見出し画像

ずっと寝ていたい

連日に亘って寒い日が続いて、布団から離れるモチベーションが削がれるこの頃ですが、毎日がんばって起きていてみんなとても偉いですね。

阪急電車のコウテイペンギンちゃんも肯定してくれています。それはありがたいのですが、本音をいえば永遠に寝ながら起きていたいし、朝寝と朝風呂を繰り返して身を滅ぼした小原庄助さんみたいな堕落した人生を送りたい。

とにかく寝ることが大好きなのです。

自分は睡眠が好き過ぎるが故に、いつもきちんと計画を立てて寝ていて、起きる予定の時刻の2時間半前と1時間前と30分前にアラームをセットし、ハイクオリティな二度寝(〜四度寝)のために抜かりない努力をしています。

最近はなぜか早朝にいったん目が覚めてしまうようになったため、実質的には五度寝です。さらに昼休みに仮眠を取ることもあるので、六度寝になることもあります。

それでもまだ足りません。十七度寝くらいしないと満足しないと思う。

寝ているときというのは当然ながら身体が静止しているわけですが、この、身体が静止している状態というのが自分は無闇矢鱈に好きなのです。

むやみやたらって漢字で書くとポジティブですね。闇が無くて鱈が矢のように降ってくるなんて愉快な光景じゃないですか。おいしそう。酢漬けにしたい。

そのような想いを馳せて布団の中で海老のような姿になっている様は、他人から見ればただの生ける屍ですが、この状態が実に楽しいのです。ずっとこのままでいたいとすら思う。

少しだけ手を動かしてTwitterを開けば、悲しいニュースとくだらない論争が目に入ってしまうこの昨今、わたしは貝になりたい。ひとりでテキトーに魚を食らって暮らしていたい。貝の中には魚を捕獲するものもいるのです。

その補食時のヴィジュアルはなかなかにまあアレなので、調べる際は覚悟して挑みましょう。もちろんそんなことを知ったところで、たぶん全国共通テストとかには出題されないし、宅建の資格も取れません。無意味な行為です。

無意味。そう、無意味がこの世でいちばん楽しい。現世には意味のあるものが多すぎる。

現代人が1日のうちに目にする情報量は、江戸時代のそれの1年分だといわれています。そりゃあ疲れますよ。

そして、江戸時代の人たちより情報をたくさん収集して、ある程度の咀嚼ができている我々は偉いのです。徳川一家の錚々たる方々よりも偉いのです。たぶん。

すんげえ長生きした家康さんよりも偉い。犬が好きすぎて生類憐れみの令を出した綱吉さんよりも偉い。……日本史に強くなくて、大河ドラマもあんまり視たことがないゆえ、そのおふたり以外はよく知らないのです……。

今日はもう何もしねえと布団の中で数時間。貝の生態について調べたり、江戸の街を思い浮かべたりしているうちに目が覚めてきました。もうとっくに午後。とんだお寝坊さんですね。

でも、たぶんそれは、暇すぎて和歌を詠んでいた平安時代の人だってそうだったのでしょう。縄文時代だって竪穴式住居に日がな引きこもっている人も中にはいたことでしょう。恥じることではないのです。

なんたって、昔の人の何十倍もの情報量の中で暮らしているのです。我らはみんな自動的に偉いのです。

でも銭湯には行きたい。トイレに行くのもめんどくさいのに銭湯には行きたい矛盾を抱えつつ、開店時間の午後3時を迎えました。

そういえば冷蔵庫に何もない。すぐ手が荒れるのでいつも使っている指サックのストックが切れた。あの指サックはダイソーにしか売っていないので駅前のダイソーに行かなければならない。他の100円ショップの指サックは小さいのだ。Lサイズがあるのはダイソーだけ。

ちくしょう今日も起きちまったぜ。




サウナはたのしい。