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酒では狂えないと知った日

最近はそこまででもありませんが、以前の自分はなかなかの呑兵衛でして、一度アルコールを体内に含みはじめたら止まらず、そのまま気絶するまで飲み続けてしまうロックでパンクな生き方をしていました。

ビールの6缶パックをうっかりスーパーで買った日にはその夜のうちにすべて空けてしまい、それでも物足りなくて午前様にコンビニで続きを買い足す始末。それを酔い潰れて寝落ちるまでやるという破壊的な生活。

当然ながら翌日は二日酔いでボロボロで、もう二度とあんなもん飲むかと心に誓うのですが、夕方になって酔いが醒めて仕事に追われると段々と忘れていき、帰りには再びビールの入った袋を手に提げている。

最も酷かったのが4~5年前で、休みの日には昼から飲むのが当たり前。ウォッカのモンスター割りプレイをよく堪能していて、産まれて初めてアブサンを飲んだのもこの頃。

アブサンというのは、かつてはピカソやゴッホなどの芸術家が愛飲していた酒で、飲むと幻覚が見えると言われ、一時は発売禁止になった伝説の魔のリキュールです。

この幻覚症状は、中に含まれるツジョンという有毒な成分のせいで引き起こされるということが判明し、またアブサンの影響で発狂してしまう人が続出したために社会問題になり、1915年あたりから多くの国で流通が取り止められました。

その後、成分の見直しを行った上で、WHOの検問を潜り抜けて復活。現在のアブサンは以前のような危険ドラッグではなく、さらに日本に広く流通しているペルノアブサンはわりとマイルドな酒といわれています。


……といっても、アルコール度数68%なんだけどな。

しかも昔と違ってかなり量が抑えられているとはいえ、ツジョンが含まれていることには違いないわけで。これで合法的に狂えるぜ。

そう、これは当時は自覚していなかったのですが、自分がそこまで酒に溺れていた理由のひとつに「狂ってみたいから」というのがありました。いや、狂うといっても凶悪犯罪を行いたかったわけではありません。まあ軽犯罪には当たるかもしれないけど。

たまに、電車の長椅子に酔っ払って寝転んでいる人とか、広場でグチャグチャ喚いている人とかいますよね。まあ迷惑行為なわけですが、ああいうのに嫌悪感を抱くと同時に、心のどこかで「あんなことできて羨ましい」とも思っていました。


教室の中で派手にふざけることができない陰キャまっしぐらなスクールライフを送っていたもので、潜在的に、憧れというと語弊がありまくるのですが、あんなふうになれたらさぞ楽しかろうな、と。

とはいえ素面ではそんなことまずできない。公園のベンチで寝そべるのですら躊躇うチキンハート野郎にそんな大それたことができるわけがない(いや迷惑行為だからできなくていいんだけど)。

でも、泥酔した状態ならワンチャンいけんじゃね?という安易すぎる発想です。


まあ実際にアルコールを含むと人間って多かれ少なかれ変わるもので、人見知りが治ったような感じになってバーでどこかの社長さんと謎に仲良くなって何かの酒を奢ってくれたり(もちろん会話の内容もどの酒を奢ってもらったかもその酒の味も全く覚えておりません)したこともあります。豪気になれるのですね。

ウイスキーを3ショットほど煽ってから、いざアブサンを注文し、ロックで飲み干し、サイケデリシャスな気分で店を出て数分。ちょうどここは夜の駅前。ダンスを踊る若者。スケボーを駆る若者。広場の長椅子に横たわり夢の世界に行っちゃっているおじさん。

今なら叫べる。何を叫べばいいかよくわからんがとにかく何かを叫べる。今こそ高らかに叫ぼう。そう思い、息を大きく吸い込んだ瞬間。


体内をアルコールが逆流していくのを確かに感じたのです。体内をアルコールが逆流すると人間はどうなるのかというと、ええ、ご存知の通りでございます。

公衆トイレに駆け込み(お食事中の方もいらっしゃるかもしれないので中略)、まだツジョンの成分が残る胃に痛みを覚えながら外に出ると、若者たち全員が僕を指差して嗤っていた(被害妄想)。

すべての気力を失い、家まで徒歩20分もかからない距離であるにもかかわらずタクシーで帰りました。車窓から見える夜の街の喧騒はただただ虚しく腹立たしかった(情緒不安定)。

その後のことはもちろん覚えていませんが、自分はゴッホやピカソの猿真似すらできないのだという絶望感だけが残りました。


それ以降、強い酒は飲んでいません。あ、正月にテキーラ飲んだけど。でももう二度と、アルコールで狂おうとは思わない。お酒はほどほどに。ただ、自分のアルコールの限界を知るためには一度は失敗するのも大事だと思います(そういうことにしておこう)。



サウナはたのしい。