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noteも自分も別に消えない

どうやら公式の企画で「noteのつづけ方」というものがあるらしく、それに便乗してみよーかなーやめとこーかな多分ボロ出るし意識高いことは何も書けないからなー……、などとチラチラしていたのですが、結局は自分の心のジャイアニズムが赴くままに書きます。俺のnoteは俺のもの。

といっても自分の結論はひとつだけ。「続ける」とか「やめる」とかいう発想を持たない、それだけです。

といっても、以前は自分自身がわりとその発想に振り回されていたことがあって、アカウントを消そうとしたことはないまでも、なんか疲れたからしばらく遠ざかろうかなあと思ったことは何度かあります。

最初の頃のnoteはなんというか、「未開の地」みたいな空気があって、そこに投稿することでその地の原住民になれるみたいな感覚がありました。これは最近になってnoteに登録された方にはちょっと伝わりづらいかもしれないのですが……。

今みたいに運営さんのお題企画はあまりなくて、最近はnote酒場という公式のイベントがあるそうですが、かつてはnoteでオフ会的なものをやろうと思ったら個人で行うしかありませんでした。それ故に「みんなで作っていこう」というノリが大きかったです。

それ故に、自分はなんだか勘違いしていた時期があって、あろうことか自分がnoteの一員だと思っちゃったんですね。いやいちユーザーであることには違いないから一員であること自体は間違いではないかもしれませんが、自分が消えたらnoteも消える、noteが消えたら自分も消える、みたいに勝手に思っていた。実際は、どっちも別に消えないんですけど。俺は俺のもの。俺のnoteは俺のもの。別に頻繁に更新しなくなったからといってnoteはなくならない。

去年の今頃は100日連続更新というのをやっていたのですが、これは楽しい反面、毎日のようにネタを探して書かないといけないわけで、だんだん連続更新をするために書いているような感覚になってきて、最初は嬉しかったnote連続更新記録達成の画面もだんだん飽きてきて、80日めくらいの頃でしょうか。

これ、自分が大して書く気がないことも書かないと続かなさそうだ、と思って、キリの良い100日で打ち止めました。別に専業ライターじゃないので書く気がないことを〆切に終われて書く必要はないし。

今のnoteは社会派というか都会的というか、広く大きく語るのが主流なのかな?と、おすすめのテキストなどをボーッと眺めているとそういう感じがします(あくまで個人的な印象ですし、それらを否定するわけでもありません)。

だからつい自分ももっと有益な情報を……という気持ちがふと過ることもたまにあるのですが、結局はエレベーター嫌いとかスーパー銭湯はいいぞとか偏差値があんまり高くなさそうなことばっか書いているのが現状。でもその時なんとなく書いたのがそれだったから仕方ないしそれが自分なのです。

自分が好きなテキストやエッセイも「どんな人だかなんとなくでもわかる」ものですから。具体的には書かないけどその逆は苦手だしフォローしない。

あと、自分がのうのうと居座っていられるのは、自分が何者でもないからだと思います。

イラストが上手いわけでも、お喋りが得意なわけでも、音楽や動画が作れるわけでもない。何のエキスパートでもないから、何に関してもたぶんプライドがあまりないのです。だからやりたいときにできるし、やる気がしないときはしなくてもいい。

そういう自分みたいな奴は、たぶん運営さんが望むユーザー像じゃないんですけどね(最後に爆弾発言)。

でも、長めの文章でも読みやすい仕組みだしアプリで音声も簡単に録れるし自由度の高い素晴らしいSNSなので(全力のフォロー)、あまりこだわりなく使うのが一番かなあ、と、自分は思いました。

(ケサレタラドウシヨ……)

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