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帰る場所

何度も新人賞に落ち、30代に入ってとうとう地元のサラリーマンになった僕とは違って、あいつは10代にしてデビューして東京に行き、20代に入るとヒット作をいくつも生み出した。

地位も名誉も手に入れたあいつがなぜ自殺という道を選んだのかは、誰にもわからないという。葬儀にはたくさんの人々が参列していた。報道陣も詰めかけていたが、ただの昔の知り合いでしかない僕がインタビューされることはなかった。

人の多さに疲れたが、かといってこのまま帰るのも味気ない。ふと思い出したのが、懐かしいあの「ゆ」の暖簾。初めてあいつと関東へ貧乏旅をした時、野宿生活3日めで耐えられなくなり、せめて風呂に入りたいと駆け込んだのが、この銭湯だ。

思わず悲鳴を上げた熱湯、何分まで耐えられるか競ったサウナ、猿のように何度も頭から被った鉢の水。東京にも帰る場所はあるってこと、あいつに教えてやりたかったな。気散じくらいにはなっただろうに。

サウナはたのしい。