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のび太のように

好きな漫画ならたくさんありますが、好きな漫画家……となると、ちょっと即答できなくなってしまいます。

なんといっても、好きな漫画家なのだから、その作家の作品はすべて読了済みでなくてはならないように思うからです。

いちばん好きな漫画はなに?というのは、会話の中でよく質問されることですが、これに対する自分の答えは結局『ドラえもん』ということになります。

いや、『うしおととら』も『こどものおもちゃ』も『カッコカワイイ宣言』も『ウィッチウォッチ』も好きですが、影響を受けたという意味でもずっと寄り添って育ったという意味でも、総合的に『ドラえもん』にかなわない。

ならば好きな漫画家は『ドラえもん』の作者である藤子・F・不二雄先生……、といいたいところではあるのですが、なにせ著作数が膨大すぎて、自分はそのうちの半分も読んでいません。

入手困難な『少太陽』(まだコンビだった頃の藤子不二雄先生が高校時代に自製した雑誌。なんでも鑑定団では1200万円の値が付いた)などはともかく、『オバケのQ太郎』の原作すらまともに読んだことがないし(アニメは夏休みの朝の再放送で視た)、『モジャ公』(アニメは異世界生物とのドタバタコメディーだったけど原作はけっこうダークらしい)や『T・Pぼん』みたいに、わりと代表的なものですらカバーできていないので、好きな漫画家などと小生が述べるのはおこがましいにもほどがある。

ならば、どなたを述べるべきだろうか。


これまでたくさんの漫画家さんに、たくさんのことを教わってきました。

鳥山明先生のおかげでメッサーシュミットKR200という変な車が世の中にあることを知ったし、和月伸宏先生のせいで逆刃刀という人を斬らない刀が実在すると思っていたし(つい最近まで本当にああいう刀があるのだと信じていた)、赤松健先生のおかげで2次元世界の美少女を愛でるという概念を学んだし、よこたとくお先生と学研のおかげでまんがでひみつがわかったのです。

それでもやっぱり、総合的にはF先生なんだよなあ……。

なにせ、自分が生まれて初めて絵を描こうと思ったきっかけがドラえもんで、幼稚園くらいの頃に描いた漫画の内容は「勉強もスポーツもダメな少年が泣いて帰ってきたらなんか変な生物がいて、そいつが助けてくれた」という完全なるパクリ。

そういえばその頃は漫画家というか、ドラえもんを描く人になろうとしていたような気がする。

F先生ご本人ではなくアシスタントの方が描いたドラえもんというのがあって、よく図書館に置いてあるドラえもんの学習シリーズなんかがそれなのですが、その手のものを描く人になりたいと漠然と思っていたような思っていなかったような(曖昧)。

生前に先生が遺した有名な言葉に「ぼくはのび太でした」というものがあります。幼少の頃のご自身は、勉強もスポーツもダメで不器用だった、と振り返っていらっしゃいます。

といっても、『まんが道』で描かれた藤子不二雄A先生からの視点では、才野茂(さいのしげる。F先生がモデル)は天才的で決断力が高く努力家の立派な男ということになっていて、のび太みたいに優柔不断でも強欲でもなく、どっちかというとキテレツのほうが近いんじゃないかという気もしますが、まあご自身がのび太だったとおっしゃるのなら、のび太だったのでしょう。

自分はこれを「ダメ人間でもいつかは偉くなれる」と曲解して育ってしまい、努力という努力からさんざん逃げる半生を送ってきました。それでもなんとかなっています。


のび太はこう言っていました。

「いちばんいけないのは、自分なんかだめだと思い込むことだよ」

そして、しずかちゃんのパパは、そののび太をこう評していました。

「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとって大事なことなんだからね」


このご時世で、多くの人がイラついているし、不満も抱えているし、疲れています。お医者さんカバンは残念ながら実在しないけど、のび太のように大事なことだけは忘れない人でいようと思います。

そしてもちろん、ドラえもんの道具でいちばん欲しいものはスペアポケット……といいたいところですが、あれ自体は無限に物が入る袋でしかないんですよね。

ならば、ミニドラはどうだろうか。いちおうドラえもんのコピーロボットなので、スペックは劣るもののドラえもんがいるのとほとんど同じだし、ポケットも標準装備で、タケコプターやどこでも窓(どこでもドアの下位互換)などの基本的な道具は揃っています。

なおかつ、ドラえもんみたいに説教してくることはなく、常に「ドララ♪ドララ♪」と鳴いていてかわいい。完璧じゃなかろうか。


というわけで、のび太になってミニドラを飼いたいです。ミニドラもどら焼き食うのかな。

サウナはたのしい。