様のつもりなんだ?僕は。

「だからさ、別にこのままでいいんだよ。お前はそのままで毎日過ごしてくれりゃ。」

 多田の言葉が本心なのか、自欺なのか、僕には分からなかった。ただ、少なくともこのままでいられる自信が自分には持てないことは分かり切っていた。それもまた、多田への申し訳ない気持ちや懺悔心ではなく、単に自分自身が多田に後ろめたい気持ちを抱いたままで居続けたくないと感じたからだ。もっと言うと、支配されているような感覚が許せなかった。見透かされたこの瞬間から、もう僕は、多田への絶対服従を余儀なくされていた。可哀想な多田の友達役を買って出た僕は、いつの間にか自分の弱さを人質に取られて、このままずっと、多田の傍を離れることが出来なくなろうとしていた。僕のほうが立場的に上じゃなかったのか?なんでこんな多田なんかに。そういう気持ちをほんの少しでも抱いていることに気付かされて、これまで築いてきた自分という人間像に疑問が生じた。

 僕は元来、周りと調和していくことを正義としていた人間だ。波風を立てようとする人の神経が理解出来なかったし、自分というものに特別な個性を求めたり、これ見よがしに自らの意思や欲望を周囲に当て散らかす人が信じられなかった。そういう人間はおよそ野性的で、とても幼稚に見えた。僕の中には全く無い感覚を持っている、未知の世界からやってきた侵略者のようにも思えた。しかしこれ以上多田と一緒にいると、僕が如何に卑劣で高慢で、自らが軽蔑し或いは恐れていた幼稚な侵略者そのものであるかということを思い知らされることになってしまう。それがとても怖かった。こんなことで取り乱してはいけない。封じ込めないと。多田に合わせて、何ともない風を装って、またいつものように会話と呼吸を合わせて、笑顔を作って、

「おい?終わったぜ、話。帰ろう、『よしあき』」


僕の、名前を、気安、く、呼ぶ、な。



 次の日から、多田と会うのをやめた。教室でも完全にいないものとして過ごした。やってみると意外と簡単で、視界に入り込む多田の姿も、三日もするとロッカーや机やカーテンみたいに、僕の生活を演出する背景の一部になっていった。僕と話さなくなってから、多田がどんな顔をしてこちらを見ていたのかも、授業中や休み時間、放課後をどうやって過ごしていたのかも、何も分からなかったし、気にならなかった。ただ一つ、名前を呼ばれたあの瞬間の、自分の中に潜む鬼のように激しい嫌悪感だけは、拭い去ることが出来ずにいた。

 多田が学校に来なくなったのは、それから二週間後。退学したと聞いたのは、二年生に進級したあと、学ランを着ていると汗ばむようになってきた五月の始め頃だった。

 その後のことは、何も知らない。





3月25日


気付いたとしてもさ、言わないでよ。普通言いふらす?そりゃ気持ち悪いよね、言いふらすか…。
坂本さんにどう思われたってどうでもいいけど。
好みでもなんでもないし、あんな女笑
でもみゆきちゃんの目はなぁ、痛かったなぁ。
そうだよね、不審に思うよね。
辻褄、合うよね。触りすぎてたわ、あたし。
明日からどうしよう。てゆうかロッカーから着替え全部持ってきとけば良かった。
明日絶対使えない。早起きしていくか…。



3月26日


小学生の集まりかよ、ほんとに。どいつもこいつもクソばっか。
サバサバ系なだけだと思った~。とか、馬鹿にしてんの?
トイレで化粧してたら、入ってきたナツと鏡越しに目が合った。
「あっ」って言って別のとこ行きやがった。
なに?あたしはトイレも使っちゃいけないの?
なんでこういうことになると、すぐ下ネタのほうにみんな結びつけるんだろう。
誰でもいいわけじゃない。そんなんあたりまえ。
あたしは化け物か!
化け物なんだろうな。みんなからしたら。



4月9日

きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい。
絶対課長に言ったの坂本さんだ。ちらちらこっち見てたもん。
男を知らないだけだよ?協力してあげてもいいよとか、馬鹿かよおっさん。
人のこと、治る治らないで話進めるのやめて。病気なんかじゃない。
あたしは今までずっとこのままで来てる。
鼻息がかかる感じがまだ残っててきもい。きもいきもいきもいきもい。
人の肩に気安く触んなよ。なんであんなおっさんに。
あーもう、あたしが悪いのかな?あたしがいけないの?
坂本一派がにやにやしてんのはムカついたけど、みゆきちゃんもちょっと笑ってた。
あたし、もう好きな人からも馬鹿にされる人間なんだな。
きもいのは、課長よりもあたしなのかな。
もう一回お風呂入ろ。

(4)へ続く


食費になります。うれぴい。