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常識が変わるとき

藤子・F・不二雄先生の短編に『気楽に殺ろうよ』というものがあります。

物騒なタイトルのとおりに、キテレツやQちゃんの住んでいる世界線とは真逆のヘヴィな内容で、我々の住むこの現実とは倫理観がズレています。

ものを食べることが恥ずかしい、という感覚を誰もが持っていて、人前ではまずできないような愚劣な行為と捉えられ、食事の写真を集めている人は変態と呼ばれてしまう。つまり食欲をおおっぴらにすることが禁じられているのですね。


その代わりに性欲に関してはみんな開放的で、幼児向けの絵本に平気でセックスシーンが描かれていても誰もなんとも思わない。

そして、殺人が許されているのですが、これには条件があって、ひとり殺すごとにひとり子供をつくらなければならないという。

こういった(我々からすれば)不条理な世界を描いた短編は他にもあって、見た目はうさぎのぬいぐるみだけど目がイッちゃっている侵略者(?)が警察にヒョンヒョロを差し出せと要求してくるも、誰もヒョンヒョロというものがなんなんだかさっぱりわからず、とんでもない結末を迎える『ヒョンヒョロ』は名作です。

わりとポップな方向だと『ドラえもん』にビー玉が異星ではたいへんな価値があるというエピソードがあるし、『21エモン』には他人にあげたものを返してもらうのは失礼だという慣習の星が出てきます。

世の中の常識というのはそう簡単にはひっくり返らず、もしそうなったとしても自分が老いて死んでいった遥か先のことだと思っていたのですが、文明の変化というのは実に早くて、10年前と比べてもかなり違う様相になっています。

おさいふケータイに代わってバーコード決済というものが現れ、若者が遊びで使うものだったLINEは企業案件で使われるようになり、レジ袋はタダで貰えなくなり、マスクを付けて外出しないと怒られるようになった。


それが良い世の中なのか悪い世の中なのかはわかりませんが、そうなっちゃった。座席の横に鞄を置いてスペースを取ることがむしろ推奨される、詰めて並ぶのはむしろやめろ、そういう世の中。何が起こるかわからない。

もしもなんらかの大きな出来事があって、人類が服を着なくなってしまう、そういう可能性もあるのでは?とふと思いました。

いや暴論だと自分でもわかっています。わかっていますが、スマホを見せたら会計が済むとか、フリマアプリの売上金がスマホの中に入っているとか、10年前にそんなことが起こり得ると想定できなかったわけで。


だいたい服を着るという発想そのものがアダムとイヴの時代にはなかったのだし、その服の形状もまた縄文、弥生、平安と、時代とともに変遷してきたわけです。

ガンダムのモビルスーツみたいなものをまとうのが当たり前になったりとか、現代の倫理観では犯罪とされる下半身露出が合法化され、ファッションになる時代も来ないとは言い切れない。

たとえば、かつては成人男性ならほとんどが吸っていて、生活の中のいちアイテムとして溶け込んでいたタバコ。イオンの従業員の方は勤務開始45分前からの禁煙を言い渡されているそうですが、もはや喫煙は悪という考えが当たり前のものになっている。

これの逆パターンで、現代社会では悪とされる下半身露出が当たり前になる時代が……、ある意味では楽しそうだけど、ある意味では地獄絵図だなそれ。とりあえず自分が生きている間は来なくていいです。


ところで、自分はもうだいぶ前にタバコとはお別れしているのでよくわからないのですが、アイコスとかグローとかの、煙の出ないタイプのやつ、あれってどういう感覚なんですかね?プカーッと吹かす紙巻きタバコとは確実に違うと思うんですが。

一時期、コンビニなどの店頭で試供品みたいなものを配っていましたが、もう一生やらないと決めているので(※だからといって別に嫌煙の考えがあるというわけではありませんしイオンの上記の体制に関してはちょっとなあ……という感想です)、体験したことがないのです。

ニコチンもタールもなく、なおかつビフィズス菌とか乳酸菌とか健康的なものが含有されているアイコスが発売されたら試してみようと思います。いや、あり得なくはないと思うんですよ。


それはともかくとして、早いところ上半身も下半身も露出しながら、スチームサウナで焦げたいですね。

サウナはたのしい。