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『口訳 古事記』からの、神とは?

読了。

いつも通り面白かった。けど、神々の名前が長くて読むのが面倒になってしまったり、その関係性とかも追うのが同じく面倒になってしまったりした。古事記や神さまや日本のなりたち、ってものに関心がある人なら、そんなことないのかも知れない。

というわけで、神さまの名前とか誰が誰の子とかはほとんど読み飛ばしてしまい(私が本読むのが速いのは、興味を感じないとどんどん飛ばしてしまうから)、台詞とか行動の部分しか読んでいないけど、そこはいつもの町田節でちゃんと面白い。きっと歴史の勉強にもなりそうだから、本棚にしまっておいて、いつか子どもたちが興味を持って読んだらいいかな?と思ってる。古典ものだと、私は『ギケイキ』(義経記)のが読みやすいな。

もはや本とは関係ないけど、神つながりでいうと、私は「神」には関心がない。

神も仏もない、死んだらしまい、というわけではなくて、大いなる叡智みたいな存在は否定しないけど、それを特定の名前で呼ぶことには共感できない。

ただし、他者の信仰を否定するつもりはない。「大いなる叡智」ではぼんやりしすぎているから、わかりやすく名前や姿があったほうが受け入れられやすいのだと思う。だけども実は、神も仏も叡智も同じものなんだと思っている。それぞれが受けいれやすいかたちで受けいれているんだろうな、と。

この考え方は、目下翻訳中のデーヴィッド・アイクとも通じるもの。アイクは陰謀論者として有名だけど、私は3次元界の陰謀の話しよりも、彼の「意識」の話しが好き。だからスピ好きな女性にも読んでほしい(わかるはず)と思っている。

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