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おとなしい大人

今はどうなのかよくわからないのですが、平成中期くらいまでの中高生の男子の多くは、いわゆる「悪いヤツ」に一度は憧れたものと思います。

単純な例でいえば、未成年でタバコや酒を嗜んでいるとか、校則で禁止されているバイク免許を持っているとか、ピアスの穴を空けまくっているとか。

自分もご多分に漏れず憧れていたのですが、教室の隅で大槻ケンヂさんや中島らもさんの本を読み漁っていたサブカル陰キャ系の自分がヤンキーになれるはずもなく、大学生の頃に一瞬だけ髪を染めたことがあるくらいで、特に派手な悪いこともしないまま成人しました。

あ、未成年飲酒はしていましたけど……まだコンビニで年齢確認とかされない時代だったし。

20代に入って流石にヤンキーへの憧れは消えましたが、「派手なことをやらかしている人」への憧れというか、そんなことが堂々とできて羨ましいという感情は残っていました。

派手なことというのは、たとえば、公衆の面前でブチギレること。

電車が遅れて駅員にブチギレている人とか、タバコの銘柄がよくわかっていないコンビニ店員にブチギレている人とか、逮捕されたタレントにブチギレているワイドショーのコメンテーターとか。要するに、他人や世間に対して、俺はすんげえ怒ってんだよ!と声高に主張できるような人たち。

もっとわかりやすい例でいえば暴走族ですが、暴走族ってここ15年ほどあまり見かけない気がします。たまたま見かけないだけなのかな?まあ、公然と暴れる人たち全般です。

親や教師や同級生や同僚などから、おとなしいやつ、と常に認識されていた自分にとって、人前で感情を爆発させる行為を恥ずかしげなくできるというのが、迷惑な人だなあとも思いつつ、その反面で、自分にはできないことをやってのけて凄いと思えたのですね。

それはかなり長い間つづいていましたが、真似をすることは一度もなく、何年もが経ちました。

飲食店で注文を間違えられた時は、まあ別に嫌いな物じゃないからいいか……と黙って食べました。お釣りが100円すくないことに気づいた時も、3回くらいじっくりと数え直した上で「あ、あのう……さっき……」とおずおずと尋ねました。

明らかに向こうのミスでも店員に怒鳴ったことなどありませんが、それは自分が度胸のない人間だからできないんだろうな、というふうに捉えていました。

小さい頃から散々いわれてきた「おとなしい子」というのを、悪い意味で解釈してしまっていたのですね。ずっと。

少し前にネットサーフィンをしていたら、たまたまこのような記事を見つけまして。

2010年2月と、かなり古いエントリーなのですが、大人の世界の「おとなしい」は必ずしも悪いニュアンスじゃないのか、と目から鱗……は出ませんが、目クソが全部パッと取れたようにすっきりしました(なんつーひどい表現だ)。リアルタイムにこの記事を読んどきたかったよ。

残念ながら、もう20歳を過ぎてだいぶ経ちました。だけど、おとなしくて全然かまわなくなったのです。もう大人なのだから。

だから、飲食店で注文を間違えられたらおずおずと気弱に尋ねたら良いし、お釣りを間違えられたら向こうのミスであっても「すみません」と何故か謝ればいい。それはきっと、度胸のないことではない。

そして「悪いヤツ」がかっこいい時代も、たぶんもう終わりつつあると思います。

少し前にYouTubeで、ムックがいきなり米津玄師さんの『Lemon』をピアノ演奏するドッキリ動画がバズっていたのですが、そのコメント欄で「こういうみんな楽しいドッキリがいい。過激なドッキリや人を傷つけるドッキリいらない」という内容がちらほら見えました。

それこそ米津さんの『LOSER』の歌詞で、「イアンもカートも昔の人よ 中指立ててもしょうがないの」というフレーズがありますが、何かに背くのがかっこいいという認識は、消えつつあるのかもしれません。

だから、これからは胸を張って、おとなしい大人になっていこう。でもトイザらスには行きます。

サウナはたのしい。