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不登校は身近なもの

初めてのカミングアウトになるが、中学生時代不登校になったことがあった。「なった」と言っても数週間程度だが、あの時にもう何日か学校に行くことを辞めていたらその後一切行っていなかった自信がある。

行きたくなくなったきっかけは些細なことだった。学校のいたずらにもならないいたずらが精神的にきつかった。多分、あの場を振り返っても誰も僕がいじわるされていたなんて供述もしないし、僕も誰に何をやられたというはっきりした自覚はない。殴る蹴るの暴行なんて受けていないし、受けていたとしても武力では絶対的に僕が勝っているはずだ。ただ、あの多感な時期の些細なことの積み重ねで本当に学校に行きたくないと思った。会いたい友達もいるのだが、「ただ学校に行きたくない」気持ちがそこにはあった。不登校の始まりとなる朝起きて憂鬱だったある日、休みたいと母親に話すと母親はすんなりと休ませてくれた。そんな感じで休んだりは学校に行ったりという日々がしばらく続いた。


不登校になりかけた時、僕は当時の大ヒット朝ドラの「あまちゃん」に本当に救われた。宮藤官九郎脚本、能年玲奈主演のあの元気な世界観に救われていた。不登校前後の数週間は学校から帰ってきてから見るあまちゃんの録画によって生かされていた。あの15分のために24時間を過ごしていたと言っても過言ではない。一度不登校気味になった僕はウニとなって殻に閉じこもり、家にも閉じこもるかどうかのじぇじぇじぇの毎日だった。

そんな不登校の終わりはあっけなかった。休みがちになっていた朝にまた休もうと思っていたところ、半ば強引に母親に学校まで送り出された記憶がある。その時、母親は息子が不登校気味になっていたことに気づいていたのだろう。荒療治のように学校に送り出された。今までの休ませてくれた優しさが嘘のように母親は僕を学校に送り出した。あれもまた母親なりの優しさだったのだろう。


この経験で不登校がとっても身近にあるものということを分かったつもりである。だから、周りに不登校の人がいるからって腫れ物扱いをして欲しくない。その人はその人でどうしたら良いのか模索しているところなのだ。ウニ化した人間は周りを傷付けて、また同時に自分を傷つけることもあるのだ。

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