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雄弁に語る身体 〜菅原小春が魅せる「Lemon」


先日発売された米津玄師さんの最新アルバム「LOST CORNER」。特典として2023年に行われたツアーのライブBlu-rayが付いていました。
私は配信で聴く程度のライトファンなのですが、ガチ勢の妻はこちらの特典付きCDを購入していました。
休日の昼、YouTubeが見たいと騒ぐ娘達を制して妻はいそいそとそのライブ映像を観ていました。

米津さんのライブに触れたことのなかった私は、想像していたよりも音数の少ないことにまず驚きました。
音源だと音の要素が多過ぎて聴くのに体力のいる印象が強かったのですが、ライブ仕様のバンド編成では打ち込み音も最小限で鳴らしているようでした。(或いは音数は音源と特に変わらず、大きな会場で鳴らすとちょうどよく響いていただけなのかもしれませんが。)
「あら、意外。」と思いながらしばらく音だけを聴いてコーヒーを淹れていたのですが、ちらりと見た「Lemon」の中盤で私は画面に釘付けとなりました。

花道の先頭に当てられたスポットライトの下に、ダンサーの菅原小春さんの姿がありました。
私は彼女の身体表現がとても好きなのですが、近年はその表現力がより洗練されてきていて、鬼気迫る姿には時折畏怖の念さえ抱くほどでした。
米津さんの紅白出場時にも彼女とのコラボレーションは話題となりましたが、あの当時、私は「正直ちょっとこのダンスはいらないなぁ」と思っていました。カメラワークもあるとは思いますが、米津さんの唄声と小春さんのダンスの表現がそれぞれに対立し、離れ離れになっていたような印象でした。

しかし、今回の小春さんの表現はあの時とは全く違いました。
2番サビの序盤こそ激しく動いてはいましたが、その途中腕を振り上げたまま静止した後、筋肉の緊張を解かぬままに跪きしなやかに踊る様は、「わたしのことなどどうか忘れてください」という歌詞の真意を、歌唱だけでは沁み入ることのできない心の奥底まで届けてくれるようでした。

その後ラストサビまでの間、大きなアクションはほとんどないままでした。
俯きながら頭を抱えるその指先のひとつひとつや、強張った胸の内を表すかのように緊張の続いたままの背中の筋、サビの10小節全てをかけてゆっくりと倒れゆく体幹のぶれの無さ。
派手な動きや分かりやすい表情などに頼ることはせず、全身に隙なく神経が行き届きながら、その全てを彼女自身が寸分の狂いなくコントロールしている姿に、私は思わず涙ぐんでしまいました。

バンドはラストサビでしっかりと楽曲を盛り上げながらも、米津さん自身の唄声は音源やテレビでの歌唱よりもどこか優しげな印象でした。その激しさと勢いだけで進もうとしない内省的な表現が、小春さんの静の身体表現と相まってより一層楽曲に流れる喪失感を強めていました。
またそれと同時に、喪失を抱きながらも進まなくてはならないという生きる者の宿命や覚悟をも感じさせてくれるようで、私がこの楽曲に抱いていた「激しい哀しみや痛み」という印象をがらりと変えさせてくれました。
それは、哀しみを振り切って強く前を向こうという強引なポジティブさではなく、抗えない真理に対して無抵抗な姿勢を貫くようなネガティブさでもなく、「それでも生きていく」という人間の心の本来的な強さが表されているようでした。

「Lemon」が名曲であることは周知の事実とは思いますが、このライブ映像を通して、私の中で楽曲に新たな視点が加わりました。
米津さんのライブ、次は是非参戦しようと決意すると共に、小春さんの表現力が今後どこまで進化していくのか楽しみで仕方ありません。


食費になります。うれぴい。