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歌詞がすごいと思った曲

書くことが何も思いつかないので、今日はとてもベタに、歌詞が好きな曲、というか、歌詞がすごいと思った曲を書き連ねてみます。2000年代のブログっぽいことをしてみよう。

「会いたくて会いたくて震える」(『会いたくて 会いたくて』/西野カナ)  

当時のネット上では、薄っぺらい歌詞の代表みたいな感じでイジられていましたが、この曲が流行っていた頃から、このフレーズは凄いと真面目に思っています。

なんたって、「会いたくて」「震える」という10文字にも満たないセンテンスだけで、主人公がとりあえずまともな状態ではないことがわかる。

一般的に考えれば「会いたくて」の後に続くのは「君を想う」とか「つらいよ」とかでしょうが、そういう理屈を通り越して「震える」のです。

ここだけ切り取ると、震える……って何?アレなクスリをやっている人?みたいに捉えてしまうのもわからなくはないし、自分も有線で聴いていた時はそういうことをちょっと思ったような気もしますが、この曲の歌詞全体で抽象的なところは実はここだけで、他の部分は丁寧すぎるほど説明的です。

最初から最後まで読めばどういう状況なのか具体的にわかるのですが、簡単にいえば、彼氏に裏切られてひとりぼっち、という内容。

この状況から察するに、たぶん「震える」って、泣いているのだと思います。他の部分に「涙」「泣く」「cry」「tears」といった単語はひとつも出て来ませんが、その代わりに「震える」と表現したのではないかと。これは個人的な仮説ですが。

彼氏にフラレてひとりで泣いている、という物語そのものは、昭和時代の歌謡曲からずっと存在する王道であり、悪い言い方をすれば、ありがちなやつ。

でも、サビの「震える」のインパクトの強さによって、展開的にはテンプレでも唯一無二の存在感を放つ歌詞になっており、良くも悪くもではあるものの人々の話題に上り、西野カナさんのことをよく知らない人にまで届く曲になりました。

実際に、自分も別に西野さんのファンじゃないのにこの曲は覚えたからなあ。

「香菜、明日、君を名画座に連れていこう」(『香菜、頭をよくしてあげよう』/筋肉少女帯)

主人公には香菜という恋人がいて、ふつうの恋人どうしがやるように、抱き締めたり、一緒に出かけたりするわけですが、この香菜は自己肯定感がめちゃくちゃ低い子であり、自らを「私ってバカでしょ?犬以下なの」と言って微笑む。

そんな心の弱い香菜をどうにか守ってあげたい。彼女が生きることに怯えないように、この先やって来る困難に立ち向かえるように。

まあ、ここまでだけだと割と真っ当で、彼女を想う彼氏の気持ちが描かれているわけですが、問題は、そう思って向かった先が名画座だということ。映画館ではない。名画座。

この歌詞を書いた大槻ケンヂさんの自伝的小説『グミ・チョコレート・パイン』で、高校時代の大槻さん(正確には当時の大槻さんを投影した大橋賢三)が放課後にひとりで名画座に行く場面がありますが、そこはいかにもモテなさそうなムサい野郎だらけの空間として描かれています。 

大槻さんが高校生の1980年代の時点ですでにそうだったので、この曲が発表された1994年なんて、名画座なんてまず女の子とデートに行くスポットではないはずですが、主人公はそれに気づかない。

そんなことよりも、自分が影響を受けた映画たちを香菜に観せて教育してあげたいという気持ちのほうが強い。

もちろん彼に悪気はなく、真剣に香菜のことを想うゆえにそうしているわけですが、実際に映画を観た後に感想を聞いたら、香菜は「途中で寝ちゃった」と。

次のバースでは、「図書館に連れていこう」「泣ける本を君に選んであげよう」と、名画座に比べればまだマシそうなチョイスをするものの、たぶんこの主人公の推薦図書は村上春樹さんとか東野圭吾さんとかのオシャレなやつではないような気がする……。いや、わからんけど。

何かがズレていることは主人公も自覚しているようで、「いつか恋も終わりが来るのだから」と冷静になり、「香菜、一人ででも生きていけるように」と結びます。

最後のフレーズは香菜に呼びかけているものの、実際は自分にも言い聞かせていることで、本当は香菜はそこまでバカでも弱くもなく、生きることに怯えているのはこの主人公のほうかも……という不穏な雰囲気のまま、あっさりと終わります。

キャッチーな曲調だし、表層的にはいいことを言っているように聴こえるのですが、そもそも一般的には恋人に「頭を良くしてあげよう」とかいわないし、本当に香菜の頭を良くしてあげたいのだったら駿台予備校に連れていくはずです。

主人公の社会からのズレがなんとも切なく、しかもこれ、自分が大人になればなるほどわかってしまう。このまま付き合っても、このまま別れても、ハッピーエンドにはならないんだろうなというのが見えてしまって辛い。

まあ、このふたりがまだ子供で、中学生とか高校生とかなら微笑ましいのですが、もっと上だと想定したら……、いや、もうやめとこ……。

「同じ傷痕をつけ同じ苦痛を彼にも与えてあげたい」(『All Dead』/L'Arc~en~Ciel)

メジャーデビューアルバム『Tierra』の曲ですが、冒頭から「I wish you're gone」「I wish you're all dead」、……つまり、俺はおまえらに消えてほしい、おまえらみんな○ねと連呼する過激な内容。

社会風刺やホラーめいた歌詞の曲は他にもありますが、ネガティブさではラルク史上でも最強。

短い歌詞ですが、「彼にも与えてあげたい くるいそうな恐怖を何度も」「少しも消えない殺意に悩まされていると伝えて」といった怨念オンリーで構成されており、完全に呪いの手紙。こんな内面的すぎる曲をデビューアルバムの2曲目に持ってくるのがすごい。

しかもこれが怒りを吐き出すという感じではなく、ピアノ主体のミディアムテンポが延々と続き、hydeさんのボーカルも一部のシャウト部分を覗いて淡々としていて怖い。淡々としていないシャウト部分もまた、なんか半笑いみたいなテンションでイカれている。Say So Long!

「電車は今日もスシヅメのびる線路が拍車をかける」(『東へ西へ』/井上陽水)

まず冒頭の「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」に、いやそりゃそうだろとツッコミたくなるし、サビで「ガンバレ」 「みんなガンバレ」と鼓舞し、人間への応援歌のように見せかけて、最後に東へ西へと飛んでいくのは月と電車と黒いカラス。どういう歌だこれ。

井上陽水さんの歌詞がシュールなのはいつものことですが、だからこそ「みんなガンバレ」というストレートなメッセージソングみたいなことを歌っているのに違和感があり、あえてカタカナにしているのも、なにかを皮肉っているのではないかと勘ぐってしまう。

シュールではあるものの粗筋は存在し、1番は愛しいあの娘に会う前夜および翌朝、2番はあの娘に会いに行くために乗った満員電車内での出来事、3番は駅に着いてやっとあの娘に会えた、という内容。つまりデートの日なんですな。

本来なら、デート前の1番→デート道中の2番→デート開始の3番、の順番に幸福度が増していくはずですが、道中で乗った満員電車はスシヅメで、倒れた老婆も笑うしかなく、ギュウギュウすぎて呼吸も止められ、駅に着いた頃には疲れ果てて、テンションの高いあの娘がイカれているようにしか見えず、カラスがギャーギャー騒いでいて、とまどうばかりでなんにもできない。

そこでまた「みんなガンバレ」の連呼で、黒いカラスが囃し立てる。あの娘に会えたし、花は満開だし、幸せなはずなのですが、どこか釈然としない雰囲気を残したまま終わります。決してネガティブではない風景ですが、かといって明るくもない。

数多くのアーティストにカバーされていますが、自分のおすすめは布袋寅泰さんのアルバム『SOUL SESSIONS』に入っているバージョンで、本家の井上陽水さんも参加されています。デジタルロックサウンドにこの歌詞が載っかり、布袋さんと陽水さんの声が交互に聴こえてくるという、豪華かつシュールすぎる世界観。

なんか暗いのばっかだな……。

サウナはたのしい。