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魚は食べられるうちに

さかなクンさんは、魚を愛でたり、魚について研究したりすることが大好きだそうですが、それと同時に、魚を食べることも楽しみなのだそうです。

特に、珍しい魚を手に入れたときなどは、身や皮はもちろん、骨まですべて食べ尽くすのだそうです。 

隅から隅まで完璧に食べることこそが、頑張って生きている魚への最大の供養である、とのこと。

 
自分はそこまで魚に愛情を抱くことはなく、金魚などを飼いたいと思ったこともなく、スーパーで切り身の姿で並べられている魚を買って、グリルで焼いて食べることくらいにしか興味がありません。

毎年おこなわれるサンリオのキャラクター投票も、KIRIMIちゃんではなく、シナモロールとYOSHKITTYとシンカンセンに入れています。笑う女がエントリーからいなくなったのが悲しい。木馬も……。きりんも……。ホプティコプティも……。

人々の記憶から失われゆくマイナーサンリオキャラたちへの想いのほうが、魚さんたちへの想いより大きいのです。

しいていえば、2014年に絶滅危惧種に認定された鰻さんのことは心配しています。食べるほうに関する心配なのですが……。

まだ絶滅などが叫ばれていなかった2008年ごろ、名古屋の店で初めて食べたひつまぶしの美味かったこと美味かったこと。故あって他人に奢っていただいての食事だったので、さらに美味かった。人生で最上に幸せだった瞬間のトップ10に入る。

なんというか、鰻に「あまみ」があったのです。

それ以前にも以後にも魚に対して感じたことがない、鮮やかなツルッとした「あまみ」が、シャッキリポンと舌の上で舞う(©栗田ゆう子)感覚。

胃の悪い人もひとくちで治る……かどうかはわかりませんが、食欲が増幅されること無限大。うおォん、俺はまるで人間火力発電所だ(©井之頭五郎)。


あれほどのクオリティーの鰻にはもう出会えないだろうなあ……、と思いつつ、結局は土用の丑の日にスーパーに並ぶ鰻を1パックだけ買って、一瞬で食らってしまいます。

さすがにあの日の名古屋の感動からすればささやかな幸せですが、それでも美味いんだからそれでいい。人間のエゴでしかないとは思いますが、食べることもまた鰻への供養。

いつまで食べられるかわからないからこそ、今のうちに食べておくというのもひとつの考え方だと思います。日本では捕鯨は基本的に良しとされていませんが、自分の本音としては鯨もいつか食べてみたい。


絶滅はまだ叫ばれていませんが、瀬戸内海で捕れる小魚のイカナゴも、ここ数年は不漁が続いているようです。調べてみたら、愛知県など禁漁になっている地域もある模様。

祖父母の家が神戸市で、なおかつイカナゴの釘煮の発祥地(※諸説あり)の垂水たるみ区なので、それはもう食卓のメインキャラクターでした。ごはんにかけて食べると無限におかわりできます。

冷蔵庫のタッパーの中にギュウギュウに敷き詰められていたあのイカナゴたちも、今は数が減っているのだと思うと寂しい。


今では当たり前のように食べている鮭や鰤やホッケあたりも、いずれふつうには食べられなくなっていくのかもしれません。その時のために、宮本むなしの定食セットの魚の切り身を跡形も残さず食べるのです。ごちそうさまでした。




サウナはたのしい。