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関西大学・環境社会学”ポスト石けん運動世代の活躍”のコメントに勝手に答えました①

先日、関西大学の環境社会学という授業にオンラインで登場しました。

テーマは”ポスト石けん運動世代の活躍”。

滋賀で石けん運動という大きな社会運動があったのが約40年前。

その後の市民たちの動きを紹介、という授業です。

なんと興味深い。

大学時代に社会学、中でも今回の環境社会学の存在を知っていたら絶対学びたかった、というくらいに興味どんぴしゃの内容。


今回は講義の後に届いた学生たちからの生のコメントを全部読んで、大学生って、こんなにいろいろ考えているのか〜、みんな賢いし、素直だし、クスッと笑えるようなコメントもちょくちょくあるし、たぶん500人分くらいコメントあって全部に目を通すのはなかなか大変だったけど((大学の先生すげーってなった))、とてもとてもおもしろかった。

今回はその中でも気になったもの、そして補足動画で答えきれなかったコメントに勝手にこたえていくことにします。ちょっと個人的な話も入りますのでもしかしたら期間限定公開にするかも。それではスタート。


①私の地元の友達で大学を休学して無農薬野菜を売る会社を設立した女の子がいます。安藤さんはいつこういったアイデアを思いついて、実際に行動しようと思ったのですか?やり始めるに当たってなにか不安なことなどありましたか

→私の場合は、”たまたま”に近い。なるべくしてそうなったとも言えるけど、1度目のオーストラリア旅で、やりたいこと(自給自足的な暮らし)を見つけたのにまだ特に生産的なことをしていない旅暮らしを続けているということ、しかもとにかく時間が有り余っているということ、もあって、自分の存在価値を見いだせなくなっていて、”生きる意味”を考える日々を過ごした旅生活(2009年頃)。
WWOOFして、オーガニックな暮らしの中にいても鬱的であることは変わらなかったのに、旅の終盤で、農薬をバンバン使うブドウ農場で”仕事”としてブドウ狩りをしていた頃に、自分の理想の暮らしとはかけ離れているはずなのに、精神的に回復して、”あぁそうか、私は何かしら役に立っているという実感が欲しかったんだ”ってことに気づく。
その中で出た一つの結論が、”人、もしくは世の中の役に立つということは、偽善的なことではなく、自分にとって生きるための餌である”、ということ。
その時期に日本の両親と電話で話したら、ちょうど実家の会社で米粉のアンテナショップを始めたいから力を貸してくれないか、と言われて、あ、役に立つことができるかもしれない、と思って特にそれ以上は深く考えずに一時帰国のつもりで帰って手伝って、そのままアンテナショップ立ち上げに参加(ショップマドレ)。

そしたら、当時”始める”ことしか考えてなくて、”続ける”ことなんて考えてなかったけど、続けることになるんだよな、お店って。当たり前なんだろうけど、びっくりした。それで、続けることになったので、不安を感じる暇はなかった。
まさかその後7年も続けるなんて思ってなかったし、無知すぎて、穴があったら埋めて欲しいくらいに失敗いっぱいしたけど。たくさんの人にも迷惑かけたし、だめだめすぎて恥ずかしい記憶もたくさんあるけど、時間は巻き戻せないし、だったらその本当は葬り去りたいくらいにイタイ思い出を、修行の気持ちで抱えながら同じ事が起こらないように今できることを最大限する、という思いで木下実験室をやっていると言えるのかもしれない。


②雨水でご飯を炊いたりスープを作るのは衝撃を受けました。お腹を壊したりすることはないのでしょうか?

→オーストラリア旅では僻地であれば特に、雨水が生活用水になっていることは当たり前だった。田舎だから水道を全部行き渡らせることがそもそも難しいというのもあるし。
旅中は、川の水での暮らし(電気ガス水道なしの暮らし)も経験したし、あとはほとんど雨水暮らし。料理も、シャワーも。(この記事のヘッダー画像が雨水タンク。そして隣の敷地からうっかり入ってしまったらしい牛。)
一番最後に滞在したブドウ農場も雨水タンクがあったのだけど、たぶんフィルターが壊れていていろいろ浮遊物が見られて、それはさすがに辛かったけど…でも、飲んでたし、お腹壊したりしていない、不思議なことに。
雨水は、降り始めの最初の数分は空気中の埃とか、あとは雨樋からタンクに貯める場合は屋根の汚れが入るけど、あとは真水。真水が降ってくる。
日本では雨水タンクはほとんどが庭の散水やトイレやシャワーなどが多くて、料理などにはほとんど使われていない印象だけど、本当は”キレイ”なはずなんだけどな、と思っている。いつか自分の家はオフグリッドにして雨水で料理も普通にしたいな、と思っている。

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マドレ時代に開催した、雨水で炊いたごはんの焼きおにぎり(ロケットストーブ)と、その場で収穫した野菜と雨水で味噌汁を作って食べるイベント。


③私はそもそも野菜が苦手なので野草とかとても考えられませんが、新鮮なものを食べたら野菜のイメージが変わるのかなと思いました。

→野菜、私も元々キャベツとトマトが苦手だったのだけど、トマトはオーストラリア旅でシドニー時代にホストマザーがミニトマト+オリーブオイル+赤ワインビネガー+塩胡椒 を作ってくれてその食べ方で好きになり、その後旅中にも鳥の糞から勝手にあちこちに発芽しているトマト(バイオダイナミック農場)があまりにもおいしくて、今では夏が楽しみになるくらいにトマトが好きに。
キャベツは、とんかつ屋とかの千切りキャベツのおかげで、味のない意味の分からない野菜というイメージがついていたけど、おすそわけで小林ファームさんにたくさんたくさんもらったおかげで食べるしかなくなって、エイヤっと食べてみたらおいしくて、今は嫌いじゃなくなった。むっちゃ好きというのではないけれど。でもおいしいな、と思う。
(でも、ついでに言うと、出始めのキャベツよりシーズン中盤〜終盤の方が好き。味がちがう、それもおもしろい。)

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小林ファームさんのキャベツ(2020年12月2日)。農薬化学肥料を使わない農法で育てられている。


商業化することで当初の動機から外れることはないのだろうか。もちろん広めたいという気持ちは理解出来たが、マイナー好きならば広めることは矛盾に 感じるし、野草採りが成立するのも規模が小さいからだろう。インディーズバンドのファンがメジャーデビューをきっかけにファン卒するような動機の一貫性を感じられなかった。 原点にあった自給自足ともビジネスの規模が大きくなればなるほどかけ離れてしまう。現時点ではまだマイナーだと思うが、メジャーになることは目標ではないということなのか。展望に書 かれていたように、あくまで地域活性が目標なのだろうか。

→このコメントは燃える。ぜひとも答えたい。
大々的には言わないけど、本気で世界平和を目指しているので、そのためには商業化が必要で、でも語りかける相手はマスにこだわっていない、というスタンスかなと。
本気、やる気、その気、無関心 っていう4段階があって、私はやる気の人とその気の人に語りかけたい。その人たちがまた真似することでいずれ無関心層をつつくことができるかなと。
世界平和を目指す、ラブアンドピース・自給自足と言えばヒッピーにつながるし、実際に私は大学時代はヒッピーに憧れたけど、ヒッピーだと普通の人は真似したいと思いにくい。いかにもヒッピーだし、価値観も今の社会の常識とかなりかけ離れているので、自分事にしにくく、他人事で終わってしまう。ヒッピー精神も価値観も好きなのは変わらないけれど、広げたいと思っている私にとってはそれではもったいないと思ってしまう。
だから、私は精神はヒッピーだけど、見せ方はあくまでも普通?を目指している感じです。



⑤一度オーストラリアに行かれて一年を経て日本に帰ってきてまたオーストラリアに行ってと二度海外を経験していますが海外で働こうという考えは無かったのか気になりました。海外で働く上で経験者に勝るものはいないと個人的には思っています。その場で何かに目覚めたのならその場で行動するのが手っ取り早いのでは無いかと思いました。
自由度の低い日本と比べたら海外の方がモットーの「うっとりうっかり」が実現できるのではないのかなと個人的に思いました。

→海外で働きたいと思ったことはある。うっとりうっかり(木下実験室の隠れテーマ)も海外の方が実現しやすい、その通りだと思う。
グルテンフリーも普通だったし、私はグルテンフリーのパンも焼けるし、ちゃんとその価値を認めてくれる人たちがたくさんいる。実際に2度目の滞在(テンペと出会ったところ)では、デザインの手伝いをしていたのだけど、ビジネスビザが必要になったらいつでも言ってね!と言われていたし、海外暮らしは本気で考えてもいた。
でも、うっとりうっかりが必要なのは今の日本だと勝手に思っているので、自分が日本に住んでいること、日本人であること、に誇りを持ちたいというのもあって、日本でうっとりうっかりを広めたいのかな。

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春菊の花の分解。ずっとこれしてていいって言われるんだったらしてたいくらいのうっとり時間。


⑥”ビーガンやベジタリアンの食事に興味があるので、何度かビーガンカフェに行ったことがあります。驚くほどおいしかったですが、まだ都会の富裕層の住む地域にしかカフェが展開していないので、もう少しビーガンカフェやオーガニックのスーパーなどの敷居が低くなってほしいと思っています。”
食費を抑えようとするとどうしても安いお肉や農薬が多く使われた野菜を選ばざるを得ない環境にある人も多くいて、そういった現状を変える必要もあるのではないかと感じた。”

→レストランに関しても野菜に関しても、これはすごくそう思うし課題だなと。滋賀でもだいぶんヴィーガンのカフェは増えたけれど。
レストランに関しては、そういう意味でも普通のレストランやカフェでも”ヴィーガン””ベジタリアン”を選べる”ヴィーガンフレンドリー”なお店が増えたらいいな、と思ってテンペを作っています(が、営業がまだまだ足りていない…まだまだこれからです)。
野菜に関しては、そもそも社会の構造がおかしいと思っている(=基本的に給料が安すぎる、貧富の差が大きすぎる、大企業が基本的に優遇される仕組みになっている、などなど)ので、つまるところ社会・政治に関心を持ち、選挙が憂鬱ではなく楽しいものになって、自分が社会にポジティブな影響を与えることができるという実感を得る?というかそれを信じることができる人が増えるように、ものすごく分かりにくい窓口的な役割を果たすのが木下実験室としてできることかなと思っています。わかりにくすぎるし効果的かどうか分からないし、もはや祈りに近いのかも知れないけど。
そして、都会だとオーガニック野菜はとても高いけど、農家さんから直接買うとそこまで高くないしおまけしてもらえたりもする。しかも畑たくさんあるエリアだと野草も生えている。

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”Vegetarian Options Available”が普通になったらいいな。大きい企業だとモスバーガーはソイパティも選べるし、Green Burgerっていう五葷抜きヴィーガンのバーガーも出している。


⑦安藤さんが初めに旅をした時は自分のお金で行ったのかなというところです。就職せずに旅立ったということはそれまでにお金を貯めていた、もしくは親に負担してもらったんだと思います。もし親に負担してもらっていたなら、僕たちには真似できないところかなと思います。
自己実現するためにはどれくらいのお金がいるのか、まずそこから考えて、そこから逃げることはできないなと思いますので今後は自分の生き方にどれくらいのお金が必要なのか頭に入れて活動していきたいと思います。

→親のお金で行きました。自分でお金貯めてできるだけ安く行くと言ったけれど、全然聞き入れてもらえず、人生初の大げんかをして、結局安全な方法で親のお金で行きました。
むっちゃ恵まれていると自覚しています。ずっと”恵まれているコンプレックス”というのを抱えていて、それもあって海外に行ったのだけど、私はやっぱりつまるところきっとずっとずっと恵まれて生きてきている。そのことが許せない時もあって、だから”できるだけお金に頼らない生き方”や”自給自足”を目指してみたりしたんだと思うけど、”恵まれている”つまり、食べ物にも困っていないし住む場所もあるし親とも仲悪くないし頼れる人間がいるし大きな病気も抱えていないし割と欲しいものは買うことが出来るし(でも基本的にケチなので食以外ではなかなかお金使うのを渋る)割と頭もいい方、だからこそできることもある、という考え方に変えて生きている。
今の環境だからこそ、”考えること”に時間を使うこともできる。子育てしてたり、住む場所も職も安定していなかったら生きることに必死で政治のこととか地球のことなんて考えている暇ないと思うけど、私は考える時間があるから考えてそれを発信もする。人には思考が言葉として形を成さない時期というのがあると思っていて、でも考えていないわけではなく、そういう時にピタッとくる言葉に出会うと、思考が形を成して、そして整理もされていくと思うので、そのピタっとくる言葉になるかもしれない自分の思考の後をいろんな形で(料理もそうだし、インスタなどの投稿も)発信するのもひとつの形なのかなと思っている。

とりあえず、第1弾はこんな感じで。②に続く。

<おまけ>
David BowieとQueenのUnder Pressure。
音楽の力。


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