【エッセイ】季節と音楽徒然に
音楽というものは、時間芸術の中でも最も私達の身近に存在するものです。
その作品を享受する上で、同じ時間芸術である文学よりも専門の知識を身に付ける必要性が少なく(実際に識字率の低い国でも、音楽は人々の生活に浸透しています)、また舞台や舞踏といったもののように場所の限定性もありません。
にも関わらず、音楽理論や各楽器の特性など、知識があればあっただけその作品に関する理解はより深まりますし、場所と時間の制限を設ければ生音で作品を体感することも可能です。
これほどフレキシブルに人々の事情に合わせて形態を変えることのできる芸術は、音楽だけなのではないでしょうか?
私はこの音楽という魔法が昔から大好きで、洋邦ジャンル問わず、ほとんど毎日のように何かしらの楽曲を聴いています。
それは通勤時や風呂場、部屋でゴロゴロと横になっているときや眠りにつく直前など、場所や時間を問いません。幸い、妻も子らも音楽が好きなので、家の中ではそれぞれのリクエスト楽曲を順繰りとスピーカーから流しています。
サブスクリプションサービスの普及により、もちろん弊害もあるのでしょうが、音楽は益々その存在を私達の生活の中に浸透させてきています。
歌物に関してはそもそも歌詞があるので、伝えたいテーマや心情がダイレクトに伝わってきますが、POPsという概念のまだ無かった時代の楽曲、所謂クラシック音楽には、作品を享受する我々の想像力を膨らませてくれる力がより強いと感じています。
ただ、私の個人的な好みではありますが、教会や宮廷のBGMとして機能していた時代の古典作品よりも、ある程度副題も付くようになった以降の楽曲に惹かれることが多くあります。
時代的にはロマン派〜印象主義と呼ばれる頃のものでしょうか。ショパンやリスト、ラヴェルやドビュッシーなど、現代音楽にも通じる作法の礎を作り上げた人々の作品群が私は好きです。
(もちろん古典も聴きますし、好きです。モーツァルトのオーボエ協奏曲などは、自分の担当楽器でもあったので耳タコです。)
その中でも、特に夏の時期に聴く楽曲があります。
ギイ・ロパルツの「前奏曲、海と唄」です。
ロパルツはフランス国内では有名な作曲家ですが、日本ではあまり知られていません。私も大学時代、同じオーケストラ所属の先輩から教えてもらうまでは名前すら知りませんでした。
時代的にはドビュッシーと同じ世代ですが、彼のような印象主義的楽曲ではなく、ひとつ前の時代になるロマン派の流れを汲んだ制作法が特徴です。
交響曲も残していますが、私は室内楽こそ彼の本領が発揮されているのではないかと思っています。
「前奏曲、海と唄」は、その名の通り3つの楽曲から構成されています。三曲とも素晴らしいのですが、私は特に前奏曲が好きで、蒸し暑い夏の午後によく聴いています。夕立の気配漂う西の黒い雲を眺めながら聴く前奏曲の冒頭の不穏な空気感が堪りません。
通常、室内楽というと弦楽○重奏であったり、木管○重奏であったりと、ある程度決まった編成のものが多いのですが、この楽曲は「フルート・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・ハープ」という謎編成となっています。
管弦楽と言うには菅が少ないですし、コントラバスがいないのでカルテットでもないですし、そもそもハープがいるし…という、編成ありきではなく楽曲ファーストで制作されたのだろうことが窺えるこの編成も、私の好きなポイントです。
フランスの夏は日本と違ってもっと湿度も低くカラッとしていると思いますが、私はこの楽曲を聴くたびに、じめじめとした日本的陰湿さが潜んでいる気がするのです。恐らく肝はヴィオラで、吹き抜ける風のようなフルートの清涼感とそれに呼応するヴァイオリンの裏で、人の声に似たヴィオラの変則的な動きが所々で顔を出してくるのです。
またハープの控えめなアルペジオも、この楽曲に流れる仄暗さの要因の一つとなっています。
ドビュッシーもそうですが、何となくフランスものには日本人の感性を刺激する要素が多くあるように思います。それはメロディライン然り、オーケストレーションそのもの然り。
もちろんジャポニスム全盛というのもあると思いますが、当時の流行だったというだけでここまでうまく日本的要素が反映されるものなのでしょうか。
チャイコフスキーのような北国の泥臭さ、土着感もある種日本的要素だとは思うのですが、それともまた違うのです。よりアジアに近いと言いますか。
うまく言語化できず歯痒いのですが、感覚的にはロパルツもドビュッシーも、私の中でジャパニーズホラー的なのです。リングとか呪怨とか。
諸々含めて、大好きな楽曲です(唐突に雑なまとめ方)。
尚、音楽史について特に教育を受けてきたわけではない素人の所感ですので、細かい間違い等はご容赦くださいませ。
ただ好きだよというお話を書きたかっただけなのです。
朝晩秋の気配も感じられるようになってはきましたが、まだまだ残暑厳しい折、この湿った空気を少しでも名残惜しむことができるように、まだしばらくはこの楽曲の力を借りることになりそうです。
食費になります。うれぴい。