半月のダンス
大学を卒業してから、久しぶりに友達の家に集まってお酒を飲んだ。
今までは迎え入れることが多かった1人暮らしの僕だったが実家暮らしだった友人が1人暮らしをすることになり、今回は来客としてお邪魔した。
大学時代の友だち男4人の安定性はあるようでない座りの悪いメンバーが集まった。
他愛のない話を続ける事、4時間。
SNSで騒ぎ立てる世界を憎みながら、話のテーマが何かを憎んでいることである自分たちも憎みつつ、言い訳とアルコールを一緒に飲み込む。
そして、皆と別れた後に反省する。
あまりにも喋りすぎたな。そう反省する。
「そんなんいつものことや」と聞き覚えがある声が聞こえるが、振り返ると余りにも喋りすぎている。人体の水分量くらいの会話量を占めている。
皆への申し訳なさが募る。それでも僕は喋りたかったのだろう。自我を忘れる毎日を送りつづけて「自分らしさ」が歪んでいく中、久しぶりのホームに出会えたならそりゃ心とベロは踊りだす。
そういや、時々僕は無性に踊りたくなる。普段から大好きな音楽を街中で聞きながら、リズムに歩き方を合わすほどである。誰も見ていないのなら階段の踊り場でちゃんと踊りたいくらいだ。ジョーカーと「踊り場」の名付け親が喜んでくれるに違いない。Tiktokでは全人類ダンスが出来るかのような世界が広がっているが、僕みたいな素人のメリハリのないダンスを世に出したいくらいだ。
僕は、この前の会で口回りで常に踊っていたのか。みんなは「音楽」であって、僕はパフォーマーみたいなものでスポットライトを浴びている気でいたのか。毎日の自我をここぞと出しまくり、仲間に迷惑をかける不完全な主人公である。
今度は大人しくしようと毎度誓う変身できない嘘つき狼なわけだ。
帰りには座りが悪そうな不完全な月が自宅を微妙に照らしてた。
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